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土方たちと一緒に箱舘戦争を戦った長崎県知事がいた!

前回、長崎市の初代市長・北原雅長は旧会津藩士、それも家老・神保修理の弟だということを知ったと書いていたら、偶然にも「白牡丹のつぶやき」さんに、神保修理とその妻・雪を主人公にした短編「修理さま 雪は」が紹介されていた。

神保修理が、江戸の会津下屋敷で切腹した半年後の8月、会津戦線で修理の妻・雪も壮絶な自刃をとげている。 修理や北原雅長の父親で家老職の神保 内蔵助もその11月、六日町口の戦いで敗れて、同じく家老の田中土佐と刺し違えて自刃。
北原雅長は、1年たらずで、身内3人を自刃という悲惨なかたちで亡くしている。
(ちなみに、神保修理は近藤勇と同い年、北原雅長は沖田総司と同い年。)

さらに北原雅長は、家老の主席として籠城戦を指揮し、降伏後は会津藩の一切の戦争責任を一身に引き受けた萱野権兵衛の切腹も見届けたと書いてあった。
身近な人が、短期間にこんなに多く理不尽な死を遂げているのを北原雅長はどんなおもいで見ていたのだろう。そんな悲しみさえも吹き飛ばすほど斗南の生活は苦しく悲惨だったのかもしれない。
その後北原雅長は、官吏になって、長崎県で働いていたが、抜擢されて、初代長崎市長になり、次に東京下谷区長をつとめたが、余生は浜松でひっそりと暮らしたらしい。明治37年、会津藩の勤皇の立場を顕した「七年史」を出版している。

その北原雅長を初代長崎市長に抜擢したのは、当時長崎県令(県知事)だった日下義雄。
なんと、この日下義雄も、旧会津藩士。それも箱舘新政府軍として箱舘戦争を戦いぬいた人だった。
日下義雄は、会津藩御殿医 石田元道の子で当時の名前は「石田五助」。弟は、飯盛山で自害した白虎隊二番士中組の一人「石田和助」なのだ。
日下義雄は長崎にすばらしいものを残している。それは、次のお楽しみにしよう。

会津と長崎にはなんの接点もないと思い込んでいたが、調べてみると運命のようなつながりがぞろぞろと出てくる。
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by windowhead | 2005-09-29 03:37 | Comments(3)

初代長崎市長は旧会津藩士だった。

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今年も会津に行けず、ストリーミング中継は繋がらないで、あきらめて机回りの大掃除をしていたら、本箱の奥から古めかしい本が出てきた。
「京都守護職始末1ー旧会津藩老臣の手記」 
山川 浩 著・ 遠山茂樹 校注 ・ 金子光晴 訳 
東洋文庫49 平凡社          


未読の本。6.7年ほど前、長崎の繁華街にあった老舗古本屋が閉店するとき、大方の本を処分されたあと、残りの本をただでわけてくれた。私が立ち寄ったのは最後の日だったので、くずのようになった本ばかりだったが、その中に、この本が残っていた。
当時、すでに「会津士魂」などは途中まで読んでいたが、箱舘新選組に興味がいっていたので、後で読もうと思ってもらってきて、そのままになっていたものだ。

かの地では、藩侯行列があっている最中に、この本が見つかったのもなにかの縁なのだろう。

山川 浩は、会津の俊才の一人で、会津籠城戦の総指揮をとった会津藩家老・山川大蔵だ。
調べてみると、東洋文庫の「京都守護職始末」は1、2に分かれているらしい。

この本についての詳しい解説がブログ「幕末ネット」に書かれていた。
京都守護職始末(2005.5.25、幕末.net)

それによると、この史料は幕末の資料として一級品と言えるものらしく、旧会津藩家老であった山川浩が、会津藩の正義を世に訴えるために明治44年に発行したが、明治維新の真実を揺るがすような内容であったため、発刊される数年前に、明治政府からの圧力で発行が見合わされていたらしい。

