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「ルパンの消息」-時効前の緊張感と昭和への郷愁

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ルパンの消息」
横山秀夫著 カッパノベルズ(光文社)


平成2年12月「15年前自殺で処理された女性教師墜落死は実は殺人だった。犯人は教え子の3人の男子高校生。」というタレ込み情報が警視庁に入る。時効まで24時間。場所は巣鴨。本庁捜査一課「溝呂木班」と所轄の総力をあげた捜査が始まる。
3人の事情聴取から当時ツッパリ仲間だった彼らの期末テスト奪取作戦「ルパン作戦」と女性教師墜落事件との関係が明らかになっていく。

平成3年第9回サントリーミステリ大賞の佳作に選ばれた横山秀夫のデビュー作。
なぜかこの回の大賞・読者賞・佳作のなかでこの作品だけが出版されていなかった。
サントリーミステリ大賞は20回で終了しているが、受賞作はTVの土曜ワイド劇場でドラマ化されるというおまけつきだったような…。この回の大賞はベネチュア在住のアメリカ人ドナ・M・レオンの「死のフェニーチェ劇場」。それがドラマ化されたかどうかは知らないが、読者賞の「碇泊(とまり)なき海図」(今井泉)は確か高橋英樹主演でドラマ化されたと思う。ただしタイトルは「愛と死の殺人航路」みたいなのに変更されてた。


刻々と迫る「時効」までに事件を洗い直し、聞き込みし、尋問し、犯人逮捕に向けて全力を挙げて走り回る捜査の臨場感と、3人の元高校生たちの供述から振り返る15年前のできごとのちょっとやるせない物語が、同時進行していくのに混乱することなく、それぞれの場面が浮き立っていくのはさすが。
警察小説と青春小説を同時によんでいるようなちょっと特別な感覚になるが、15年のへだたりは時空を越えてリンクしていき、最後の最後には、登場人物全部がきっちりと収まるところに収まり、パズルは完成する。
これまでの横山秀夫作品の中で一番本格ミステリーっぽい作品なのではないかなあ。昭和、時効、巣鴨といえば3億円事件が思い出されるが、それさえも取り込んでいくストーリーは厚みと見るべきか拡散とみるべきか、そこだけがちょっと気になったがそんなことたいしたことではないのだろう。

元ツッパリの3人の15年後の姿、一人は平凡で平和な家庭を持つセールスマン、一人は地上げ屋、そして一人はホームレス。純粋に15年を背負った男が開放されるシーンに涙がにじむ。「クライマーズ・ハイ」のラストを読んだときのような涙。この作品を青春小説と言いたくなるわけもここにある。

本庁捜査一課強行犯捜査4係のリーダー溝呂木班長の個性は、その後の「第3の時効」の強烈な個性の3人の係長たちより、「半落ち」の志木刑事に受け継がれたような気がする。
「半落ち」や「クライマーズ・ハイ」の原点はこの「ルパンの消息」にあったのだと確信した。
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by windowhead | 2006-01-31 13:40 | 至福の観・聞・読 | Comments(0)

午前8時のモーツアルトはなかなか手ごわい

今日から「毎日モーツアルト」。
実は、27日の「まるごと入門モーツアルト」の時間に大切な人物たちのとのミーティングが重なり、それが、突然だったので、見ることも録画することもできなかった。不覚!切腹!

一度不覚をとったが、二度繰り返すとバカと言われる(誰に?…一般的に人は言うよ)
昨日、1週間分の録画設定をしたが、本当に録画できているのか気になって、ついさっき見てしまった。

モーツアルトの曲を年代順に追うと聞いていたが、今日は、プロローグなのか、K136のザルツブルグ・シンフォニーだった。
明日はK1からということらしい。

案内人・山本耕史の声はやや小さく抑揚も少なく、それでいてまちがいなく若い男の声だというエネルギーが感じられる。いいキャスティングだと思う。

それにしても、朝8時という時間帯はばたばたしていてTVを見るのには難しい時間帯。
この「毎日モーツアルト」の視聴ターゲットはいったいどんな層なのだろう。

毎朝10分、月曜日から金曜日までで1週間で50分。
それが、1年間ということは、週1回45分で1年間の大河ドラマとほとんど変わらない時間あるということ。山本耕史君、また一人で大河やっているわけだ。まるでNHK御用達俳優だね。まあ、いま民放に魅力的な番組を創る力がないような気がするので、それもいいだろう。

