カテゴリ:長崎なう( 20 )

「五平太」からタイムスリップ

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昨日あるパーティに参加したが、そこでケータリングを担当していたお店の名前から、ひさしぶりに10年前ごろ躍起になって調べていたことを懐かしく思い出した。
そのなまえは「五平太」で石炭のこと。
炭坑があるところでは五平太伝説というのがあるらしいが、長崎の五平太は、徳川綱吉の時代に平戸領民五平太が高島で石炭を採掘、付近の塩田へ供給したことで、石炭のことを五平太と呼ぶようになったというもの。「高島炭坑史」のなかにも書かれている。

10年以上前、私が高島炭坑史を読んだわけは、山脇正勝という人物に興味を持って調べていたから。
山脇が高島炭坑に関わったのは、明治14年ごろから。岩崎弥太郎が高島炭坑を譲り受け経営に乗り出し三菱炭坑長崎事務所を設置し、、外国人と日本人1名づつが所長として送り込んだが、その日本人が山脇正勝。その前は三菱の上海支店長をしていた人物だ。のちに岩崎弥太郎が長崎造船所を政府から譲り受けた時は高島炭坑所長と三菱造船所の初代所長を兼務したなんともすごい人のなのだ。
この人は、桑名藩の家老の息子だったが、明治維新、故あって国許に帰れず、アメリカに渡り、そこで岩崎弥太郎と知り合っている。
なぜ国許に帰れなかったか。いろいろ事情があったが、一つは彼は朝敵だったということもあるだろう。幕末桑名藩の藩主は会津藩主松平容保の実弟・松平定敬で、藩はすでに新政府側についたが、定敬と彼の側近たちは徹底抗戦で、榎本武揚や土方歳三たちと一緒に箱館(函館)に渡った。山脇正勝は定敬の小姓の一人だったので、主君を追って箱館に渡り、箱館で新選組隊士となって、弁天台場に立てこもって戦っている。新選組といっても、箱館に渡ったときは京都時代の隊士たちは数少なく、その隊を「箱館新選組」という呼び方で分けているが、もちろん土方歳三以下、歴戦の猛者たちが集まった精鋭戦闘集団だったことはかわりない。その頃の山脇の偽名は「大河内太郎」。新選組隊士名簿にもその名が残っている。

もう10年以上前だが、三菱経営となった高島炭坑や長崎造船所の初代の所長が新選組隊士だった!という事実を知ったとき、初めて郷土史への興味をもったし、まだまだ研究されていない事柄がたくさんあることを知った。そして、その頃の長崎県令(知事)と長崎市長が会津藩士だったことも。

「五平太」というお店の名前からひさしぶりに幕末明治の長崎への興味を思い出した。
幕末明治を語るときの私のスタンスは、明治新政府によって無能者扱いにされた旧幕府側大名やのテクノクラート、知識人、その人たちと学びあった無名の人たちの功績をきちんと掘り起こすこと。
いま執筆参加のお誘いをいただいている共著本でも、長崎をテーマにしたいと思う。
幕末明治の長崎はおもしろい。

山脇正勝に就て10年前にこのブログに書いたり、自分のホームページ「長崎微熱」に書いた文章へのリンクを少し載せておきます。興味をお持ちの方はご覧ください。
三菱長崎造船所初代所長は新選組隊士だった!http://50s.upper.jp/coram/coram-naga3.html#naga3sono3
明治中期、長崎の近代化に貢献した三人のサムライ http://50s.upper.jp/saiken/samurai.html
「幕末の桑名」 重工業と金融業の基礎を築いた新選組隊士たちがいた。http://westcoast.exblog.jp/4998383/
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by windowhead | 2017-01-21 14:09 | 長崎なう | Comments(0)

長崎国体とメタセコイア

昨12日から10日間、長崎県の各地で長崎がんばらんば国体が開催されている。
メイン会場は諫早市の長崎県総合運動公園。Vファーレン長崎のホームスタジアムでもあるので私にはおなじみの場所。
ここで、私と同じように2度目の国体を静かに見守っている存在がある。
競技場の目印ともいえる存在。「メタセコイア」だ。
国道57号線沿いに高々とそびえ連なるメタセコイアの並木。この道路と並木は昭和44年に長崎で最初の国体のために整備されたものという。
45年前、植栽されたとき並木のメタセコイアはどれくらいの高さだったのだろう。いまでは10メートルは遥かに超えて伸びやかで美しい。
長崎市松山町の爆心地公園のメタセコイアの並木も1回目の国体頃に植えられたらしい。
当時の長崎は、三菱重工長崎造船所で巨大タンカー建造が相次ぎ、高度成長まっただ中だった。成長が早く、まっすぐに天を目指して伸びていくメタセコイアは当時の機運にぴったりの樹木だったのかもしれない。注意してみると私たちの生活圏の公園や学校にメタセコイアを見つけることができる。案外ポピュラーな樹木だ。

