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本好きの快楽:「世界で最も美しい書籍」に会う

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「本木昌造活字復元プロジェクト」記念出版「日本の近代活字ー本木昌造とその周辺」
発行:NPO法人近代印刷活字文化保存会(長崎県印刷工業組合内)
発売元:株式会社朗文堂 A4版 本文454ページ、カラー図版約550点、布クロス上製、ケース付き、定価15000円+税

日本の書籍が、ドイツ・ライプチヒで行われた「世界で最も美しい本展」で最優秀賞に選ばれたというニュースを白牡丹さんのブログ「たまっている幕末関係の記事を一気に」で見た。早速調べてみたら
同展は、権威ある世界唯一の国際ブックデザイン展。今回の受賞は、世界31カ国から628点の中から選出された。中略…受賞作は、ライプチヒ国際ブックフェアとフランクフルトブックフェアで展示されたのち、ドイツ書籍印刷博物館の蔵書となる(印刷新聞より)
らしい。

本のタイトルを見ると、なんと私の街に関連した本ではないか!
近くにあるのなら見たい!見たい!見たい!
早速、NPO法人近代印刷活字文化保存会・本木昌造活字復元プロジェクトの主唱者である本木昌造顕彰会 内田信康会長にお電話して、「見せて欲しい!」とお願いした。快く引き受けていただき、プロジェクトの始まりになった活字復元の資料もある長崎県印刷工業組合をたずねた。

さっそく、見せていただいた本は、真っ白のケースにはいった真っ黒の重厚な本。
本の表紙とケースのデザインはまったく同じでモノトーンの対比になっている。まさに、活字と紙の関係、もしくは活字の母型と活字の関係。
ケースの黒文字を触るとかすかに文字が突起している。まるで紙にインクを盛ったように。
モノトーンのシンプルな表紙デザインだが、この本の中に書かれている事柄の最も本質の部分(本木昌造と彼の仕事に対する敬意)と、その仕事を引き継いでいく人たちの職人気質が伝わってきた。
ブックデザインは、勝井三雄氏。
注目すべきは、印刷・製本が株式会社インテックスという長崎市内にある中堅印刷会社というところ。大日本やトッパンのような日本最大手印刷会社でなくても、地方の歴史ある印刷会社に残っている技術で世界に通用する美しい本を生み出すことができるという事実に感激した。もちろん、大手で印刷したい話があったらしいが、本木昌造による活版印刷発祥の地の技術で印刷したいという内田会長の熱意で、長崎での印刷に決まったそうだが、プロジェクトとしては大きな冒険だったらしい、

主な内容は、日本の近代化の推進に大きな力の1つとなった印刷メディアの歴史をおいながら、その中心となった鋳造活字による活版印刷の導入と普及に大きな役割を果たした本木昌造の仕事を丹念に記録し、多面的に考察したものになっている。
この1冊に、印刷という世界の仕事人たちの知恵と技術がつまっている。

なにより、感動的なのは、「活字」というものの美しさを再認識できることかもしれない。

長崎市の諏訪神社は3300本にもおよぶ木製活字が保存されている。
この木製活字が本木昌造が作った本木活字の母型を作るための原型らしい。
本木昌造は、日本の近代印刷の父。日本語による活版印刷の導入と普及に尽力した人。
幕末の長崎には、印刷の父(本木昌造)と写真の父(上野彦馬)がいたわけだが、なぜか写真の父のほうが全国的に有名で、印刷の父のほうは、長崎市民が小学生のとき、郷土の偉人で学習する程度の評価しかされていない。
印刷業者である内田さんたちには、本木昌造の仕事の評価を高めたいと本木昌造顕彰会を立ち上げ、さまざまに活動してきたらしい。そのなかで、諏訪神社の原型のことを知り、その歴史的意味の大きさを感じながらも、この原型からから当時の方法で活字を復元してみたいと思いにかられ、全国的に呼びかけて本木昌造活字復元プロジェクトを立ち上げたそうだ。すごく歴史的意義のあるプロジェクトだが、どこか、ものづくり職人たちの遊び心が反映されているようでうれしい。
長崎県印刷工業組合の建物の中には、その行程を1から再現した現物や資料が展示されていて、事前に申し込めば作業に支障のないかぎり見学させてくれるという。
本木昌造については長崎県印刷工業組合ホームページに詳しいことが書かれている。

4月に長崎県立美術館が新装オープンする。館長には、美術評論家・伊東順二氏が就任している。メディアアートにも理解のある伊東館長が、「世界で最も美しい書籍」との評価をもらった「日本の近代活字ー本木昌造とその周辺」を収蔵美術品の1つに入れてくれるといいのだが…。1冊の本が美術品と一緒に展示されているのを想像するとちょっといい気持ちになる。


余談だが、組合でいただいた資料のなかにおもしろいものがあった。
日本の近代印刷の年表だ。これによると、日本で最初に活字鋳造をしたのは、江戸の木版彫刻師・木村嘉平らしい。薩摩藩のためだけのもので、普及にいたらなかった。
さらに、興味深いのは、土方歳三と箱舘までいっしょだった大鳥圭介も、縄武館教官になった安政4、5年ごろから和文金属活字の製造と兵法の翻訳出版に取り組んでいる。縄武館陸軍所の教科書や参考書が20冊くらいあるそうだが、その半分くらいは大鳥活字を使っているのだそうだ。福沢諭吉も明治4年に活版印刷で「学問のすすめ」を出したそうだ。しかし、これらの仕事は自分の周辺のためのものであり、印刷技術の普及までは考えていなかったため、技術の伝承は行われていない。
by windowhead | 2005-03-03 18:11 | 長崎と幕末維新

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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