1年間の「毎日モーツアルト」はDVD10枚を越えることになるわけだ。などと、すでに1年間分をゲットしたようないいぐさだが、番組は今日は始まったばかり。この高ぶりが空回りして3日坊主に終わらないようにしなければ。
今週のケッフェル1番から5番を聞いただけで、モーツアルトのあまりの天才ぶりに嫌気がささないように祈るしかない。
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by windowhead | 2006-01-30 16:49 | 至福の観・聞・読 | Comments(2)

「眠る絵」絵画にまつわる陰謀

b0009103_0513537.jpg「眠る絵」 佐伯泰英著 kkベストセラーズ


ある絵画コレクションとそれにまつわる殺人事件。
長崎の美術館に寄贈された絵画コレクションのオープニングで、かかわりのあった大学教授が殺される。体内の血液を全部抜かれて。寄贈主の孫娘の周辺に現れる謎のスペイン人。寄贈主は、スペイン戦争勃発当時、スペイン大使であり、滞在中に1000点に上るというスペイン美術を購入したという経歴の持ち主でもあった。まだ発見されていない残りの絵画と殺人の謎を追って、孫娘と美術記者がスペインに飛ぶ。そこに待っていたのは、スペイン内戦の亡霊たち…。

これだけ読むと、美術や歴史に詳しい人なら、この小説がモデルにしている絵画コレクターが誰か判ると思う。
この「眠る絵」のキーパーソン・木滑明矩は、実在の外交官・須磨弥吉郎をモデルにしている。そして「キナメリコレクション」は「須磨コレクション」ということになる。

須磨弥吉郎氏は戦前の外交官。日本が戦争への道を歩みだしたころ中国、アメリカに赴任、帰国後、外務省情報部長に。昭和15年第2次大戦の前哨戦となったスペイン戦争直前に特命公使としてマドリードに赴任している。当時のマドリードは各国のスパイが入り乱れての情報戦の最中だった。
須磨氏は公使業務の一方で、敗戦までの5年間に2000点に上るのスペイン絵画を購入している。一外交官がなんのために、どのようにして膨大な絵画を購入したのか、その費用はどこから調達したのか謎は多い。その収集品は戦後、須磨氏が戦犯容疑から釈放された後、スペイン政府から、一部が返還され「須磨コレクション」と呼ばれた。
「須磨コレクション」の一部は、1970年全国巡回ののち最後の地長崎で78点が長崎県に寄贈された。その10日後、須磨弥吉郎氏は他界した。

須磨コレクションは、常設展示を条件にその後数回にわたって長崎県に寄贈され現在501点が長崎県美術館に収蔵されている。

2日ほど前、長崎県美術館の常設室をのぞいたら須磨コレクションは約20点ほどが展示されていた。今だと、ダニエル・バスケス・ディアスによる須磨彌吉郎の肖像 やベラスケスの「貧者の聖体拝領」、ゴヤのエッチング「妄」などをみることができる。
 
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by windowhead | 2006-01-30 00:54 | 至福の観・聞・読 | Comments(1)

ついに、会津藩御用達足立仁十郎と対面!

b0009103_11282497.jpg大河「新選組!」がきっかけで、会津に関する多くのブログをまわった。そんななかで、会津の銘菓「会津葵」を知ったが、その栞に会津に南蛮文化を伝えた一人として長崎の豪商足立仁十郎という男が登場した。あの「泣血氈」となった毛氈の献上主だとも言われている足立仁十郎だが、長崎でほとんど知られていない。足立仁十郎とはだれか、なぜ長崎で足跡が残っていないのかが気になって、昨年からぼちぼち調べていた。このいきさつや経緯は
気になるお菓子「会津葵」とついに対面!そして、足立仁十郎を追いかける。
 ●会津藩御用達商人 足立仁十郎の墓
に書いたが、その後も、長崎県立図書館の郷土課(当時)の史料室などにある長崎会所の貿易史料や長崎の在野の歴史研究家たちが研究を発表している「長崎談叢」という本から、すこしつづ足立仁十郎の姿が見えてきた。

そして、ついに「足立仁十郎」の肖像画に対面できた。
13年ほど前に発表された会津若松市の林俊氏の研究発表の本に足立仁十郎の誕生地のことが書かれていた。そのなかで、菩提寺に肖像画があると書かれていた。

仁十郎は、享和元年(1801)但馬之国(今の兵庫県)与布土村の郷士の次男として誕生し、成長してから大阪の薬種問屋「田辺屋」に奉公している。このころ「田辺屋」は会津の和人参を取り扱っており仁十郎はその指導や買い付けに行っていたようだ。その後、仁十郎はのれんわけのかたちで長崎に「田辺屋」を開くことになり、会津和人参の取引も引き継いでいる。大阪の田辺屋というのは現在の田辺製薬の前身になるらしい。