しかし、明治37年、元会津藩家老・神保内蔵助の次男・北原雅長が、会津藩の勤皇の立場を顕した「七年史」を出版したことによって、明治44年に山川浩悲願の「京都守護職始末」発行が実現されたらしい。


この幕末ネットの文章で、驚くべき事実を知って、恥じ入ってしまった。
私の住む長崎市の初代市長・北原雅長は、旧会津藩士だったということだ。
さらに、彼の兄は、会津藩公用方として活躍し、慶喜公や容保公に恭順をすすめ、幕府軍敗北の責任を押し付けられ自刃した神保修理。北原雅長は、次男だったので、北原家を継いだため、神保姓ではないのだ。

さらに、驚いたのは神保修理は、会津藩公用方として活躍したとき、洋式小銃の輸入や知識導入の為に長崎にきているのだ。秋月剃次郎もそうだったが、会津藩は、俊才をどんどん他国に出して新しい情報を取り入れている。修理は、大政奉還前に坂本龍馬に会い、勝海舟とも交流があったらしい。それを知ると彼が恭順を説いたわけがわかる気がする。


長崎と会津の接点がこんなところにあったとは!
戊辰戦争前後と長崎の関連を知りたくなった。
まずは、大政奉還がなされたとき、天領である長崎ではどのようなことが起こったか?調べようと思う。天領と言う特殊な土地柄だから、おもしろいことがおこっているかもしれない。
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by windowhead | 2005-09-26 14:50 | Comments(7)

『新選組!!』キャスト続報がでたけれど…

いつも訪問する白牡丹のつぶやきさんのところで 「新選組!!」の追加キャストが紹介されていた。
 【土方歳三】…山本耕史さん
 【榎本武揚】…片岡愛之助さん
 【島田魁】…照英さん
 【尾関雅次郎】…熊面鯉さん
 【相馬主計】…小橋賢児さん
 【蟻通勘吾】…山崎樹範さん
 【山野八十八】…鳥羽潤さん
 【市村鉄之助】…池松壮亮さん
 【永井尚志】…佐藤B作さん

 【回想シーンで登場】
 【沖田総司】…藤原竜也さん
 【藤堂平助】…中村勘太郎さん
 【原田左之助】…山本太郎さん
 【永倉新八】…山口智充さん
 【山南敬助】…堺雅人さん
 【井上源三郎】…小林隆さん
 【斎藤一】…オダギリジョーさん
 【松平容保】…筒井道隆さん
 【近藤勇】…香取慎吾さん

だそうだ。
ちょっとぉ~、回想部分にこれだけ出したら、本編はどうなるんだ?
土方の最後の一日は、昔を思い出すばかりなんてセンチメンタルなものにしないで欲しいなあ。前回の大河の配役がたくさん出るのはうれしいが、箱舘新選組はすでに京都とは別物。別物として京都並みのエピソードも盛りだくさんあるので、それをやって欲しいなあ。

新しい配役で注目は
待望の市村鉄之助=池松壮亮さん。今の大河「義経」で「源頼朝」の子ども時代をやった人。昨年(だったかな)上映された実写版「鉄人28号」で主人公;正太郎くんをやった子だ。かわいいというより芯のしっかりした少年の雰囲気なので市村にぴったり。

蟻通勘吾=山崎樹範さん。カムカムミニキーナ出身の旬な人。TV「電車男」のひきこもりくん。となると、蟻通勘吾の人物設定がかなり推測できますね。「歳三からの伝言」みたいに、ヘタレキャラかな。
蟻通勘吾の名誉のために略歴を書いておこう。彼は、池田屋では土方隊。報奨金15両ももらっている。行軍録では、沖田の一番隊に所属。一番隊では沖田の後ろに並んでいるのでNo2かな。その後ろに山野八十八が並んでいる。土方に従って鳥羽伏見を戦い、会津では山口二郎(斉藤一)が率いる新選組で白河口の激戦を戦い、重傷を負っている。中島登の覚書には「白川黒川ニテ戦死」と書かれているくらいだから瀕死の重傷だったのだろう。それでも箱舘に渡って土方が戦死した同日に函館山の戦場で戦死している。土方を慕っていた一人だろう。

