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町の映画館で見たい映画「あの日の指輪を待つきみへ」

久しぶりに長崎の繁華街にあるたった1つの町の映画館「長崎セントラル劇場」で映画を見た。
長崎には、つい数年前まで町の映画館がいくつもあったが、ひとつ消え、ふたつ消えして、ついに「長崎セントラル劇場」ひとつになってしまった。(本当はもう1つポルノ専門館はあるのだけど…)
私が言う町の映画館というのには、シネマコンプレックスは入らない。
長崎にもスクリーン数が10くらいあるシネマコンプレックスが2館ある。だから、上映される映画の数が減ったわけではないが、なぜかシネマコンプレックスで観た映画というのは、記憶に残りにくい。
つい1週間前もシネマコンプレックスで「20世紀少年」を見ていたが、それほど強いインパクトが残っているわけではない。映画自体は、原作を19巻までは読んでいたこともあって楽しめたし、続編も観たいと思っているのだけど、この映画を観たと言う行為が記憶から薄れている。
きっと映画館の持つ雰囲気というのがあり、私にはシネマコンプレックスよりは 町の映画館がフィットするのだろう。

昨日、町の映画館で観たのは、「あの日の指輪を待つきみへ」という、たいへん覚えにくいタイトルの映画だ。

1992年のアメリカ。なぜか家族に心を閉ざしている老婦人の元に北アイルランドから「あなたの名前が刻まれた指輪を掘り起こした」という電話が入る。
老婦人には、50年前、輝かしくも悲しい青春があった。彼女は3人の青年たちのマドンナ。3人の青年たちは彼女に恋心をいだきながらも、彼女が愛した一人に彼女を譲り、2人は死ぬまで彼女を見守るナイトに徹するという青年らしい約束をかわす。そしてアメリカの参戦。航空兵だった青年たちは戦地へ飛び立つ…。
1992年のベルファストの丘の上で、戦争の残骸を掘る老人。それを手伝った少年が指輪を掘り起こす。その指輪から、老婦人やそれを取り巻く人々の過去に封じ込めた思いが開放されていく。
そのようなお話。

映画の中には2つの時代がある。
1940年代と1992年。
1992年は現代ととらえていいと言われるかもしれないが、舞台の1つがベルファストであるということから、1992年ももうひとつの歴史の時代だろう。
この映画のポスターやチラシに書かれているコピーに少し注文を付けたい。
「アイルランドの丘で発見された指輪…」
「…ある日突然アイルランドから知らせが届く。」
これは、「アイルランド」ではなく、「北アイルランド」とするべきではないのかと。
1992年頃のベルファストは、あの北アイルランド紛争の最中。イギリス陸軍と北アイルランド警察の連合軍とIRAとの武力衝突が激しくなり、ベルファスト市中では、日常的に爆弾テロや市民も巻き込んだ殺戮が続く非常事態の街。この紛争は1998年のベルファスト合意によるIRAの武装解除まで続いていく。
この映画のもう1つの舞台となったベルファストは、その非常事態の最中なのだ。


シャーリー・マクレーンやクリストファー・プラマーというアメリカ映画の名優が登場し、美人女優ミーシャ・バートン、美男子男優たちのアメリカ部分の華やかな美しさに比べて、ベルファスト部分は実にリアル。そのリアルさのなかに、名優ピート・ボスルスウィトが登場する。
なぜだろう、無骨な労働者階級の代表のようなこの俳優さんが登場しただけで、この映画はシリアスだがその向こうにはきっと小さな希望が見えるはずだと思えてくるのだ。

監督はリチャード・アッテンボロー。すでに80歳を越えているのでは。
ロンドン王立演劇学校出身、ハリウッド映画界で大成功を収め、母国英国王室からナイトの称号を受けた大物監督が、あえて2007年にこの作品を作ったのはどのような心境からだったのだろう。
それが一番知りたい。

堂々とした監督やキャストによる庶民の歴史の物語。
街の映画館の暖かな暗闇の中でゆっくりと観るのが似合う映画だと思う。
by windowhead | 2008-10-13 13:12 | 至福の観・聞・読

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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