仁十郎の菩提寺は故郷与布寺の玉林寺で、長崎の祟福寺の足立家墓所にある墓は養子で幕末の人参貿易の実務を取り仕切っていた程十郎やその身内の人々が分骨などして建立したもののようだ。長崎の仁十郎の墓には祟福外護と彫られているのはそんないきさつからかもしれない。

b0009103_1129108.jpg昨年、玉林寺のご住職を紹介していただき、肖像画のことをお尋ねしたら、たしかにあるということで、このたび、長崎の歴史文化協会会報に足立仁十郎について書くことになったので写真をいただけないかとお願いしたら、快くひきうけてくださった。

とどいた写真は彩色の肖像画だった。
仁十郎66歳のころの姿らしく、裃の家紋は、長崎の足立家墓所の家紋と同じだった。
興味深いのは裃のしたの着物の袖にある家紋。これが「三つ葉葵」なのだ。おそらく会津公からの拝領の着物なのだろう。
仁十郎はこのころすでに会津藩に藩士として取り立てられていたのだが、彼がいかに会津藩から厚遇されていたかがわかる。それだけ和人参の貿易は会津の財政を支えていたということだ。(『慶応年間会津藩士名録』によると仁十郎は足立監物という名で七百石・御聞番勤肥前長崎表住居の御側衆という高待遇で会津藩士に取り立てられている。)

b0009103_11292665.jpgもう1つ興味深かったのは、仁十郎の小刀の鍔。長崎の郷土史家越中哲也氏のよれば、この鍔はたしかに「長崎鍔」の意匠ということだ。

足立仁十郎の肖像画だけでも、会津と長崎と与布土をつなぐ確かな接点が読み取れる。
私が、足立仁十郎という人について調べているということは、長崎市内の歴史研究の人々にも少しは知れ渡ったらしく、「史料を調べていたら足立という名前がでてきたわよ」と教えてくださる方も出てきた。自分の興味は多くの人に伝えることが大事だなあと思い知らされる。

足立家の衰退の理由もわかった。幕末維新の大転換に翻弄された商人の姿がそこにあった。大事のためには少しの犠牲は…というようなことがよく言われるが、足立家に起こったことを見ていくと、明治維新がいかに庶民の犠牲を強いていたかもわかる。また、その事件には長州ファイブの一人が大きく関わっている。そのことはまたあとで、書いていくつもり。
まずは仁十郎の肖像画と対面したことを報告しておこう。



※なお写真には、無断転載の防ぐためにわざと文字をいれています。また、写真の映像は肖像画の一部であり、全体像ではありません。
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by windowhead | 2006-01-27 11:29 | Comments(5)

「長崎菜の花忌」で朗読者を募集中

会員になっている「亀山社中ば活かす会」から「第9回長崎菜の花忌」開催のおしらせ」がきていた。

この催しは、司馬遼太郎氏の命日(平成8年2月12日没)近くに、その文学の顕彰と氏のお人柄を偲ぶ集りで、今年で9回目。平成10年2月1日に全国で初めての司馬遼太郎文学碑として亀山社中ば活かす会が建立した「司馬遼太郎『竜馬がゆく』文学碑」の前で行われている。

今年の開催詳細は
■日時: 平成18年2月11日(土曜日・祭日)午前11時から
■場所:司馬遼太郎「竜馬がゆく」文学碑前
      (長崎市風頭公園内 坂本龍馬之像前広場)

昨年の様子はこちらに書いている。


この催しは、参加費無料、当日だれでも参加できるので、朝から暇だなあという方、運動不足なので山歩きでもという方、たまたま長崎に行くという方、のぞかれるのもいいかも。
もちろん、司馬遼太郎ファン、幕末ファン大歓迎!!

さて、その催しのメインのひとつに、文学碑の前で、司馬作品の一部を朗読することができるのだが、「亀山社中ば活かす会」では、いま、その朗読者を募集している。
詳細は、「亀山社中ば活かす会」のホームページを見て欲しい。

好きな作品の中から好きなフレーズを読み上げることができるという、司馬遼太郎ファンには感涙の次第。ちなみに昨年は、「竜馬が行く」から長崎港からの竜馬の船出シーンと「峠」から冒頭シーンを2人の方が朗読した。

私だったら、何を読むかなあ。「燃えよ剣」だろうか、そうなら、どのシーンを読むかなあ?司馬作品で新選組物ならやはり「新選組血風録」が好きだが、朗読用には不向きだしね。
今の私だったら「胡蝶の夢」か「街道をゆく」シリーズの長崎か会津あたりのものを選びそう。

