人気ブログランキング | 話題のタグを見る

亀山社中の二宮又兵衛とは?

先日、亀山社中がある一帯を歴史散歩して、あるお墓にたどり着いた。
光源寺の墓所にあるそのお墓には、顕彰碑のようなものまで建っている。
そのお墓は「二宮又兵衛」という宇和島藩士の墓。

いったいどのような人かと、Web検索してみたら、複数のサイトで
龍馬暗殺後、亀山社中を切り盛りしていた人物で、なにかの不正をあばいて大井出橋付近で暗殺されたらしい。又兵衛の暗殺後、亀山社中は自然と解体した。またシーボルトの弟子で宇和島藩士の二宮啓作の甥に当たる人らしい。
などが、かかれていた。
二宮又兵衛について、書かれえいるホームページやブログのほとんどが同じような内容なので、なにか出典があっての記載なんだろうが、事実となると気にかかることがふつふつと沸いてくる。

まず、
・亀山社中は、龍馬暗殺の前に海援隊として土佐藩の付属団体のようになっていた。
・海援隊、亀山社中の主なメンバーを探しても二宮又兵衛の名前が出てこない。(私の調べる範囲が狭いのかもしれないが)
・龍馬暗殺後、いつの時点で二宮又兵衛という人物が亀山社中を取り仕切っていたのか、まただれから引き継いだのか。
・海援隊発足と同時に亀山社中と海援隊とは分裂したのだろうか。
・海援隊の記録の中に二宮又兵衛に関する記録がのこっているのだろうか。
・あるHPに書かれている内容によると、二宮又兵衛は知り合いの不正を暴いたため暗殺されたように書かれているが、この知り合いは亀山社中なのか、宇和島藩士なのか。どんな不正なのか。
・宇和島では、この人物のことをどのように伝えているのだろうか。

近藤長次郎や沢村惣之丞のように、自刃したり池内蔵太のように遭難したり、長崎で没した隊士の話はさまざまに書かれているが、二宮又兵衛という名前を聞いたのは初めてだった。

宇和島藩士、二宮又兵衛について、ご存知の方がいらっしゃれば、教えていただきたい。

二宮又兵衛についてかかれている主なホームページは以下(どれも記載されている事柄の内容や事実の範囲が似通っている)
http://www2.ocn.ne.jp/~oine/character/matabei/matabei.html
http://nagasaki-r.seesaa.net/article/111433387.html
http://www.mirokuya.co.jp/mlmag/archive/vol334.html

by windowhead | 2010-05-12 13:30 | 長崎と幕末維新

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


by windowhead