Jリーグ20年はサッカー観戦歴

2013年5月15日、Jリーグが誕生して20年になる。
なんだかんだ言いながらJリーグを見続けて20年になるのね。

ごたぶんにもれず、私も顔サポからスタート。
誰のファンだったか?って…きーちゃんこと北澤豪
ラテン系のドレスダウンが上手なおしゃれさん。
写真集まで買っちゃいましたもん。
きーちゃんやラモスが日本代表に選ばれるから代表の試合もTVで見る。
でも、代表戦より、元旦の天皇杯のほうが好きだったというか、印象に残っている。
特に、1999年のフリューゲルスVSエスパルス
横浜フリューゲルスは優勝したが、チームは消滅した。
「私達は忘れないでしょう。横浜フリューゲルスという、非常に強いチームがあったことを。東京国立競技場、空は今でもまだ、横浜フリューゲルスのブルーに染まっています」NHK山本浩氏のエンディングのフレーズを今でも暗唱できるくらい劇的な出来事だった。

そのころ、横浜マリノスにうつむき加減のひ弱そうな少年がデビューしていた。
見た目は変な子なんだけど、トーキックのループでゴール決めたり、ただ者じゃない。
気になって、マリノスをチェックするようになった。
19歳で代表デビューし、トリッキーなプレーや正確なキックで魅了しつづけてくれた見た目は変な子が、本命視されていた2002年W杯のメンバーからはずれた。気丈に記者会見にいどむ姿を見て、この選手のその後を見ていきたいと強く思った。

中村俊輔がセリエAのレッジーナやスコットランドのセルティックでプレーしている間は、TVで見られる限り彼の出るゲームを見ていたため、Jリーグを見るのはおろそかになっていったけれど、魅力的な選手が出てきたチームをチェックするという感じでJリーグを見ていた。


我那覇選手がドーピングの濡れ衣を着せられた事件で、日本サッカー協会の本性を見た。
反面、このとき最後まで我那覇選手を支え続けたフロンターレサポーターや東日本大震災のとき、いち早く救援物資集めに動いたマリノスやエスパルスなどのサポーターの志の高さと組織力に感動した。
我が街にもこんな市民集団が欲しいと思ったし、活動に参加したいと思った。

そのころ我が街のサッカーチームがJリーグ入りを目指して苦労していた。
選手の技量よりもチームの土台や地域の支援のなさが壁になっているJリーグ入りが先送りになっていた。
そのチームが、今年Jリーグ入りした。
Jリーグ誕生20年目にJリーグ1年目を踏み出したVファーレン長崎。
このチームには声を張り上げて応援したくなる魅力がある。

20年間サッカーを楽しんでこれたのは、中村俊輔や佐藤寿人、椋原健太のように、プレーも人間性もひっくるめて魅力的な選手と出会えていけていることと、応援したくなるチームがあるから。
それは、これからも続いていく。サッカーが日常の中にあることが、案外楽しいものだとわかってきている。
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by windowhead | 2013-05-16 03:04 | フットボール雑感 | Comments(0)