そんなことをきっかけに振り返ると司馬作品は幕末物と紀行物しか読んでいない。まあ、興味の範囲がそこなので、いまさら、戦国物など読む気はしない。それはそれでよしだよね。
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by windowhead | 2006-01-24 12:07 | 長崎と幕末維新 | Comments(1)

そろそろ「毎日モーツアルト」に備えなくっちゃ

なんだかんだやっているうちに、来週の月曜日(8:01~8:11)からNHK BS2 で「毎日モーツアルト」が始まるんだ。
その前に今週金曜日にはNHK BS2 19:30~21:50 【ハッピーバースデー!生誕250年「まるごと入門!モーツァルト」】/21:50~22:00「毎日モーツァルト」

紹介しているサイトやブログによると1年間続くらしい。

私にとっては、なかなかいい企画。
若い頃あまのじゃくだったので、誰もが知っている、誰もがほめるというだけで、モーツアルトをちゃんと聞いていない。教科書に出てくる曲と映画音楽に使われたもの、ロックやジャズにアレンジされたものくらいしか聞いていない。
日常、どこかから流れてくる音楽で、ふと耳に残るものがあり、「あれ、何の曲?」と聞くと、多くはモーツアルトだったりする。
すごく無理がなくて分かりやすい曲に感じるのはそれだけ完成度が高いのだなあ。それが分かったのはいつごろだったかなあ。亡くなった弟は音楽に造詣が深かったがよく「ポール・マッカートニーって、20世紀のモーツアルトだなあ」と言っていた。
そんなモーツアルトを毎日10分間づつ聞ける、それも山本耕史のナレーション付きで。
そろそろHDD録画の準備にかからなければ…HDD内に残っているものを整理して消去ね。
実は司会者に釣られて紅白歌合戦を全部録画していた。これは、耕史くん部分だけのこして編集しなければ…かなり短くなるね。10分の一ぐらいになるかも。

月曜日から金曜日まで毎日モーツアルトをバックに山本耕史の声を聞くことになるわけだが、実は東芝EMIサイトで「英詩紀行」というDVDセットを見つけ、注文した。英国の映像をバックにワーズワースやシェークスピア、キーツ、ブレイクなど英国の詩人の詩をネイティブな朗読で聞けるという心惹かれるDVDだったので、注文!これが、なんと日本語訳詩の朗読をするのが山本耕史というたなぼたなおまけつきだった。来週はじめごろには届くはずだ。
日曜日のゆったりした午後に聞きたいDVD。

一週間まるまる山本耕史の声が聞けるというのは私にとってはものすごい幸せ時間なんだけど、他の人にはなんのこっちゃ!というくらい超個人的思い込みの「幸せ」なんだよね。
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by windowhead | 2006-01-24 02:02 | 新選組!な人々 | Comments(0)

「THE有頂天ホテル」は「新選組!」の同窓会みたい

とにかく、「おもしろかったね!」と、感想はそれでいいでしょ。
大晦日のホテルで繰り広げられるのホテルマンと宿泊客たちの人間模様。
一人一人の小さな事件がホテルのあちこちで起こり、それが交差したりミルフィーユみたいに積みかさなって、絶え間なく小さな笑いや大爆笑に引き込まれる。
オープニングから長回し撮影。すごく計算されているなあと冷静にチェックしていたが、ものの数分でそんな映画マニア的なチェックなんか忘れてワクワクしながら見ていたし、伊東四郎の登場で笑いのたががはずれてしまい、後はもう三谷幸喜の思う壺だった。
狂言回し的役割の副支配人・役所広司とマネージャー・戸田惠子のテンポがいい。安心してそのテンポで引っ張っていってもらおうと乗っかることができる。今回の笑いの大ツボは伊東四朗、トホホのツボは角野卓造、いやみのツボの生瀬勝久、それぞれさすが!の技で笑わせてくれる。はぎれがよく堂々とした松たか子、はじけた篠原涼子、騒がしさのなかのオアシスのような原田美枝子たち女性陣も負けずに楽しませてくれる。
演技の重たい佐藤浩市が浮かないかなあと思っていたら、秘書役で三谷ドラマではおなじみの浅野和之が横に居てリズム感を保っていた。
盛り込むだけ盛り込んだ事件がおもしろいようにからみあって、それでも最後はすべての事件やできことがちゃんとハッピーに解決している。三谷幸喜、お見事!と唸ってしまった。とくに、寺島進演じるマジシャンとアシスタントのささやかなトラブルまでも最後の最後にさりげなくハッピーに解決したのには脱帽した。