気になるのは、安富才輔の配役が出ていないこと。
土方が戦列を離れていた会津では斉藤の助役をやっているし、箱舘では陸軍奉行添役として土方の最期の出陣にも同行している最重要人物。「燃えよ剣」でいけば、土方の最期を見るのはこの人だが…。それと、大野右仲も出て欲しい一人。土方の最期を語り残している人。土方が最期に言葉を交わした人かもしれない。

もう、伊庭や星や人見やブリュネはあきらめたほうがよさそうだ。
「組!」ファン(私もそうだが)からのお叱り覚悟で言えば、回想の人たちはいらないから、伊庭や星や人見やブリュネや甲賀源吾や中島親子が登場する箱舘がみたいのだ。斉藤が土方と袂を分かちながら会津とともに生きる姿を見たいのだ。

そうだ、山本氏がなにかで言っていたように、土方に弾が当たる前で終われば、また違った視点での続編や、サイドストーリーができるじゃないか。会津や箱舘の物語が、たった90分弱で流されるのが惜しくて惜しくて、悪あがきしている。


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by windowhead | 2005-09-23 03:23 | 新選組!な人々 | Comments(6)

山野八十八も登場?「新選組!!土方歳三最後の一日」

昨年の大河「新選組!」の続編になるNHK正月時代劇「新選組!!土方歳三最後の一日」。
出演者の中に鳥羽潤の名前があったが、情報によれば山野八十八役らしい。

山野八十八といえば、子母澤寛の『新選組始末記』では、「隊中美男五人衆」のひとりに挙げられていた隊士。
美男五人衆とは、佐々木愛次郎、楠木小十郎、馬越三郎、馬詰柳太郎、山野八十八のこと。『新選組始末記』によれば、色白でいつもニコニコした人だったらしく壬生の水茶屋やまと屋の娘との恋のエピソードが残っている。
永倉新八の記録によれば文久3年8月永倉、斉藤、平山、中村金吾と一緒に四条堀川西の米屋の押し込み強盗捕縛に出動している。池田屋では出動名簿にない。行軍表では沖田の1番隊に属している。
「美男五人衆」のなかでたった一人戊辰戦争、箱舘戦争を戦った人なので、それなりに強かったのだろう。
山野八十八は、箱舘でも生き残り、のち京都下京の菊浜小学校の小使として働き、晩年は京都時代に残していた愛娘に引き取られて一緒に暮らしたとか。天寿をまっとうした一人。
明治22年、佐藤彦五郎の長男・佐藤俊宣の訪問を受けている。

大河のほうで登場しなかった山野八十八がわざわざ出てくるのは、なぜ?

なにかで、山野のプロフィールに、土方が箱舘から逃がしたとの記述を読んだことがある。そのときは、これは市村鉄之助の間違いだと軽く流したが、土方が逃がしたのは一人とは限らない。山野には、京都に妻と子どもがいる。それを知っている土方が「もう充分一緒に居てくれた。子どものためにも生き残れ」といって、決戦前に逃がした可能性も考えられる。
三谷脚本だから、きっとなにかの役割をもたせているのだろう。
配役が決まったら決まったで、やきもきすることが多い。楽しいやきもきだけどね。
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by windowhead | 2005-09-22 04:06 | 新選組!な人々 | Comments(3)

龍馬を囲んで「こげんよか月は、えっとなかばい」

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風頭公園にある龍馬の像の前で、「亀山社中ば活かす会」恒例の月見の宴が行われた。

b0009103_1227565.jpg龍馬の像にはススキが飾られ、足元には月見団子も! お酒は?って、もちろん台座のまえにいっぱ~~い。でも、すぐに宴席に移動しましたが。今日のお酒のお供えには、甘酒もありました。甘酒を日本酒や焼酎で割って飲むと、これまた美味成り。




