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「誠百質」回答完了…ホッとした。

無謀にも、「白牡丹のつぶやき」さん企画「大河ドラマ新選組!ファンへ100の質問」に参加していました。

きょう、やっと全質問への回答をアップ!

完了!!

なんとなく、成し遂げた満足感。
(中味の充実度は度外視して)

やっぱり、土方ファンだわ、私。
そして、中村勘太郎を細かくチェックしている私。

百質参加者13名のようですが、これから皆さんの回答をゆっくり読ませてもらいます。


私の回答は、NHK大河ドラマ『新選組!』ファンに100の質問リング のインデックスに行ってもらって、サイト番号013です。
サイト名がすごいんですが、運営しているサイトに設置したので、そうなりました。
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by windowhead | 2005-01-28 14:41 | 新選組!な人々 | Comments(1)

やっぱり海老様には、強い味方が付いていたよ…(怒)

海老様といっても、男前のほうではない。
一昨日、「赤城の山も今宵限り」といって、会長を辞任したNHKの海老沢おじさんのこと。
古臭いがゆえになんとなく新鮮な「赤城の山も…」は、新国劇「国定忠治」の中の名台詞の一部で、お尋ね者になった忠治が子分たちと別れるシーンにでてくる。

忠治の台詞を抜き出すと
「赤城の山も今宵を限り、生まれ故郷の国定村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分のてめえたちとも、別れ別れになる首途(かどで)だ」と続いて、 子分の台詞が入り、
そのあと、忠治は、刀をスラリと抜いて、「加賀の国の住人、小松五郎義兼が鍛えた業物、万年溜の雪水に浄めて、俺にゃあ生涯てめえという強い味方があったのだ」 と大見得を切ります。


海老おじさんは、会長辞任にあたって、NHKの職員たちに、ペーパーにすると4枚とも6枚とも言われている長~~~いメールを送っていたそうです。
まるで、忠治と子分たちとの別れのシーンのようにです。
残された子分たちは、「そういや何だか嫌に寂しい気がしやすぜ。あぁ、雁が鳴いて南の空へ飛んでいかあ」と言ったのでしょうか。
親分のメールは、親分のこれまでの数々の功績を書き連ね、、「希望を持て」といい、挙句「巨大化、商業化、民業圧迫』といったNHKの躍進を妬(ねた)む一部マスコミ等のいわれなき誹謗(ひぼう)中傷や不当な攻撃に屈することはない」ということが書かれていたそうな。

NHK海老沢氏、辞任後に全職員へ激励メール(asahi.com)


「赤城の山も今宵限り」の最後は、「生涯てめえという強い味方があったのだ」です。
腹立たしいけれど、海老おじさんにも、きっと、強い味方が付いているのでしょう。それは、何?誰?と思っていたら、付いていました付いていました、ものすごく恥知らずな味方が!

「低気温のエクスタシーbyはなゆーさん」によると海老おじさんの退職金は約1億2444万円とか。
たしかに、強い味方です。

さらにさらに、もっともっと驚いたのは、辞めちゃったとたん、次の会長さんから、顧問になってよと言われて、ちゃっかり顧問になっています。
「辞めちゃった」から「顧問です」まで、24時間あったのか??
なんと早い再就職。仕方なくニートやっている若者が怒りますよ。リストラのおじさんも、パートすらないおばさんも怒ります。(海老おじさんたちはいうのでしょうか「あんたら東大じゃないもん」って。)

海老おじさんの味方は本当に強い味方でした。

ここまで、お芝居の台詞どおりに進行するのなら、いっそのこと、最後までお芝居どおりになって欲しいとまで思ってしまいます。
どんな、お芝居か?って…国定忠治は血なまぐさい縄張り争いや、厄介事を繰り広げた末、お上に「御用」となります。
忠治の最後は磔(はりつけ)で刑死しています。
おだやかではない発言ですが、あまりに恥知らずなNHKの行為がここまでいわせたのですよ。