日本中のメタセコイアは戦後育ちだ。昭和24年アメリカから1本の苗と500粒の種が贈られるまで日本にはメタセコイアは存在しなかった。100万年前に絶滅したとされていたメタセコイアの新種が戦後すぐに中国奥地で見つかり「生きた化石」として世界中で話題になった。その種子を持ち帰ったアメリカの研究者が苗木と種子を増やし、それが戦前からメタセコイア研究に尽力した三木博士のいる日本にも贈られたのだ。日本でも種子をもらった大学や植物園などがその株を増やしていき、3代目4代目が広く全国の学校などに贈られるようになったのだ。西城山小学校のメタセコイアはその頃のものだと言われている。

最初に日本に贈られた1本の苗はどこにあるのか?
それは皇居にあるらしい。昭和天皇のお住まいだった吹上御所のお庭に植えられた。昭和天皇は皇居の木々の中でもことのほかメタセコイアがお好きだったそうだ。メタセコイアの和名は「あけぼのすぎ」、御製の和歌にもその名前を詠み込まれている。
45年前、昭和天皇をお迎えした若い「あけぼのすぎ」の並木が、まっすぐ天を目指す巨木に成長して、次代の今上天皇をお迎えしている。
実感できる歴史の流れだ。
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by windowhead | 2014-10-14 00:54 | 長崎なう | Comments(0)

ランタンが終わるといよいよJリーグ!

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長崎ランタンフェスティバルも今週いっぱいかな。
終わるといよいよJリーグ開幕間近
22日は早速ゼロックススーパーカップだ。
今回はサンフレッチェ広島VS横浜Fマリノス!!!
私に取っては最高のカード。

サッカーファンにとってはランタンよりフォルランみたいだが、長崎に住むものとしては、一応ランタンの写真くらいはアップしておかなければなるまい。
ということで、ごちゃごちゃとりまぜて長崎の冬を締めくくりまする。

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ランタンメイン会場の湊公園近くに唐人屋敷がありますが、その方向に進むとすぐ右側から美味しそうなにおいが漂ってきます。
新鮮な牡蠣を焼いているテントが!
そこで牡蠣を焼いているのは…なんと!…なんと!
Vファーレン長崎応援グループのコールリーダーさんではありませんか!!
テントのなかには、Vファーレンの今シーズンの日程や新入団選手名などが模造紙に書かれてはりだしてあります。
コールリーダーさん、とても気さくな方でした。
Vファーレンファンのお一人様、おばさま、新人さん、ゴール裏に行きたいけれどちょっと敷居が高いなあと思っている方々、牡蠣小屋でコールリーダーさんに会ってみてはいかがでしょう。
絶対に、ゴール裏にいきたくなりますよ。
私も今シーズンは少なくとも札幌戦と磐田戦はゴール裏です。
じゅんきとよしかつに、前者にはブーイングを後者にはリスペクトを送ります。
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by windowhead | 2014-02-13 19:03 | 長崎なう | Comments(0)

ご無沙汰してたら行方不明になったモニュメント


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先週金曜日、長州から同好の志が来崎した。

b0009103_1315378.jpgお天気もよく、史跡巡りにはもってこいの日
復元の観光丸に乗船するのは私も初めてで、おばさんふたり、海軍伝習生に思いをはせる。
海軍伝習生というと、勝や榎本、人によってはなんの関係もない坂本龍馬まで持ち出してくるのが観光ずれした(ごめん)長崎の観光案内なんだけど、そこはスパッと龍馬などは切り捨てて、船と技術目線。
下船後は、海側から眺めた三菱重工長崎造船所史料館へ。
幕府海軍伝習の革新的なもう1つの拠点だもの長崎熔鉄所は。
長崎海軍伝習所がその後の築地の海軍操練所や龍馬が関わった神戸海軍操練所とは全く違うところは、長崎だけは外国人から直接指導を受けているところだ。長崎熔鉄所もしかり。
造船についてはその前、安政の大地震で遭難したプチャーチン一行が幕府の許可を得て戸田村でヘダ号建造にあたった前例はあるけれど、蒸気機関などの技術を直接外国人から指導を受けたのは長崎熔鉄所が最初でしょう。
同好の志は、史料館の展示物はもとより、その外観、特にレンガ作りの美しさに感無量のご様子だった。
その後、戊辰戦争、台湾出兵、西南戦争で傷病死した兵士を祀った梅香崎・佐古招魂墳墓を訪ね、中無田倉之助の自伝に書かれている朝陽艦戦死者供養の碑(正式な名称はわからない)を探したが、見つからず。この碑がどこに建てられたか、その後どうなったか、継続的な調査事項としてのこった。

