長崎国体とメタセコイア

昨12日から10日間、長崎県の各地で長崎がんばらんば国体が開催されている。
メイン会場は諫早市の長崎県総合運動公園。Vファーレン長崎のホームスタジアムでもあるので私にはおなじみの場所。
ここで、私と同じように2度目の国体を静かに見守っている存在がある。
競技場の目印ともいえる存在。「メタセコイア」だ。
国道57号線沿いに高々とそびえ連なるメタセコイアの並木。この道路と並木は昭和44年に長崎で最初の国体のために整備されたものという。
45年前、植栽されたとき並木のメタセコイアはどれくらいの高さだったのだろう。いまでは10メートルは遥かに超えて伸びやかで美しい。
長崎市松山町の爆心地公園のメタセコイアの並木も1回目の国体頃に植えられたらしい。
当時の長崎は、三菱重工長崎造船所で巨大タンカー建造が相次ぎ、高度成長まっただ中だった。成長が早く、まっすぐに天を目指して伸びていくメタセコイアは当時の機運にぴったりの樹木だったのかもしれない。注意してみると私たちの生活圏の公園や学校にメタセコイアを見つけることができる。案外ポピュラーな樹木だ。

日本中のメタセコイアは戦後育ちだ。昭和24年アメリカから1本の苗と500粒の種が贈られるまで日本にはメタセコイアは存在しなかった。100万年前に絶滅したとされていたメタセコイアの新種が戦後すぐに中国奥地で見つかり「生きた化石」として世界中で話題になった。その種子を持ち帰ったアメリカの研究者が苗木と種子を増やし、それが戦前からメタセコイア研究に尽力した三木博士のいる日本にも贈られたのだ。日本でも種子をもらった大学や植物園などがその株を増やしていき、3代目4代目が広く全国の学校などに贈られるようになったのだ。西城山小学校のメタセコイアはその頃のものだと言われている。

最初に日本に贈られた1本の苗はどこにあるのか?
それは皇居にあるらしい。昭和天皇のお住まいだった吹上御所のお庭に植えられた。昭和天皇は皇居の木々の中でもことのほかメタセコイアがお好きだったそうだ。メタセコイアの和名は「あけぼのすぎ」、御製の和歌にもその名前を詠み込まれている。
45年前、昭和天皇をお迎えした若い「あけぼのすぎ」の並木が、まっすぐ天を目指す巨木に成長して、次代の今上天皇をお迎えしている。
実感できる歴史の流れだ。
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by windowhead | 2014-10-14 00:54 | 長崎なう | Comments(0)