b0009103_1231091.jpg司馬遼太郎の碑の前で、龍馬ファンたちがお酒を酌み交わすの図。司馬さん、きっとほほえんでいることでしょう。
酔うとちょっとおもしろい話も飛び出す。「ねえ、いろは丸に、銃は積んでいたんでしょうか?」「あれ、岩崎が別に運んでいると思うよ、海援隊は操船技術はそんなにうまくなかったと思うし」…おいおい、では、龍馬はハッタリで 金、ふんだくったのか!「そうかもね~~~」。こんな話、龍馬様命の熱狂的盲目ファンの前ではとてもい言えないけど、こちらのファンたちは、その点はこなれています。人間的におおまかで、ぱしり上手で、人懐っこくおおらかな龍馬をまるごと好きのようです。こんな人たちの集まりだから、司馬遼太郎記念館も、この地で、「菜の花忌」を開催することを許可してくれたのでしょう。
参加者は長崎ばかりでなく、毎回、福岡や北九州からも駆けつけてくれます。今年は、「亀山社中ば活かす会」がある伊良林、風頭地区が「長崎くんち」の神輿守に当たっているので、神輿を担ぐ人たちも参加してくれました。

b0009103_12501728.jpgこの日、長崎の夜は、雲が多くて、なかなか月が出てくれませんでした。雲の切れ間から、ほんのちょっと月が顔をのぞかせるのを見計らって月と龍馬像を眺めつつ、酒はすすんでいきます。会場の風頭山公園展望台は、長崎市の繁華街の真上の高台にあります。眼下には、長崎市街と港の夜景が広がっています。

そして、ついに、最高の瞬間がきました。
月が、龍馬像の肩のあたりまで上りました。雲も晴れてくれました。
龍馬の肩越しに名月を見るのは、この夜ならではの趣向です。

「こげんよか月は、えっとなかばい」(こんなにいい月はめったにないよねえ)。
龍馬ファンには最高の月見の宴ではないでしょうか。

この宴は、お酒や肴をもちこめば、だれでも参加できますし、さらに会の婦人連が作ってくれたおいしい料理もでてきます。あなたも、来年来て見ますか?
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by windowhead | 2005-09-19 13:07 | 長崎と幕末維新 | Comments(0)

中秋の名月・龍馬を背に月見の予定

ウエストコーストの我が家の近くに龍馬の像が建っている。
今夜はその像の前で、月見の宴が催される。
主催は「亀山社中ば活かす会」
この会のおじさまがたはたいへんフレンドリー。おばさまがたは、こまやか。
来るものを拒まず!ということで、誰でも参加OK。
参加費は無料。
ただし、みんなといっしょに飲んだり食べたりするための飲み物か食べ物を1品持ち寄ることになっている。お饅頭10個でも、焼酎1本でも…。
どんな酒盛りになるのか?

ウエストコースト(長崎)にお住いの方、旅行に来ている方、
今夕6時過ぎから、風頭公園龍馬の碑の前です。
1品もって、気軽に参加しませんか。

土方好きの私が、龍馬ファンと飲むというものスリリングでしょうが…。
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by windowhead | 2005-09-18 12:03 | 日日抄 | Comments(0)

結局腰の引けてる歴史エンタテイメント

もともと期待していなかったが、今朝の朝日のラテ欄がえらく持ち上げて書いていたのでながら見していた「学問の秋スペシャル・日本の歴史」(フジ系)。

たしかに趣向はこらしていた。この趣向が必要かどうかはべつとして。
バラエティやお笑い番組しか見ない人でも、楽しく見たかも知れない。それで、たしかに少し歴史に興味をもったかもしれない。
それでも、そんな興味はなんの意味ももたないと言い切ってしまいたくなるような劣悪番組だったと言いたい。
なぜか?
近代史部分がたった数分の年表の読み上げと写真で流されてしまったからだ。
4時間もある番組で今の時代に一番影響を及ぼしている近代史がたった5分弱。これで、日本の歴史に関心をもっているとか、歴史を学んだとかいう思い違いを起こさせたらそれは相当な罪だと思う。