ああ、これで、さらに受信料不払いに拍車がかかることだけは「間違いない!」


もはやこれまで…NHK海老沢会長辞任(サンスポ.com)
NHK海老沢・前会長が顧問に…橋本・新会長が任命(yomiuri.online)
NHK海老沢元会長 顧問に就任(スポーツニッポン)
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by windowhead | 2005-01-27 16:04 | 日日抄 | Comments(0)

会津の魂を読みつづける

一昨日、森まゆみ著「彰義隊異聞」を買いに本屋に行ったら、その近くに平積みで「落花は枝に還らずとも―会津藩士・秋月悌次郎 (上) (下)」(中村 彰彦 著 中央公論新社 )が出ていた。
3冊さつとも買えば約6000円。ちょっといたい。
残念だが、この日は、目的の「彰義隊異聞」だけにとどめた。「彰義隊異聞」は店頭に1冊しかなかったし。
気になっていたら、いつも訪問する「白牡丹のつぶやき」の白牡丹さんも、「落花は枝に還らずとも―会津藩士・秋月悌次郎 (上) (下)」についてふれていた。

秋月悌次郎は、松平容保公が在京中、公用方をしていた人の1人で、大河ドラマ「新選組!」では、堀部圭亮が演じていた。
大河でも、「お役目半ばで、国許に帰る事になったが残念だ」と途中から姿を消したが、白牡丹さんからの情報では、国許の上司たちに疎まれて蝦夷地に左遷となったらしい。
その後、また京都に戻ってくるが、時遅しで、彼ら公用方の努力もむなしく鳥羽伏見の戦が始まり、会津は賊軍の旗頭にされてしまう。戊辰戦争後、一時投獄されるが、終始、会津の将来を背負う若者たちの教育の礎になったらしい。

その後も教育者となって、熊本の五高に配属されたとき、教師で赴任していたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)と出会い、ラフカディオ・ハーンをして、「神のような人」と言わしめたとか。この人のお墓は、東京・青山墓地にあるらしい。

会津公用方といえば、大河ドラマでは、広沢安任(通称は富次郎)が、なにげに女性ファンを集めていたが、広沢富次郎も、戊辰戦争時は故郷会津に帰らず、京や東京にいて明治政府に、藩主容保公の赤心を訴え続け投獄される。
翌年許されると、会津が流配された斗南藩にもどって、原野の開拓などを率先して行ない藩士の救済にあたっている。廃藩後は、そのまま青森で開墾し、洋式牧場をはじめ、日本の畜産界に貢献したらしい。

秋月、広沢をはじめ、戊辰戦争を経て生き残った会津藩士たちは、その後、屈辱と地を這うような困窮の中での生活を強いられるが、藩主と自分たちの清廉潔白を信じ、それを伝えるべく後進を育てるために筆舌しがたい苦労をするが、ぼろぼろになりながらも誇り高く生き抜いていく。
読書日記「乱視でごめん」にも書いたが、戊辰戦争後の会津の苦汁にあって、不屈の精神で生き抜く姿は「獅子の棲む国 」(秋山 香乃 著)に詳しく書かれいて、彼らを翻弄する運命に驚きながらもそれに耐え偲びならが未来を築いていく姿に感動する。(苦境の中で希望を繋ぐ不屈の男たち「獅子の棲む国」を読む

幕末維新の本を読めば読むほど、まだ行ったことがない会津という地に惹かれる。
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by windowhead | 2005-01-26 05:25 | 新選組!な人々 | Comments(2)

人の本棚をのぞく快楽・ブログをのぞく快楽

いつものように白牡丹のつぶやきさんのブログをポータルサイトにしながら、大河「新選組!」ファンのブログをたどってていたら、「ミーハー道に背クマジキコト」(みさおさん)さんの記事「2月が来ないうちに・・・ 」に興味深いもの発見!