その後東山手の洋館をそぞろ歩きながら、「そういえば昔長崎遊学者の名前を刻んだ碑があったようだけど、長崎海軍伝習所の伝習生の名前もそこにあるのでは?」というと、同好の志は、激しくそのつぶやきに飛びついた。
そこで、その碑をさがすことに。
「長崎遊学の碑」だったかな(実は、長崎遊学の標が正しい名称だった)
20数年前の長崎旅博覧会のとき、会場に建てられた大きな彫刻物で、遊学の徒数人の姿とその周りを長崎に学問に来た人々の名前などが出身地別だか、学問の分野別だかに分けられて彫り込まれたプレートのような台座が周囲を取り囲んでいた。かなり大きなモニュメントだった。
松が枝あたりにあったはず。四海楼あたりだったか、松が枝埠頭だったかと、探しまわったがついにそれは見つからなかった。
途中でネットにつないで検索をかけたら、「長崎遠めがね」というサイトに情報があった。松が枝の大型観光船発着ターミナルを作るとき、撤去されたという。
大型観光船用の埠頭はかなり広い。そこにあのモニュメントがあって、どんな不都合があったのだろうか。撤去されたと書かれているが、どこかに移設されていないのだろうか。移設場所を求めてどこかに保管されていないだろうか。
長崎遊学には全国津々浦々から思いもよらない偉人たちが来ている。長崎観光に来た人たちが、この碑の前で、自分たちの故郷の偉人の名前と出会う楽しみもあっただろうに。
小さな驚きや感動を享受できる場として、このモニュメントにはまだ役割があっただろうに。
10年近くも気に留めなかったつれない私が言うのもなんだが、石碑やモニュメントは建てられたら永遠にそこにあるものではないのだ。
何かの都合で取り払われたりすることが普通にあるということ。

「長崎遊学の標」について、ご存知の方、台座にきざまれた遊学者の名前などがわかる設計図など当時の資料をお持ちの方、資料のある場所をご存知の方がいらしたらいいのだが。

行方不明のモニュメント、どうかどこかの倉庫か広場に保管されていますように。
いや、もうどこかの廃棄物処理場の隅っこでもいいや、壊されることなく眠っていますように。
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by windowhead | 2013-11-27 13:17 | 長崎なう | Comments(2)

2013ご利益ヨロシク!

初詣なのよね、世の中は。
しかし、私は昨日は天皇杯サッカーで、今日は箱根駅伝みている。
これはまさに寝正月オッサンの行動パターン、…だけどやめられない。
初詣はというと、自分勝手に旧正月に詣でますってことにしている。
だってさ、混雑する神社でちゃっちゃとお参りするのはいやだもん。
神社ではゆっくりとして気持ちをつくりたいからさ。
今年は、2月10日か。
2月の節分に昨年のお札なんかをお返しして焚いてもらって、旧正月元日にお参りして新しいお札をいただく。
ものぐさ者が勝手に考えたやりかた。

みなさん、年に何回神社に詣でるのだろうか。
正月だけの人も多いかもしれない。
ならばちゃっちゃとお賽銭あげてかしわで打ってお祈りして、おみくじ引いてちょっとはしゃいで終わるのではもったいないよね。
長崎の諏訪神社には、面白いご利益スポットがあるんだし。
諏訪神社の面白ご利益
・「恵美須・大黒縁結び・恋占い」
 7メートルくらい離れて向かい合っている木製の大黒様と恵美須さまの間を、目をつぶって恋しい人のことを思いながら歩き、それぞれの像の前にたどり着けば恋愛成就とのこと。
・止め事成就の狛犬
 拝殿裏にある狛犬さん。足に包帯をしているの?とよく見れば、膨大な数の紙縒り(こより)。備え付けの紙縒りを巻き付け辞めたいことをお祈りするらしい。
禁酒、禁煙…今の恋をやめたいって?ご利益あるかどうか、試してみては
・高麗犬の井戸
 狛犬の口からでている水でお金を洗えば倍になって帰ってくるとか。
・縁結びの陰陽石
 女石、男石、両性合体石の3つを決められた順序で踏んでお参りすると願いがかなうらしい。四の鳥居、一の鳥居、拝殿前とある場所が離れているので、踏み間違わないことね。

b0009103_14403535.jpg諏訪神社の近くにある松の森天満宮もぜひお参りしたい。
子供のころ、うちの母は諏訪神社はそこそこに、私と弟の手を引っ張って松の森天満宮にまっしぐら
「ここは勉強の神様やっけん、まじめに祈らんばいかんよ!」と、諏訪神社より多めのお賽銭の渡してくれましたっけ。
昨年の晩秋、久しぶりに松の森神社を訪れました。変わらないなあ。時間が止まったみたいに懐かしい場所。


