「孤高の守護神==ゴールキーパー進化論」

世間は、降ってわいたようなラグビーブームだ。
昔こんな話を聞いた「イギリスのラグビー校で、サッカーの試合中にとっさにボールを持って走った少年がいて、それがラグビーの始まり」って。
でも実はちょっと違うらしい。その子がボール持って走ったのは今のスタイルのサッカー(アソシエーションフットボール)ではなくて、英国の原始的なフットボールで、手を使ってもいいルールのフットボールもあったらしい。ただ持って前に走るのは禁止だったとか。だから、ラグビーはサッカーから派生したのではなく、地域によっていろんなルールがあった初期のフットボールが近代になるにつれてサッカー(アソシエーションフットボール)やラグビーフットボールなどに整理されてきて今があるということのようだ

サッカーとラグビーの違いは手が使えるか否かという部分もあるけど、私は、それよりもゴールキーパーの存在の有無に大きな違いを感じる。

ゴールする場所の前に立ちふさがってボールをいれさせないように邪魔する役目の人。それがいるかいないかは大きな違いではないだろうか。邪魔する役目って、ちょっとネガティブイメージの役目なんだけど、それを担う人がどんな気持ちでその役割を仰せつかるのだろう。
なんとなくぼんやりと感じていたことを明確に教えてくれた本があった。
「孤高の守護神 ==ゴールキーパー進化論」(ジョナサン・ウィルソン 著・実川 元子 訳 白水社)
イギリスのサッカージャーナリストが書いた本だけあって、サッカーの起源と歴史に関する部分がとても面白かった。
英国では昔からボールを蹴ってゴールに入れるゲームが広く存在し、祭礼などにも使われたらしい。得点する人は昔も今もヒーローだ。ゲームをさらに面白くするために得点を邪魔する人を置こうと考える。みんな得点したいから邪魔する役はしたくない。その役割は当然のように弱小者やみそっかすの子に与えられ、ヒーローたちはその子に向かって嬉々としてボールを蹴る。一人だけ違う色のユニフォームを着せられシュートを体を張って邪魔しなければならない存在。ゴールキーパーはそんなにして生まれた。

この本の原題が「 アウトサイダーズ」であるように、英国では過去にゴールキーパーは異端視されたいた時代があったという。しかし、サッカーがヨーロッパや南アメリカに広がるにつれて、別の見方も出てきた。ロシア出身の作家で詩人のウラジーミル・ナボコフは彼の自伝でこう書いている「たった一人超然と、ボールマウスの前に冷静に立ちはだかるゴールキーパーに、少年たちは魅了され、通りで見かければ追いかける。闘牛士か撃墜王を見るように、人はゴールキーパーを見て憧れに胸を震わせる。(中略)ゴールキーパーは孤独な鷹だ。神秘的で、最後の守護神だ。」
ゴール前で人一倍の勇姿が期待されているゴールキーパーは戦争や政治に巻き込まれることも多かったという。

400ページ近くの本にはヤシンからカシージャスまで世界のゴールキーパーの系譜が詰め込まれているが、最近キーパーに興味を持った私には、オリバー・カーンから後の選手しかわからない。それでもカーンからノイアーまでのキーパーを見ているとゴールキーパーの役割はビッグセーブをする達人から攻撃の起点になるプレーもできるプレーヤーに進化が求められてきていることくらいはわかってくる。

この本の中で、私が考えているゴールキーパーの姿をもっとも言い表しているなあと感じた文章があるので、引用してみたい。

「ゴールキーパーほど運命の気まぐれに恒常的に向き合っているスポーツ選手はほかにいない。曲がってくるボール、イレギュラーするバウンド、一陣の突風、瞬間的な判断ミス、誉めるしかない無いみごとなシュート、そんなものが試合中の彼の奮闘を一瞬で帳消しにする。
結局ゴールキーパーは考える時間を与えられ、一人で思い悩む選手なのだ。だからゴールキーパーは危機をいたいほど感じる。ミスを忘れるために、走ったりボールを追いかけたり蹴ったりすることはできず、ひたすら待つしかない。しかも恒に敵の攻撃にさらされ、恒にじっと考えていなくてはならない。…」