蔵書の一部の写真がアップされていた。

読書好きは、どうも人の本棚をのぞくことに快楽を覚えるようです。(私だけかなあ…)
作家の書斎や芸能人などの部屋の写真が掲載されると、その人よりまず近くにある本やレコード、CDが気になります。
とても興味ある人のものとなると、虫眼鏡をつかって、そのタイトルを読んだり…。
これって、ある種のストーカーかも。

で、何がおもしろいの?って、聞かれると、説明はむつかしいんだけど、意外性の発見かな。
こわもての俳優さんの後ろにセンチメンタルな本があったり、大変ご高名な学者さんの本箱に最近の漫画があったり…。人ってやっぱり複雑で興味深いなあと思えるのです。

みさおさんの写真は、ツン読状態になっている新選組本の一部が写っていました。

みさおさん、かなりのエネルギーで本を集めたなあと驚いています。
古本屋も使って集められたのでしょう。
写真左側の黄色い5冊は、広瀬広紀の「新選組風雲録」ですよね。昨年文庫で復刊されましたが、みさおさんの書棚の本は昭和62年に出版されたときのもの。(みさおさん、この本は早く読んでください!とにかくしっとりと大人っぽい土方がカッコイイから。もちろん箱舘まで戦います)
それから、中ほどにある「土方新選組」(菊地明/山村竜也 PHP研究所)これも絶版か増刷してないかで、いまは買えないのではないかなあ。私も大切にしている本です。この段は、ずいぶん絶版の本がならんでいます。集めるのに苦労したでしょう。私も、古本屋を使って集めたので、その苦労がわかります。(費用も含めてね)

「新選組風雲録」の斜め上に横になって背表紙が見えない本、これは、厚さと中に写真ページがあるのから推測すると、「新選組・幕末の青嵐」に相違ないはず。(探偵気分になっています)
そして、そして、、最下段の漫画のなかで、月明星稀の左隣の5冊が気になっています。なんだろう?思いつかない、ということは読んでいない!!…なんでしょう?みさおさん、教えて!。

などなど、ぜんぜん面識もないみさおさんがとても身近に感じられるのです。

ブログめぐりも書棚眺めもどこか人のプライバシーに侵入するような後ろめたさがあるのですが、それでも、なんだかその人とつながりができたような、温かな気持ちにもさせられます。
ブログのよさを実感させられながら、人のを読むなら、自分も書かなければギブアンドテイクにならないや、と、ものぐさに鞭打つ今年。私のブログいつまでつづくかなあ…。

みさおさん、勝手に本棚を解説しちゃって、ごめんなさい。
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by windowhead | 2005-01-23 12:45 | 日日抄 | Comments(2)

訴えてやる!まできちゃたNHKと朝日の泥仕合

どんどん最初の問題から遠ざかっていく。
もともと、ジャーナリズムへの政治介入の有無の問題というか、報道のあるべき姿を問う問題だったのが、いつのまにた大手マスコミの体面争いに発展。いつのまにか、「報道のあるべき姿」はどこかに行っちゃった。

この問題、最初のところから、なんとなくジャーナリズムの対立とというより小さなイデオロギーの対立のような臭いがしていたが、水川青話さんのブログ見ると、


<NHK&自民党(&自民党の後ろに控える色々な団体)>
vs
<朝日新聞社会部の本田雅和記者&故松井やより元朝日新聞編集委員が代表をつとめたVAWW-NETジャパンが主催する女性国際戦犯法廷&VAWW-NETジャパン発起人でNHKエンタープライズ21プロデューサーだった池田恵里子氏>

──という、なんだか前にも見たことのある対立の構図だから。


なるほどねえ、分かったわ。

それにしても、「ジャーナリズムのあるべき姿」を、関係者や読者・視聴者が真剣に考えてみるというチャンスに肩透かしを食わせたようで、なんとも後味が悪い。

NHKにしても朝日にしても、もしかすると「ジャーナリズムのあるべき姿」に関心がよせられることは、まずいことなのかもしれないとうがった見方もしたくなる。だってさ、朝日新聞、NHK,どちらも「優秀な?東大生?」がウジャウジャいる大企業。利益追求の大企業に公平中立性なんてあるはずもなく、それをお題目のように信じたがっているのは、中で働いている人たちばかりだろう。しかし、言えないよね、存在価値の否定になるもん。