女性向けの一押し初詣スポットなら
長崎鎮座八坂神社
なんてったって、美人になれるというお稲荷さんがあるんだから。
八坂神社は安産祈願や初宮参りでも人気の神社。安産祈願は、御祭神の応神天皇(八幡大神)の母・神功天皇が大陸から帰国したとき腹帯をして筑紫の宇美(産み)の浜で無事、天皇を生んだという故事に由来しているらしい。
美人になれるお稲荷さんは、本殿の右横に。小さな赤い鳥居がかわいらしい。
櫻姫美人稲荷大明神
 名前にあやかってか、若い女性の間で、隠れたパワースポットになっているらしい。
ただ、残念なのは、八坂神社は商売っ気がないのか、美人にあやかったお守りやグッズがぜんぜんないのね。「顔を抑えるごとに美人に近ずく脂取り紙」など作ればかなり儲けると思うんだけどなあ。(お正月早々、生臭い話は品がないですね。)
このそっけなさが案外ご利益の信憑性を高めているのかも。
お隣に清水寺もあって、ここも安産祈願。さらに、良縁祈願できる「奇縁氷人石」がある。

美人も安産もお願いするには遅すぎる年齢になったけど、お願いすることはまだまだいっぱいありそうな2013年。
ことしは、言霊に託そうかなと思ったりしている。
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by windowhead | 2013-01-02 14:42 | 長崎なう | Comments(6)

初夕日

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長崎の元旦は今一つのお天気だった。
マリノスが負けた時点で天皇杯は見ないぞと思っていたけど
やっぱり元旦のサッカーやめられない。
柏レイソル、強いというか堅かったなあ。
これは勝つチームだわ。

夜はお正月のお楽しみ!「ウルトラマンDASH」
今年の俊輔は水上を走る船の上でFK蹴って25メートル先の対岸の家の窓にボールを入れるという課題にチャレンジ。水の上でおまけに時速15キロくらいで走っている船の上からターゲットを狙うってかなり難しいよね。
きっとだれもやったことがないはず。
5球蹴って結果的には、窓には入らなかったが、最初の試し蹴り以外は「惜しい!」の連発
ご本人はかなり悔しかったはず。
今日の放送を見た息子さんたちからも、ダメだしされているかも。
これで来年も登場ですね。
そういえば、数年前のやべっちFCのFK対決でやべっちに負けた俊輔君は、土下座してもう1回対戦させて~~とお願いし、スコットランドでリベンジ。この対決はここでも終わらず、他の選手たちもやべっちにFK対決を所望するほどの人気コーナーにしてしまったっけ。

34歳になっても、キャプテンになっても、相変わらずのチャレンジャー。
失敗して落ち込んだり悔しがる姿も味があって、見ていて楽しい。
明日も明後日も俊輔登場番組があるようだ。
視聴率が取れるアスリートなんだね。

今年こそ、俊輔のFKが決まるのをスタジアムで体験したいな。
鳥栖で決めてね!とは 気が早いかな。
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by windowhead | 2013-01-01 18:02 | 長崎なう | Comments(2)

久々に港

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雲一つない冬の青空に曳かれて港のほうへ

ボア付きの襟に頬をうずめてウッドデッキを歩く人を眺めていたら、なぜか昔見た「男と女」という映画のシーンを思い出した。
ジャン・ルイ・トランティニヤンとアヌーク・エーメが演じる男と女が冬の海岸のデッキを歩く人々を見ながらジャコメッティのエピソードを話すシーン。
デッキを歩く人たちの姿がまるでジャコメッティの彫刻のようだったことが印象に残っている。
あの海岸よりずっとおだやかだった今日の長崎港。


港に至る少し前、青空を見上げると、はるか上空に黒い浮遊物体が見えたけど、あれはなんだったんだろう。
小さすぎてよくわからなかったけど、テトラ型の牛乳パックのような形をした黒い気球みたいなもの。一面だけキラキラと反射しているように光っていた。気球や飛行船みたいな速さで動いていたけど、気球や飛行船よりもっと上空にあったように見えた。
携帯で撮影してみたが、残念ながら黒い点にしか映ってないや。
目的地が反対方向だったので、その後どのようになったのかわからないが、15分くらいたって振り返ったらもうその物体は見えなかった。
なんだったんだろうね。
なにか計測用の気球だったのかな。