そういえば、我がチームが得点した時、キーパーがどのようにしているのか、しかと見たことがない。自陣のゴールの前を動くことができない彼は、得点を喜ぶ仲間たちの輪の中に入ることができない。飛んで行って讃えたい気持ちをぐっと抑えて小さなガッツポーズをしているのだろうか?それとも賞賛の拍手をしながら自分ならどう守れたかとそのシーンを頭の中でリプレイしているのだろうか。一度しっかりと我がチームの守護神の喜びかたを見たいとおもっているのだが、ゴールが決まった途端そんなことは忘れてハイタッチの雨嵐に身を任せている。
自陣が危機のときしかそのプレーを集中してみてもらえないからか、キーパーはどこか人から少し離れたところを好む孤独な人にみえたりする。単純なのか複雑なのか、彼らの心を覗き見たくなる。


最後にとっても興味深い文章を
「知識人にゴールキーパー経験者が多い。フランスのノーベル賞作家アルベール・カミュ、帝政ロシア生まれの詩人ウラジーミル・ナボコフ、フランスの作家・随筆家アンリ・ド・モンテルラン、英国の作家イブリン・ウォー、ジュリアン・バーンズ、…。
アーサー・コナンドイルはポーツマスでプレーした。喘息だったチェ・ゲバラはゴールポストの後ろに吸入器を置いて、それで呼吸を整えながらプレーした。また宗教界にもゴールキーパー経験者がいてアマチュアのレベルで活躍していた人もいる。教皇ヨハネ・パウロ二世もその一人だった」

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「孤高の守護神 ==ゴールキーパー進化論」(ジョナサン・ウィルソン 著・実川 元子 訳 白水社)
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Commented by Hiro at 2015-09-28 22:43 x
ゴールキーパー進化論、長崎の守護神、大久保選手も進化していますね。でも、まだ進化の途中でもっと進化すると思います。栃木戦はビッグセーブ!いやいやあれが当たり前!かな~。
金沢戦のゴール後の択生選手を見て、写真に撮りました。小さなガッツポーズしてました。今度ブログに載せましょうかね。
(ラグビーの起こり、そうだったんですね。勉強になります)
Commented by windowhead at 2015-09-29 07:07
Hiroさん、コメントありがとうございます。
大久保選手の進化は長崎に来てくれたときからずっと応援してきた者として、本当にうれしい姿です。彼を見続けてキーパーの内面というのにも興味が湧いてきました。キーパーコーチとの関係やスタッフとの関係も良好なのでしょうね。
ガッツポースでしたか!写真見たいです。ブログに掲載されたときは、ぜひおしえてください。公表を控えたいときは非公開コメントでこっそりと、おねがいします。
Commented by Hiro at 2015-09-29 12:34 x
こんにちは。大久保選手のガッツポーズは小さくではなく、普通にしていました、よ~く画像を見たら。画像自体が小さく顔は誰か分からない感じです。でも肖像権の問題があるのでぼやけていた方が良いようですね。
ブログを書きました、ULRも貼っているので良かったら覗いて下さい。公表もコメントもOKです。今度のホームで何度も大久保選手のガッツポーズ見たいですね。それにはV・ファーレンの複数ゴールが必要ですね。
Commented by windowhead at 2015-09-30 11:29
Hiroさん、ブログ覗いてきました。
写真ありがとうございます。でかいガッツポーズでしたね。ほんとに、彼のビッグセーブも見たいけれど、ガッツポーズのほうをたくさん見たいです。
by windowhead | 2015-09-28 15:50 | 至福の観・聞・読 | Comments(4)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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