水川清話さんが言うようにNHKは国の許認可事業。となると、立場は押して知るべし。

朝日新聞や多くの新聞は購読料でなりたっている民間企業だよと思っている人、甘い。
毎朝配達される新聞をよくご覧。新聞紙と折込広告の量はどっちが多い?新聞紙面の中の広告の面積を見てごらん。
我が家に配達されるA新聞について言えば、今年元旦の新聞と折込を重さで計ったら、新聞は特集も含めて500グラムちょい、で、折込はというと600グラムを越えていた。新聞の中の広告もあわせると、新聞の主な情報というのは、企業広告ということになる。新聞紙って、広告を配るためのバインダーなんだね。(これ、A紙だけでなくどの新聞も同じ状況。地方紙はさらに折込の量が増える)
ね、新聞って、読者より企業に対してのほうが立場が弱いんだよね。民間TVも同じ。

この泥仕合は、収まるところに収まるのでしょう。気に留めることもありません。

それより、せっかくのこのチャンス、私は決めました。
まず、新聞の宅配をやめます。読まないんじゃなく、読みたいものを新聞スタンドで選んで買う。
NHKの受信料の振込みも辞めます。集金してもらおう。そのほうが意見が言えそう。
そして、これら旧メディアと、インターネット上の新メディアから情報を上手にチョイスしていくスキルをつけていきたい。
正直いって、情報を紙媒体で発信する時代は過ぎているのだと思う。それを、新聞社や出版社という大企業の体質改善が遅れていたためずーっと引きずってきたもの。そろそろ、転換期ではないかな。こう言うと「本はインターネットじゃ読めない」という人たちがいるが、「本は情報ではなく知識です。」といえば、どうですか、それに見合うものが本として残るでしょう。

2大メディアの泥仕合を遠めに見ながら、手間はかかっても自分の判断で「ものがみえる」「ものが言える」素地をつくっていこうと思っている。
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by windowhead | 2005-01-22 13:06 | 日日抄 | Comments(2)

腕組みの貴公子のボキャブラリーは私のツボ

平日なので行けないなあと思っていたが、だんだん気になって来る「お父さんの恋」。
まだ、チケットがあるかなあと、イープラスをのぞいていたら堺雅人さんのインタビューがあった。
堺雅人インタビュー&動画メッセージ

「お父さんの恋」の堺雅人の役は、この人の普通の部分とあまりかけ離れていない青年のようだし、このような役は堺雅人が演じるとすごく膨らむような気がする。
劇的なものやエキセントリックな役より、普通の生活者のどこか浮世離れしたような雰囲気の役が堺雅人には似合うと思う。
「ウルトラQダークサイド」の「小町」で演じたダメ男もなかなか好きだったし…。
「喪服のエレクトラ」を見たいとは思わなかったが、「お父さんの恋」は、どんどん見たくなる。

「へい、ジョニー」ブログの「髭とともに去りぬ」に紹介されていたTOKYOヘッドラインWebの堺雅人インタビューもたいへん興味深い。

「ウーン、さすが!」この人のインタビューは、いつもしっかりと言いたいことが整理されている。それでいて、自分の言葉で話しているし、気持ちを説明するためのたとえやメタファーの使い方もうまい。

TOKYOヘッドラインインタビュの中の
「役作りってクラス替えみたいなもので、新しい人たちのなかに入っていって、1人ずつと話して、そういうなかで自分はこうと分かってくる…」
なんて表現、堺雅人らしい(といっても、彼を深く知っているわけではないので、偉そうかな…)

堺雅人のボキャブラリーは、私のツボです。
大河「新選組!」でのトークショーや、インタビュー録画なんかをみていると必ず、スコーンと私のツボにはまる言葉がでてきます。それがまた、やたらと難しかったり格調高い文章言葉。
彼は、ことばを一回文字に置き換えて、頭の中のものすごい辞書の中から、瞬時に的確な格調高い言葉にヒットさせて話すのかも。この対極にいるのが山本耕史。ことばを直感で見つけてくる感じ。彼のインタビューは、ひらがなが多いけど、情緒的に核心をついている。
どちらもアプローチの違いこそあれ、ことばや表現にとても一生懸命になれるタイプ。