私の時代もそうだったが、中学高校の歴史の授業は、明治の近代国家への入り口で時間切れになってしまう。先生の授業時間の配分ミスなのかと思ったが、後輩たちに聞いてもおなじような時間配分。現在でもそれに近い状態らしい。日本の歴史教育の最大の弱点は、この近代史、現代史をやっていないというところだ。
中国、韓国から日本人はもっと歴史を勉強しろと言われる所以も、自国の近代史を知らないところを衝かれているのだ。

今日の「学問の秋スペシャル日本の歴史」もまったく同じことをやってしまった。
近代史の部分は暗いタイムトンネルの中、それもおどろおどろしいイメージだけの5分弱で通り抜けてしまった。
このイメージでは日本の近代史は、興味をもちたくない、避けて通りたいいやな時代に見えてしまう。学ぼうという気持ちに水をさすようなこんな構成には何らかの悪意があるのか、それとも製作者側が不勉強で近代史を扱いきれなかったのか…。

戦国時代を格闘技に仕立てるなら、第二次世界大戦のいきさつをそうできなかったのか?日本がなぜ、中国や韓国からにくまれているのか、その疑問をコントにできなかったのか、戦後の繁栄と衰退を人生ゲームにできなかったのか…結局製作者側の腰がひけているのだ。ならば、「学問」と名打つべきではないだろう。ただの歴史バラエティーとするべきだった。

朝日のコラムは「最後に流れるボブ・ディランの風に吹かれてが番組全体のテーマを象徴していて印象的だったと書いている。これは、まったく認識不足。「風に吹かれて」は、ベトナム戦争を経験したアメリカから生まれた反戦歌だ。戦争の悲惨さや戦争に向わせた政治のおろかさを知った上で歌うことができるメッセージソングだ。歴史的な現実を直視することなくイメージソングとして使う愚かしさに疑問をもつべきではないか。

番組の最後は、「自分たちがなにかをすれば歴史は動く」というようなメッセージで終わった。
何かをするための判断材料として歴史を学ぶのだ。その歴史の最重要部分をおろそかに扱っておいて、そのメッセージでは、あまりにも無責任すぎないか。
本当に罪作りな長時間番組だった。
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by windowhead | 2005-09-18 02:04 | 至福の観・聞・読 | Comments(2)

襤褸は薔薇より気高く美しかった「ドンザ展」

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「ドンザ」って知っていますか? 
海で働く男たちが、羽織った防寒もかねた刺し子の長着のこと。海に生きる男たちのプライドと粋のシンボルのような着物のこと。 その日まで、私には未知のものだった。
北海道や青森ではドンジャ、佐渡ではゾンザ、大分ではドンダなどとも呼ばれ、日本各地にその土地ならではの意匠や作りかたのドンザが伝承されていたそうだ。その各地のドンザを目いっぱい堪能できる企画が福岡市博物館で、9月25日まで開催されている「知られざる海の刺し子展ードンザー」だ。
この企画展でうけた感動はやはり覚書として残しておきたい。

展示されているドンザの数は100点ちかくあるのではないか。そのほとんどが、衣紋掛けにかけたような展示だから、前から後ろから、斜めからと360度立体的に見ることができる実に親切な展示をしていた。まるでドンザや野良着を着た人々が両端にならぶ回廊を歩いていくような錯覚に囚われるほど、展示されているドンザの一枚一枚に存在感がある。

ドンザには寒さと海水から身体を守るという機能が要求されているため、布を何枚も重ねて細かい刺し子をほどこすことになる。おそらくその妻や恋人や家族たちが安全と豊漁を祈る気持ちを一針一針にこめ、長い時間をかけて作ったものだろう。根気と忍耐の針仕事は、いつのまにか、それを着る男をいかに格好よく見せるかという主張も加わって、デザイン的にもすばらしい独特の刺し子をつくっているし、1枚として同じものがない、個性的なものになっていた。

