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残念な内容だった対談

昨日放映された、2006年に引退した中田英寿と現日本代表の本田圭佑の対談に期待したが、残念な内容だった。

なにが残念かって?
二人して、お互いの姿を肯定しあい、自分たちの考えと違う人たちを否定することに終始した対談になっていたからだ。

ヒデは「わがまま」(自己主張と訳してあげよう)し通せなかったことがサッカー人生で一番の後悔。
だから、本田には、「わがまま」を通し続けて欲しいとまで言った。

ヒデの反省は、2006年W杯時のチームでのいきさつにある。
そのときヒデは、28歳。チームリーダーの一人であり、それ以上に代表に君臨する王様だった。
その彼が、「(代表の他の選手との)兼ね合いがあって、バランスを取らなきゃいけなくなる。で、自分のプレーが徐々にできなくなる。なぜかと言ったら周りを生かさなきゃいけなくなる。それが一番苦しかった。
そうコミュニケーションとりずらいし、またこっちが言っていることも、向こうが言っていることもなかなかうまく噛み合わないし…ま、そういう状態で、最終的には2006年は終わってしまった。」
と言っている。

なんだか、がっかりしてしまった。

あのとき、王様だったはず。他の代表選手は不服を抱えながらもヒデの意見に引っ張られていた。だから福西がヒデに面と向かって意見を言ったことがニュースにまでなったほどだった。
ドイツで、全員が一緒に食事をとるようになっていたにもかかわらず、わざと時間をずらして、一人で食事をしていたのはヒデではなかったか。
そのようすは、ヒデを持ち上げていた金子達仁の「敗戦と」にも書かれている。
そんな2006年W杯での中田英寿の反省が、「わがまま」を押し通せなかったことだったとは…。

百歩下がって、ヒデの自己主張がとおらなかったことが2006年W杯惨敗の原因だとしよう。
だからって、24歳の、経験も浅く、実績も少ない初出場の選手に「わがままをとおせ」と言っていいものだろうか。
2006年のヒデの立場と、2010年の本田の立場はぜんぜん違うのを理解して、アドバイスをするのが先輩というものだろうが、すでに中田英寿はサッカー人ではなくなったということだろうか。


2010年の代表は2006年のチーム崩壊を反省して、チームワークを大切にしている。
サッカーがチームプレーである以上、どこのチームだって、「フォア ザ チーム」だろう。
中田と本田の対談のなかで、すり返られている事柄は「フォア ザ チーム」の考え方。
「チームの勝利のために自分の長所を活かす」というのが中田、本田の考え方。
だが、本当の「フォア ザ チーム」は「チームが求める役割をこなしたうえで、自分の長所を活かす」ことなのだ。
だから、ルーニーだって、ロナウドだって、メッシだって守備に走るし、ボールを預ける。

過去のカリスマが新しいスター候補に何を伝えるのか、期待いっぱいで見た人たちは、こんな自己正当化をしあう2人を見てどう感じただろうか。
「フォア ザ チーム」を教えられているユースやサッカー少年団の子供たちはどう感じただろうか。


中田英寿がいまだに真っ直ぐにサッカーに係われないのは、2006年の終わり方にあると思う。
ピッチに倒れこんだ中田の姿は絵になっていた。
その後に出された引退声明はまるで抒情詩のようだった。
そこに一人の孤高のヒーローの幻像が作られた。
W杯の惨敗に打ちひしがれた日本人は、その甘酸っぱいヒーローで癒されようとした。
その反対側では、中田を除く代表選手たちが、ものすごいバッシングを浴びた。
彼らは、なんの言い訳もできず四方八方から叩かれるままだった。
しかしなぜか、中田へのバッシングはなかった。
中田英寿にあの惨敗の責任はなかったのだろうか?
自己のパフォーマンスによって、責任を逃れた中田は心が痛まなかっただろうか。
いまでもそれを思うことがある。

あのとき一緒に戦った選手たちが、あのときを反省材料にしてチームワークを土台にしたチームを作った。。
中沢、川口、楢崎、中村俊、遠藤…彼らは中田と相容れなかったメンバーではない(「敗戦と」によると、中沢、川口、楢崎は、大人グループ。俊輔と遠藤はおとなしくて最も影響力もないグループだったと書かれている)
中田からすれば、今の代表は物足りないメンバーかもしれない。しかし、今の日本代表は、彼らなのだ。
そのチームをリスペクトして、本物の「フォア ザ チーム」を尽くすように本田に教えることが中田の仕事ではなかったのか。
目立つ格好をすることや、自己主張だけをすることが個性ではないと、教えてやって欲しかった。

同じ日「情熱大陸」は遠藤保仁を追っていた。
「代表は華がないといわれますね」という質問に
「一本きれいに咲く花か、11本きれいに努力して咲こうとする花か、どっちをとるかですよね。最高の輝きはみせないけど、ずっと咲いている花。きれいな言い方をすれば(そんな花)」
と答える遠藤選手。この冷静だけど温かい視点こそ、遠藤の個性。

美しい個性は主張するものでなく、にじみ出るものなのだ。

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by windowhead | 2010-06-07 15:43 | 紙のフットボール

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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