堺雅人を飲み友達に持ちたいですね。

何日間でも酒をのみながら、グダグダとしゃべれそうな気がします。
彼のよさは、男にありがちな薀蓄語りではなく、人の話からでも、些細な事を深めていく話ができそうなところ。
前出のクラス替えの話でいえば、薀蓄男は「クラス替えってなんでするのか分かるが?」とか「クラス替えと組織論」みたいなことを言いそうだが、堺雅人は「クラス替えで最初にそのクラスに入るとき、教室の前から入るか後ろから入るか」なんてことを自分のこととして話しそう。そこで、ごちゃごちゃお互いの入り方なんか話して、そこから、また他の話に発展していきそう。
ゆるりとした博識が鼻に付かず酒酔いの小さな幸せ感を味わえそうです。そうそう、大河「新選組!」ファンなら、龍馬暗殺のときの龍馬と中岡慎太郎の「鳥の皮」話のような雰囲気です。ああ、最高の飲み会パターン。

飲み友達なら土方歳三でも山本耕史でもなく、堺雅人を所望したい!
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by windowhead | 2005-01-20 16:17 | 男たちの眺め | Comments(0)

京都に行ったら,まずは「くろたに」

帰りの新幹線にはかなりの時間があったので、どこか1ヶ所のぞくことにした。
こんなとき、霊山歴史博物館にいくことが多いのだが、2月まで改修工事でお休みとのこと。
b0009103_14175295.jpgとなると、やはり「くろ谷」だろう。
新選組フリークではあるが、京都の幕末の史跡で1ヶ所といわれれば、壬生ではなく、「くろたに」に行ってしまう。

「黒谷」は通称。寺名は「紫雲山 金戒光明寺」(しうんざん こんかいこうみょうじ)。京都市左京区黒谷町にある浄土宗大本山。
文久2年から鳥羽伏見の戦いまで、京都守護職 会津藩主松平容保公の本陣になったところ。ここには、文久年間から鳥羽伏見の戦いまでの会津藩士戦没者の墓所「会津藩殉難者墓所」もある。

b0009103_14181755.jpg京都駅から、銀閣寺行きの急行バスに乗って、東天王寺で下車。(ここから、哲学の道に入ると往年の土方役者・栗塚旭さん(大河では土方のお兄さんを演じた方)の喫茶「若王子」がある。)白川通を渡って、岡崎神社を通り過ぎると、右側に黒谷に行く路地がある。
路地を道なりに進むと参道前の大きな門が見える。門の左側には、大きな石柱に「くろたに」と彫られている。門には、「会津藩松平肥後守 京都守護職本陣旧跡」 の表札も。

黒谷は、塔頭(たっちゅう)が18院もあるほど広い。参道を進むと石段があり、見上げれば黒っぽい重厚な三門がある。
桜や紅葉に映えそうな建物。
近藤、土方たちも、恐れ入りながらこの石段を登ったことだろう。

b0009103_14192698.jpg三門の中も、華やかな色どりはないが、重厚でありながら清々しい御影堂や阿弥陀堂、文殊塔などが広い敷地内に配されている。全体雰囲気は城構え。
特に阿弥陀堂のゆるぎなく重厚でいながら、伸びやか。バランスの取れたフォルムで清冽な空気感を放っている姿が好きだ。


京都の街の中にありながら、観光客が少なく、静かなたたずまい。
阿弥陀堂の裏の坂を下ると黒谷墓地の入り口。
b0009103_14235041.jpg墓地の中、文殊塔に向って石段を登ると、途中に「会津藩士の墓地→」という石柱があるので、矢印のとおりに進んでいくと、墓所の奥まったところに「会津藩殉難者墓地」がある。
何時きても静かで小鳥の声しか聞こえない。