中でも目を引いたのは、野良着、仕事着。着て着て着たおされた野良着は、すでに着物や衣服というより、襤褸(ボロ)と言う言葉のほうが似つかわしい。
会場入り口で、「大変繊細なものがありますからさわらないでください」との注意があったが、それは、この野良着のことだろうと思えるほどだ。
何枚も何枚も布やはぎれを重ねあわせて刺し子したものが、洗いざらし、風雪にさらされて、布は擦り切れて穴が開いたりしているのだが、それが一つの風合いやデザインになっているといっても過言ではない不思議な美しさと存在感をもっている。みすぼらしくない、堂々とした美しさをもった襤褸なのだ。
「布の魔術師って言われるデザイナーに見せてあげたいね、尻尾を巻くよね」同行した友人の言葉だ。
全体を見るのに、2時間近くかかった。次の予定がなければ、まだゆっくりと見たかったくらいだ。

余談だが、次の予定が、実は「ラスト・ファイブ・イヤーズ」の千秋楽を観る事だった。
ドンザの存在感は、「ラスト・ファイブ・イヤーズ」すらも蹴散らした。全てが薄っぺらくみえてしまった。期待していた山本耕史すら、とても印象が薄くしか残らなかった。ラストに映し出された一面の薔薇も美しく見えなかった。

「ドンザ展」は、人間の営みと一緒に生きてきた襤褸の、これ以上ぼろになりようのない堂々とした襤褸の天晴れな美しさというものを実感させてくれた。

刺し子の本来の美しさを知ることができる「知られざる海の刺し子展ードンザー」(9月25日まで
福岡市博物館で)。会場近くの人には強力にお勧めしたい。
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by windowhead | 2005-09-16 03:18 | 日日抄 | Comments(0)

るるぶボーイ伊庭八郎は歳三と会ったのかな?

いつ時代にもすごい才能を持ちながら運に恵まれない人がいる。伊庭八郎もそんな人だろう。それでも闊達で真っ直ぐな男ぶりには惹かれるものがある。短い一生のなかで彼が残した覚書から、グルメ部門を先に引き出してみたが、折角だからるるぶ部門(観光関連)も書き出してみた。(欠落や間違いもあるでしょうが、私の覚書なので、ごめん!)

日記が始まるのは、彼が将軍に随行して京都に着いたのは元治元年1月14日から。その中から見物や参拝などを抜き出してみた。

1月
14日   大津到着   新撰組は伏見城警護
15日  伏見から二条城へ。京都でのお家は、二条所司屋敷北定番組屋敷 馬術指南の鈴木十兵衛さんち 新撰組も伏見から二条城までお供して壬生に戻る
21日  北野天満宮、金閣寺参拝  
27日  長徳院参拝

2月
4日  御所近辺を見たあと下鴨明神で梅花を見物  近藤・土方は松平容保公に招かれ、前年八月十八日の変出動の恩奨金を賜る
8日  妙心寺  龍安寺、等持院、足利十三代の木像を見物
9日  土方、沖田、井上は将軍に付き添ってきた多摩の名主・富沢政怒の宿舎を訪ねるが留守
11日  本願寺参拝。 島原見物 感想:島原はことのほか粗末なものだった。
15日  東福寺、三十三間堂、耳塚 、伏見稲荷 
18日  父上のお供で大丸でショッピング
20日  御前試合
23日  宇治 平等院、宇治橋、黄蘖山万福寺 宇治から伏見京橋まで船で、あと竹田街道。
28日  仁和寺から愛宕山へ。途中雨にあって難儀している
3月
3月3日 土方、井上は富沢さんを誘って清水参拝、祗園で酒宴
4日  五条坂で陶器のショッピング
5日  近藤、土方、沖田、井上、藤堂は富沢さんを誘って島原木津屋で酒宴
6日  東寺、島原、本願寺の飛雲閣を見学
8日  嵐山を見物 太秦明神へ参詣 大悲閣に参詣。空蔵へ参詣 
11日 近藤、土方、沖田、井上、藤堂 武田で富沢さんを誘って島原で花見の宴
13日  五条坂で陶器ショッピング
16日  明け方に八十八ヶ所と仁和寺の桜見物
22日  鞍馬山で義経の甲冑、太刀、弁慶の太刀、牛若丸の稽古場天狗杉見学、貴船神社、上鴨神社参詣

