会津藩御用達商人 足立仁十郎の墓

b0009103_1204812.jpg
会津藩御用達の豪商足立仁十郎は、長崎を拠点にしていながら長崎ではほとんど知られていない。会津の人には信じられないだろうが決しておおげさなことでない。長崎でアトランダムに100人に聞いてもおそらく1人も知っている人はいないだろう。
賊軍の象徴・会津藩の御用達だったことが足立家を長崎の歴史の表舞台から抹殺することになってしまったのだろう。それでも、会津和人参の貿易を取り仕切っていた長崎会所の記録などに足立仁十郎のビジネスのようすが残っているようだ。

会津藩は享保年間ごろから、藩内で朝鮮人参の栽培に取り組み、幕末には会津和人参の名前で清国に輸出していた。価格と出荷の安定を図るために輸出の取りまとめを幕府に要請し、幕府は長崎奉行をとおして長崎会所に任せた。この貿易を一手にひきうけたのが長崎の豪商足立仁十郎だった。
足立家の屋号は「田辺屋」。田辺屋は、当時の東浜町(現在の浜町アーケードのど真ん中あたり)に100坪以上の店構えだったらしい。(長崎には榎津町に「海老屋」という屋号のもう1軒の足立家があったが、こちらは柳川藩御用達だったと子孫の方から聞いた。)
こんなに繁盛した豪商が明治維新急速に衰え消えていったのには、それなりの理由があるのだが、それはまたの機会にゆずるとして、家屋敷は消えてしまっても墓所は残っているはずと言うわけで調べてみた。

b0009103_1213977.jpg我が家のある風頭山のふもとに「黄檗宗聖壽山祟福寺」という唐寺がある。赤い竜宮門で有名な観光名所だ。ここの墓所に足立家の墓があった。
昔の長崎の墓所独特のアーチ型の門構えの中に足立仁十郎とその息子など一族の墓碑が立っていた。仁十郎の墓はやや大きい。墓標によれば、足立仁十郎智義は明治14年9月7日に81歳で亡くなっている。墓標に刻まれた家紋は花菱。
ご住職の話では、足立仁十郎ゆかりの人々は、長崎にはおらず、すでに家系も途切れているらしい。それでも、ときどき、会津藩士縁の人や会津からの旅行者が仁十郎の墓をたずねてくるらしい。
足立仁十郎。
まだまだ彼の後姿を垣間見たようなささやかなかかわりだが、追いかければもっと魅力的な事柄にであいそうだ。
[PR]
Commented by Aki_1031 at 2005-11-01 12:22 x
windowheadさん、すごいです~!
もう参拝されたんですね、仁十郎さんのお墓。随分ご立派ですね…。

>繁盛した豪商が明治維新急速に衰え消えていった
うう、何があったんでしょう?! 激しく気になります~。
あれほど幅広く商いをしていたのに、家系も途絶えてしまっているって一体…???
機会があったら、ぜひ記事にアップして下さいませ!
Commented by windowhead at 2005-11-02 01:14
足立仁十郎の墓がある唐寺は私が住んでいるところのふもとです。お墓を見つけることができたのは、長崎の本間さんという研修者さんのおかげ。この方だけが足立仁十郎を知っていたのです。たった1冊だけ長崎にある足立仁十郎伝という本を見つけることができそうです。今後わかったことはアップしていきますね。
Commented at 2011-06-10 20:26 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by windowhead | 2005-10-30 01:21 | Comments(3)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


by windowhead