ここには、容保公が京都守護職を拝命した文久2年(1862)から鳥羽伏見の戦いまでの動乱で落命した会津藩士352名が眠っている。
墓所に入ってすぐ左には、林権助を筆頭に鳥羽伏見の戦いで戦死した150霊をまつる慰霊碑と、「戊辰(ぼしん)戦争戦死者道志るべの碑」。慰霊碑に花を生けて合掌。

b0009103_1424577.jpg
b0009103_14254557.jpgときおり聞こえる鳥の声と風の音のなかで、以前来た時に見つけた柴司の墓碑を探すが、なかなか見つからない。たしか、他の墓碑より大きめで厚みのある墓碑だったと記憶している。

柴司。池田屋事件後、会津藩から新選組に派遣された会津藩士10名のうちの一人で、「明保野亭事件」の責任をとって切腹した若者。21歳だった。葬儀のとき、人に泣き顔を見せない土方が声をあげて泣いたという話がなにかの本にあったが、史実かフィクションかは定かではない。

多くの石碑が風雪を経て、欠落や磨耗がはげしくなっている。
それでも、この墓所は、誰かが見守っているかのように、いつもきれいに清掃され、手入れされている。

b0009103_14272640.jpg墓所からの帰りに、文殊塔に回る。振り返って見下ろせば京都の街の向こうに遠く尾根に雪を残した山が見える。位置からいえば、天王山あたりかな。

黒谷から駅までは、タクシーで。
堀川通りを通ってもらい、二条城と西本願寺を拝み、油小路に入ってもらい、不動堂屯所のあったリーガロイヤルホテル前に回り道して京都駅に到着。

焼き栗と「冬季限定:焼き鯖と寿司の詰め合わせ弁当」を買って新幹線にセーフ!

黒谷は、「さしむかふ心は清き水かがみ」の心境にさせてくれる最良の場所。
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by windowhead | 2005-01-20 14:30 | 新選組!な人々 | Comments(0)

冬の鳥羽伏見戦場駆け抜け紀行

b0009103_14322294.jpg先週、所用で京田辺に。帰りは京都から新幹線。空き時間で、伏見の戊辰戦争関連の史跡を回ってみた。

近鉄・桃山御陵で下車。駅から出て左に上ると御香宮神社がある。薩摩藩将兵800人が布陣したところ。広い境内に立派な社殿がある。中央社殿入り口の門は伏見城から移築したものらしい。ここの湧き水は名水百選に選ばれている。飲んでみるとやわらかな口当たりで癖がない水。


b0009103_1434540.jpg御香宮から駅のほうに戻って、アーケード入り口手前から、左に折れて進むと右手に老舗料理屋「魚三楼」がある。玄関右側の格子窓には、弾痕が残っていて、慶応4(1868)年正月3日の鳥羽伏見戦の緒戦が市街戦であったのが実感させられる。
白刃を振りかざした永倉や原田たちはここらを走り回ったのだろうか?
映画「壬生義士伝」の市街戦のシーンが自然に浮かんでくる。大河では、戦場シーンがワンパターンで残念だった。人の死をしっかりと描きたかったという三谷には戦場で死んでいく人たちはどう映ったのか。その生死すらはっきりわからないほど悲惨なのが戦場。リアルな戦場シーンを描くことで、戊辰戦争の悲劇を描いて欲しかった。


b0009103_14353041.jpg魚三楼を通り過ぎて左に折れると桃陵団地の入り口がある。ここが伏見奉行所跡。
慶応4(1868)年正月3日、新選組や会津藩を主とした幕府軍や1500人が布陣したところ。ここの裏側は、御香宮がある高台の麓。背後を衝かれるとひとたまりもない位置にある。
土方が必死になって、御香宮を押さえようと進言した訳も分かるほど不利な位置関係にある。進言が聞き入れられなかった土方はどんなに苛立っただろう。みすみす好機を逃す幕府軍の緊張感のなさに、すでに敗戦を予感したかもしれない。
土方の気持ちで、御香宮方向を見上げた。団地の建物やビルにはばまれて空しか見えない。伏見奉行所は、鳥羽伏見の戦いで灰燼に帰している。