テレビの中で、チェルシー、チェルシーってうるさいの。
中継するTVの司会者もゲストもみんなチェルシー一辺倒。
チェルシーの選手紹介は写真入り、対するモンテレイの紹介は文字だけ。
そんな不公平さは意図的だったの?まるで日本はチェルシーのホームだといわんばかり。ホスト開催国として、礼を欠いていませんか。
昨年はバルサを応援して、その2年くらい前はマンUを応援して、今年はチェルシー。
マンUもチェルシーも応援できる感覚がわからないな。
決勝は、コリンチャンス勝てよ!
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by windowhead | 2012-12-14 01:36 | 長崎なう | Comments(0)

ひさしぶりの浦上

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浦上天主堂前の公園にもメタセコイアがあった。

この場所は、原爆中心地から北東に500メートルくらいのところ
原爆投下で一瞬にして消えてしまった町
当時のレンガ造りの天主堂も爆風で一瞬でがれきになってしまった。
そのとき吹き飛ばされた鐘楼の屋根が天主堂横の川の土手に当時のまま保存されている。
当時浦上地区には9000人ほどのカトリック信者の方がいたそうだが、原爆によって2000人になってしまったそうだ。
浦上のカトリック信者の人たちにとって悲願であった新しい教会は原爆で破壊された建物と同じ形の丈夫なコンクリート造りで再建された。
中学、高校生時代を浦上地区で過ごしたので、コンクリートの浦上天主堂は思春期の思い出の中にたびたび登場する。天主堂の裏庭のようなところでヘルマン・ヘッセの「郷愁ペーター・カメンチント」や「デミアン」を読んだり、ビートルズを語り合った相手はだれだったっけ?
その後、再び改修され最初のレンガ造りのイメージに近い今の姿になったようだ。

このメタセコイアの樹はいつごろ植えられたのかしら。
メタセコイアって、第二次世界大戦後に日本で植えられるようになった樹木。
長崎でこの木が多く植えられたのは、昭和44年の長崎国体の時期らしい。
そのころなのかな?

メタセコイアの葉っぱがレンガ色に変わるころ、Jリーグのシーズンが終わる。
いよいよ最終節
今日のゲームが終わると、3月までしばしサッカーが見られない時期になる。
サンフレッチェは、12月にクラブワールドカップがあるので、少し長く楽しめる。
マリノスには、ぜひとも天皇杯を勝ち進んで、来年の元旦に国立のピッチに立ってほしい。
お正月に本気でプレーする中村俊輔が見られますように。
そういえば今年の正月もTVで中村俊輔選手のビューティフルキックをみせてもらったっけ。
走るバスの窓に向かってフリーキック!

今年は国立で初FKきめてくれますように、と気が早い。
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by windowhead | 2012-12-01 03:18 | 長崎なう | Comments(2)

ヴィファーレンJFL優勝

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ヴィファーレン長崎のJFL優勝が決まった。

なんでも明日J2に昇格できるかの決定が下されるらしい。
ヴィファーレンの問題点は、資金力らしい。
我が家のみんなも後援会に入れるくらいしかサポートできないけど。
ぜひJ2に入れてください。

ヴィヴィくんのJリーグデビュー!
叶いますように。

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by windowhead | 2012-11-12 00:33 | 長崎なう | Comments(2)

消えた町・内中町

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長崎市役所の近くにある「桜町公園」
木々が紅葉しはじめました。

この場所には、戦前静かな家並みがあったことを知っている人も少なくなっています。
現在の八百屋町から、この公園と長崎市議会の建物あたりまでが「内中町」という住宅地でした。
原爆投下後の火事で内中町の住宅は焼失してしまいました。
戦後の都市計画で、市電のルートがこの場所を通ることになり、分断された町は、桜町公園と長崎市議会など市関連の施設になりました。

桜町公園の片隅に、斉藤茂吉の歌碑がありました。
「朝あけて船より鳴れる太笛の
     こだまはながし並よろう山」

そういえば、斉藤茂吉は、大正6年「長崎医学専門学校」の教授として長崎に赴任し、東中町(今の上町)に居を構えました。
桜町公園に茂吉の歌碑があるのも、ご近所のよしみなのかもしれません。
私も小学生のころ、一時期このあたりに住んでいましたので思い出のある町です。

   
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by windowhead | 2012-11-11 01:29 | 長崎なう | Comments(2)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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