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5月5日と土方歳三

5月5日は土方歳三が生まれた日にちだ。
土方は、天保6年(1835年)5月5日に生まれている。これを新暦に直すと1835年5月30日になるらしい。
生まれを旧暦で顕すか新暦に直すか、さまざまな説があるだろう。
しかし、こと土方に関しては「5月5日」であることが大切な気がする。

5月5日は、端午の節句。江戸時代になると、5月5日は徳川幕府の重要な式日に定められ、大名や旗本が、式服で江戸城に参り、将軍にお祝いを奉じていたし、将軍に男の子が生まれると、表御殿の玄関前に馬印(うましるし)や幟(のぼり)を立てて祝っていたらしい。
すでに庶民にもこのような情報は届いていて、武家の幟に対抗して、町方では紙製の鯉幟を揚げて祝ったらしい。

このように、男の子にとっては、一番晴れがましい日・5月5日に生まれているのだ。
他の月日ではない、5月5日という特別の日に生まれた自分に何かの運命を感じないわけはないだろう。

そんな日に生まれたのに、なぜ、武家ではなかったのか。なぜ武士になれないのか。まだ小さい頃の土方が、人生ではじめての不条理にぶちあたった。成長していくにつれても、この不条理に納得のいく答えをくれる人はいない。そのいらだちから、自分で矢竹を植えたり、剣術を習ったりと必死に武士の形を追うようになっていったのかもしれない。
土方の、あのちょっとはすに構えた性格もぶっきらぼうさも、その不条理に打ち勝つすべを持たない苛立ちとあきらめが作ったものかもしれない。

様々な記録に残る若い頃の土方の一途すぎて切なくなるようなな武士への憧れの行為。それらには、ただ単に無邪気な憧れだったとか、多摩の戦国武士の流れを汲んだ風土がなせることとは言い尽くせない、歯軋りさえ聞こえるような必死さがある。

「5月5日」という日に生まれてなかったら、土方はまったく違った人間になっていたかもしれない。そんな気がしてしまう。

若い頃、自然や生活を織り込んだ発句をたくさん残した土方。梅も牡丹もナズナさえも詠んだ土方の句に菖蒲や杜若がでてこない。なんの屈託もなければ勇壮な鯉幟や真っ直ぐに立つ杜若の清々しさは若者のうたごころをそそったはず。あえて無視して、通り過ぎたような気がしてならない。

5月5日生まれの土方は、明治2年5月11日にその生涯を閉じる。
その1年前の5月30日、沖田総司が孤独な死を迎えている。

新選組ファンにとっては、5月は特別な想いの重なる月だ。
by windowhead | 2006-05-05 15:22

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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