b0009103_14361519.jpgもと来た道をもどり、商店街を抜けて「寺田屋」に。400円で中まで見せてくれる。中は龍馬一色。「龍馬先生」という表記にくすぐったい居心地の悪さ。


b0009103_1437654.jpg鳥羽伏見の緒戦地である鳥羽街道小枝橋に行きたくてタクシー乗車。
碑が立っているところは小枝橋東詰で、伏見区中島秋ノ山町になるらしい。小枝橋はすでにない。慶応4(1868)年正月3日ここに布陣していた薩摩軍砲兵隊と幕府軍が出会って戊辰戦争の火蓋は切られた。このすぐ後、土方らが布陣したいた伏見奉行所でも戦が始まった。


ここから、また、伏見のほうにもどり、今回どうしても見ておきたかった激戦地・淀千両松を探した。なにしろ、所用の後の思いつきの下車なので資料になる地図も、本も持ってきていない。タクシーの運転手さんに、記憶の片鱗を語って、それらしい場所に行ってもらってはまたもどるの繰り返し。
千両松という地名が残っている土手下の作業場のようなところでうろうろしていると、ガードマンのおじさんが「その場所なら、競馬場裏手の「大なんとか」という競馬場に来る人向けの駐車場の横にあるよ。その場所も昔は松林があって、千両松というのはもともとそこのことだったのさ」と教えてくれた。

b0009103_1438131.jpg<荒涼とした宇治川沿いの土手を走っていくとだだっ広い空き地が見える。ここは競馬場来場者用の駐車場。地図上の地名は納所下野というらしい。駐車場はずれの道路側にささやかな記念碑が見えた。
ガードレールと碑の間は人1人が通れるくらいの歩道。本当に道路際の排気ガスにさらされた場所にある。それでも、生けられた花はみずみずしい。

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やっと行き着くことができた、「激戦地・淀千両松」。
慶応4年正月5日、伏見での戦に破れ、退却しながらも、幕府軍のしんがりを勤めた新選組は、伏見方面から追撃してくる薩摩軍を防ぐため、この宇治川土手上でぶつかり、大激戦になった。

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井上源三郎が戦死。山崎烝も重傷。新選組隊士20名以上が戦死したところだ。
遺骸の回収もままならない激戦のため、源さんの甥っ子・井上泰助が、その首級だけでも持ち帰ろうと途中まで必死に抱えていたが、その状態では自分も危うくなり、泣く泣く刀とともに埋めてしまったと伝えられている。その埋められた場所は未だわからないとか。
日野市には源さんの立派なお墓があるらしい。井上源三郎の墓参
千両松で破れ、淀城にも入れてもらえなかった新選組や幕府軍は、八幡方面に敗走、ちりぢりになって大阪城に向ったのだろう。私は大阪方面から伏見に入ったので、その距離を体感している。
b0009103_1440635.jpg
かなりの道のりをぼろぼろになりながら敗走する彼らを想像してみる。このとき、土方はどんな気持ちだったのだろう。「刀や槍の時代じゃねえな」と思いながらも、大阪城に希望を託して、次の戦場では勝ってやる!と決心したのかもしれない。

宇治川堤防沿いの河川敷の風景は、今でも激戦が目に浮かぶような不思議なオーラをもっていた。
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by windowhead | 2005-01-19 14:42 | 新選組!な人々 | Comments(3)

やっとみつけた源さん戦死の地

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千両松で探したがみつからず。淀の競馬場裏の土手下にひっそりと。ここも昔は松林があった。現在の地名は納所下野
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by windowhead | 2005-01-14 22:24 | 新選組!な人々 | Comments(7)

鳥羽伏見の戦い初戦地

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by windowhead | 2005-01-14 22:07 | 新選組!な人々 | Comments(0)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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