4月
2日  西陣で織物見物
8日  東寺で杜若をみて、伏見稲荷お旅所の神輿を見て、西本願寺飛雲閣を見物
12日  大丸と四条通でショッピング 
13日 土方は江戸に帰る富沢さんに、佐藤彦五郎宛の鉢がねや書簡などを託し、井上と一緒に伏見まで見送る
14日 比叡山で登り口を間違い難儀。黒谷で中堂講堂開山堂を見物、坂本山王祭で甲冑や神輿が美しかった。唐崎で松を見物
18日から病気。どうも赤貝にあたったらしい。お見舞いが続々届く24日に回復

5月
3日  清水、祗園 五条坂で陶器ショッピング(お土産かな)
7日  いよいよ江戸に向けて帰ります。伏見豊後橋から大阪京橋までは船。大阪城到着新撰組も随行
8日  心斎橋、日本橋、道頓堀、四ツ橋へ、天満橋を渡って天神さん詣
9日  難波、四ツ橋から網舟に乗って木津川から天保山あたりで網打ち体験。不漁でした。
10日  天王寺の茶臼山へ、お昼からは大阪城の中を見学
11日  天王寺清水参拝
12日  堺 天下茶屋  堺では花鋏を購入
16日  江戸に帰る上様の軍艦を天保山でお見送り。<b>新撰組は安治河口を警備し、上様を見送る
17日 大阪の街中見物
20日 住吉から堺浦まで観光 土方ら大阪西町奉行所与力内山彦次郎を天神橋上で暗殺
21日22日  奈良観光、大仏や寺院、神宮皇后の陵
26日  早朝 妙法院に行って大松を見る。あの「朝涼や 人から先へ 渡り舟」「其の昔 都のあとや せみしぐれ」の句はここに記されている、真田山からお城の外周見物。天満橋を渡り天神へ参詣、堂島の米市場を見学
27日  釣りをしたあと難波新地と高津へ。
29日  お友達と高津、難波新地行き、歓楽街?

6月
2日  釣り
4日  夜の道頓堀界隈見物
5日 池田屋事件
6日  陸路江戸へ帰るため明4時に旅宿を出立。八軒家にて夜が明けた。枚方にて昼食、伏見に16時着、
7日  深夜2時出立。大津で昼食。矢走を渡り草津に着。石部宿に12時着。川留。
8日  京での騒動の情報が届き有志は上洛するようにと達しがあり、早駕籠で出発し明方6時に京に着
12日  祗園、四条河原で夕涼み見物
13日 土方、井上他、明保野亭事件の責を負って自刃した柴司の葬儀に参列
14日  京都出立 その後、弟が病気になり亀山藩のみなさんに丁重にもてなしをうけ、25日まで滞在。亀山藩は心形刀流を重用しているので、そのお家元の跡取り坊ちゃまのお成りですから、関係者のみなさん、大事にもてなしています。

仕事が警護であるため、平常時はわりとお暇なのでしょうが、それにしても積極的に観光している。この好奇心いっぱいな性格がかわいい。でも、じつは、結構大事な時に雨に降られて難儀している。案外つきのない人。

下線付きの太文字で土方の行動を入れてみて、驚いた。公務ではニアミスしきり。もしかするとお互い顔ぐらいは合わせたかもしれない。
平日は微妙にすれちがい。
お互いの気持ちの方向もすこしずれていたのかもしれない。
上洛して意気揚々、わくわくしているお坊ちゃまと、悪も非情も背負って必死で作り上げた組織に命を吹き込もうとやっきになっている成り上がり男という状態では、たのしい酒は飲めそうにない。
さらに伊庭くんたちどいっしょに将軍のお供で多摩の名主富沢さんが来ている。
土方くんは源さんや総司を誘ってしょちゅう富沢さんと飲んでいる。ホームシックなのかな?このころの土方くんは、張り詰めた気持ちをどこかで緩めたかったのだろう。だれかに甘えたかったのではないかな。せめて、1人でもいい第三者からよくやっているよとほめて欲しかったのかもしれない。このころの土方くんは切ない。「幕末の青嵐」の中で、富沢さんを伏見まで見送るシーンがある。見えなくなるまでずーっとたたずんでいた土方くんは、富沢さんの姿が豆粒のようになったとき、「まだ走ればまにあうな」とつぶやくのだ。このシーンは何度読んでも涙がにじんでくる。
年下で若い頃張り合っていた(かもしれない)伊庭くんでは彼の気持ちの重さを受け止めることはむつかしかったろう。

