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黙祷の夏とサッカー

長崎の夏は、黙祷の夏でもある。7月23日、長崎大水害で亡くなった299人の方々への鎮魂、8月6日広島に投下された原爆で亡くなった方々への鎮魂、8月9日長崎に投下された原爆で亡くなった方々への鎮魂、そして8月15日・終戦の日、先の戦争で亡くなった方々すべてへの鎮魂。
これらの日は、子供でも無邪気に遊び呆けてはいけないと親にたしなめられていた。
長崎は、あす65回目の原爆の日を迎える。6日広島原爆の日の式典をTV中継で見ていたが、様々な意味で感慨深かった。
なにより、広島市長の言葉がすばらしかった。核廃絶への世界的な流れを適切に受け止め、いまこそ日本国の出番なのだと結んだ。それに対し、菅首相の言葉は相変わらず核抑止力を肯定するのみの残念な言葉に終わった。
来賓席でサングラス姿の米大使の表情は厳しく無言で立ち去られたらしいが、私はちゃらちゃらと外交的な笑顔を振りまくより、核被害の現実を強く受け止められてのことだろうあの表情だったのだと好意的に捉えた。
被爆の実情を映像や本などで知っていると言う人も、広島、長崎の資料館を見、被爆者の話を聞くと、改めて大きな衝撃を受けられる。資料でしかないのだが、それでも、原爆の被害と言うのはそれほど想像を絶するものがあるのだろう。

5日夜、ツイッターのTLに「明日は原爆の日、黙祷があるから早起きする」というようなサンフレッチェサポーターの呟きが流れていた。森脇良太選手や森崎浩司選手など広島生まれの選手達は、自分のブログなどで、広島原爆の日について「特別な日」として自分の考えを書いている。
以前も書いたことがあるが、ACLグループリーグの4試合目。サンフレッチェ広島のホームで戦うオーストラリアのアデレートユナイテッドの監督・選手達が、広島原爆資料館を訪れ、展示や遺品を2時間もかけてていねいに見学し、その悲惨さに強いショックを受け、呆然と立ち尽くしていたという。彼らはその後、広島原爆祈念碑に供花した。
アデレートの監督さんが、以前サンフレッチェでプレーした経験があり、そのとき自分が体験した広島原爆資料館をぜひ選手達にも知ってもらいたいと、見学訪問を実行したらしい。アデレートの選手達から、またオーストラリアの人たちにその経験が伝えられていくことだろう。彼らはきっと、悲惨さだけでなくヒューマニズムとは何かをきちんと伝えられる人たちだと思う。
この記事を読んだとき思ったのは「サンフレッチェ広島」というサッカーチームの存在意義だった。サッカーの楽しさ、すばらしさを伝えるとともに「ヒロシマ」が持つ平和とヒューマニズムの大切さを伝える存在になれるということ。声高に平和や人間愛を言う必要はない。フェアプレーとサッカーの楽しさ、そして市民として地に付いた生き方をしている選手達の姿があれば平和の思いは伝わるだろう。


サッカーは戦争だというサッカーライターもいる。旭日旗を掲げたり、戦争用語を応援幕に書いたりする一部のチームサポーターたちもいる。戦争を知らない人たちの無邪気な行為なのだろうがから目くじらを立てるまでもないのだろうが、自分の故郷サラエボと家族が戦争に巻き込まれたオシムさんは、サッカーは戦争などではないと、きちんと断言している。
サッカーは断じて、戦争ではない。
平和だからサッカーに興じることができるし、戦争ではないのだから、故意に個人や選手を肉体的精神的に傷つけてはいけないのだ。
オシムさんは厳しかったが、選手それぞれには人間的に深い心配りをしてくれた。
今回のW杯で、精神的に血のにじむような苦痛な立場に立たされた中村俊輔に、直接メッセージを届けてくれたり、チーム事情でジェフを放出され困っていた巻の移籍に尽力してくれたという。オシムさんは日本を離れても、教え子たちを一人の人間として尊重し、行く末を心配してくれているからだろう。
オシムさんは、サッカーは選手達でなりたっていることを知っていた。監督は、彼らの成長を手助けする存在だと言うことを伝えていると思う。選手一人一人を大切にすることは当たり前のようだが、今の日本サッカー界が本当にそうなっているだろうかというと、疑問が残る。
今回のW杯でも、本当に選手個人が守られていたか。高地対策は万全だったが、故なく心が傷けられた選手をケアする対策が万全だったのか、ぜひ聞きたいと思う。


選手のケアといえば、最近の暑さへの対応も気になる。
昨日、仙台市で夜7時からのゲームだったが、ベガルタ仙台の朴柱成選手が熱中症で倒れた。大事には至らなかったそうだが、夜とはいえ、この蒸し暑さのなかでプレーするのは安全とはいえないのではないだろうか。
横浜Fマリノスの中沢選手が冗談交じりに暑さの中のゲームで「命が縮む思いがする」と言っていたが、これは、選手の本心ではないだろうか。
犬飼前会長の秋冬制主張は、もしかしたら選手の健康面を考えての側面もあったのではないだろうか。
地域的な不公平ばかりが気になっていたが、選手の健康面への配慮をもう一度考える必要もあるのかもしれない。

8月は、平和や人道的なことを考える機会がたくさんある。
サッカーとは別のものと考えず、もっとシンプルに人=選手を大事にすることを考えてみたいと思う。
by windowhead | 2010-08-08 16:48 | 紙のフットボール

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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