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佐々木只三郎の鎖帷子が出てきたらしい

久しぶりにブログを渡り歩く時間ができた。
「白牡丹のつぶやき」さんの幕末情報のなかで、「佐々木只三郎の鎖かたびら発見 京都で10月に公開 戊辰戦争で着用か」という京都新聞電子版(6月15日)の記事の抜粋が紹介されていた。

内容をかいつまんでみると、只三郎が戊辰戦争で着ていたと見られる、佐々木家の家紋入りの鎖帷子が発見された。
亀山市の民家に保存されていたものらしい。
この鎖帷子は、麻布で覆われた冬用で、佐々木家の家紋ひし形の「四つ目結」が紺で染め抜かれている。弾痕を縫い直した跡が多数あるほか、右脇腹に血痕、左肩に刀で切られたとみられる裂け目が残っている。 (京都新聞記事抜粋)とのこと。
写真も掲載されていたが、右わき腹の血痕のようなものが生々しくみえる、
すごいものが見つかったなあ。

佐々木只三郎は、鳥羽伏見の戦いの中、1月6日、八幡堤で右わき腹に被弾し、部下と一緒に紀州に落ち延びたが、その傷のために死亡したらしい。
小太刀を執らせると敵なしと言われた剣客であった只三郎。鳥羽伏見の戦いの最中も、甲冑を脱いで斬り込んでいた只三郎は、近所の酒屋に飛び込んで酒を所望し、そのお礼として襖に和歌を書き付けたという。

「世はなべてうつろふ霜にときめきぬ こころづくしのしら菊のはな」

戦さの最中に詠んだ歌とは思えないほど、美しい歌。
(個人的には、幕末維新の人々の和歌の中で、一番すばらしいと思っているのだが…。)
結局、この和歌が彼の辞世になる。

この和歌が書かれた襖は、昨年秋、霊山歴史館で催された「「龍馬をめぐる人々」展の中で展示されていた。戦場にあって、落ち着いて書く暇もなかっただろうから、一気に書き飛ばしたような乱れや勢いの激しい文字だったが、やはり上手かった。しばらく、その前で動けなくなるほどだった。この時の展示のなかで、龍馬のものより、この襖と、同じく只三郎の筆による条福が一番印象的だった。それほど、歌も書も優れていた人だったのだ。

今回見つかった鎖帷子は、霊山歴史館の秋の企画展で公開されるらしい。
そのとき、おそらく辞世が書かれた襖も再展示されるのではないだろうか。

血に染まった鎖帷子と襖2枚に書かれた和歌。
佐々木只三郎の壮絶な最期を見せ付けられるような展示になることは間違いなさそうだ。

ああ、秋にはぜひとも京都に行かねばなるまい。
そういえば、着物仲間と京都行きの企画があったぞ。この企画実現させなければ。
by windowhead | 2006-06-18 15:26 | 新選組!な人々

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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