案外この二人は、5ヶ月間、気にしながらも結局は言葉も交わせずじまいだったのではないだろうか。自分が燃えて取り組むものがあるとき、男は過去を振り返らない。昔語りなどジジイになってからすればいいさ!と目配せしながらすれ違ったのかもしれない。


伊庭八は、総司、斉藤、藤堂と同年代。知り合っていればそれぞれに楽しく京都を遊べたのかもしれない。

※プチメモ:GMOインターネット株式会社の会長兼社長 熊谷正寿氏のおばあさんは伊庭八郎の妹だそうだ。
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by windowhead | 2005-09-13 12:47 | 新選組!な人々 | Comments(3)

伊庭八と飲みたい魂胆は…

白牡丹のつぶやきさん東京エゴイストさんで紹介されていた、「一度で良いからお酒を飲み交わしたい歴史上の人物は?」というアサヒビールの企画に乗ってみよう。

一番人気の坂本龍馬というのは、なんとなく楽しい酒だし、酔うと夢を語るロマンチックな男というイメージなのだろうか。私には、どんちゃん騒ぎをするタイプに見えるんだけど。どんちゃん騒ぎをしたあげく代金は人任せというタイプ。相手が女だろうが、払ってくれるなら乗っかっちゃえという節操なしのようだから、私もこいつとは飲まないぞ。
私の街では、こいつから酒代踏み倒された料亭がたくさんある模様。本人は出世払いのつもりだったが、出世の途中で死んじゃったから、結果払ってもらえないってところでしょうが。

新撰組の面々は楽しそうだけど運動部のコンパのようでデリカシーなさそう。ここでご一緒したいのは、源さん。風流ではないが、多摩の自然を語ってもらいながら酌み交わすお酒は心豊かになりそう。

私の一押しは、グルメボーイ伊庭八郎。
お坊ちゃまは、食通です。てんぷらパーティのために買出しだってできる奴ですから、わりとまめのようですし、江戸っ子ですから金離れもいい、女を楽しませるすべも知っている。若いけどマナーも心得ていそうで安心な飲み友達になれそうですよ。

なにより、この人は、「あの人」の隠しておきたい恥かしいエピソードをいっぱい知っていそう。
「あの人」って…もちろん「鬼の副長」といわれているお人のこと。
10歳近く年齢も違う彼らがどのようにして知り合ったか分かりませんが、悪所通いのお仲間のようですから、お互いの女性遍歴や好みのタイプや失敗など、隠しておきたい恥かしい部分を掴んでいるはず。
伊庭君を酔わせながら、「あの人」のかわいらしい弱みを聞き出すのも楽しそうです。「鬼の副長」を肴に美剣士と飲む酒は、きっと艶な酔いをもたらしてくれそう。


話は変わるけど、今の人で一緒に飲みたい人と聞かれたら、堺雅人氏。
この人を飲み友達に持つと3日くらい飲み続けても飽きないだろう。なにより興味のツボが似ている。薀蓄ではなく、もっと些細なことにこだわって、それを確認しあうことにちょっとした喜びを感じるタイプと見ている。
苔も虫も守備範囲だし、ちいさなことをうだうだ語るのも、そこから急に大宇宙の神秘や歴史上の謎の解明に話を拡散させるのも、お手の物という人だろう。この人は、感受性のポケットが極端に多く、それを表現するのに労を惜しまないタイプ。
いいですね。
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by windowhead | 2005-09-13 03:25 | 新選組!な人々 | Comments(8)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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