それにしても、大河ドラマ新選組に出演した俳優が数多くキャスティングされていた。主要メンバーでも、香取慎吾(近藤勇)、佐藤浩市(芹沢鴨)、戸田恵子(寺田屋おとせ)、生瀬勝久(殿内義雄生)、麻生久美子(お龍)、オダギリジョー(斉藤一)、川平慈英(ヒュースケン)、伊東四朗(八木源之丞)。
これだけではない、隊旗持ちの尾関、尾方、広沢様、新見たちも登場。まるで、新選組!の同窓会みたいだ。

佐藤浩市の政治家と秘書の会話の中に“鴨料理”という言葉がでてくるのは「組!ファン」へのプレゼント?同じように、ラスト近くの二人のドアボーイのエールの交換も「組!ファン」にはうれしいツーショット。

三谷組の一人ともいえる山本耕史がこの映画に出演するとしたら、どの役かなあと考えた。「オケピ!」のながれなら、オダギリジョーが演じた筆耕屋だろう。そういえばこの筆耕屋は特殊メイクでおでこが広かったぞ。山本の演技力ならもう少しひねった役柄をやって欲しい。梶原善が演じた演歌歌手(西田敏行)の付き人はどうだろう。「ドレッサー」へのオマージュのような演歌歌手と付き人。西田敏行と山本耕史のからみというのにはかなり興味をそそられる。

私の勝手な思い込みかもしれないが、もう1つ「新選組!」ファンにはうれしいシーンがあった。
香取慎吾演じるベルボーイが、あきらめかけていたけど、やっぱり好きな歌を歌い続けるぞと決心して愛用のバンダナを頭にきっちりと巻くシーンがあるが、これはもしかして、「土方歳三最期の一日」での山本土方がだんだら羽織の切れ端で鉢巻するシーンと呼応するように作られているのではないかと感じた。それほどこの2つのシーンの持つ意味合いやアングルが似通っているのだ。新選組!で近藤、土方が離れていてもコルクを持つことでお互いを確認していたように、別々の作品の中に居ても同じ動作で繋がっている二人を感じることができる。もしそうであれば、このシーンは、「大河新選組!」ファンへの最大のプレゼントシーンだと思う。


「THE有頂天ホテル」
楽しみ方はさまざまだが、単純に大笑いして、なんだか幸せな気分になれる特権を持っている。
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by windowhead | 2006-01-22 04:10 | 新選組!な人々 | Comments(0)

ショック!の追い討ちー「月明星稀」が終わる

ここ数日、ショックなことがいっぱい。
与党大物政治家の名前が挙がってきた証人喚問。この前日にライブドア強制捜査というのは本当に偶然なんだろうか。耐震強度偽装問題と政治のからみをぼやかすために、ライブドア強制捜査をぶっつけたんじゃないだろうかと憶測すると、背筋が凍る。

ライブドア関連会社社長の変死体が沖縄で発見された。警察の解剖結果は出ていないが、マスコミ報道では刃物による自殺のようだとか。まだ35歳位の人。どうして男はさっさと自分の命を絶つのか。辣腕のビジネスマン、罪があるのなら償って後にその有能な力を発揮する場はたくさんあるだろうに。自殺でないとしたら…これも背筋が凍る。

東証のサーバーがアップアップで取引停止とは無様。そして、あろうことか、その原因を個人投資家が増えたことという。原因はシステム開発時の計画の甘さだろう。昨年ダウンした時復旧するだけで反省がなかったということ。大企業の保身のためなら反省せずに責任転嫁するやりかたが姑息でいやらしい。

そして、そして、なによりショックなことといえば 「月明星稀」が打ち切りになるということ。
ままこっちさんのブログに書いてあった。
たかが漫画のことだが、私にとっては一大事。

事実確認しようと小学館Webをのぞいたが、確認できなかった。たた、作者盛田賢司のファンサイトに「とにかく盛田先生お疲れ様。ゆっくり休んでください」というようなことが書かれていた。
いまから、小学館や盛田賢司氏に連載再開のお願いをしても無理だろうか?
お休みしていただいて、ゆっくり再開をお願いしますという手紙を送ろうかなあ。

盛田作品としては、剣道漫画「しっぷうどとう」を越える連載になることは間違いないだろうと思っていたのに…。土方主人公なので、まちがいなく箱舘までの大河漫画になると期待していたのに…。坂本と土方のお互いを畏怖しながら惹かれあう設定にも新鮮さがあったのに…。

私は、女性漫画家の新選組ものはあまり好きでない。やたらクールっぽいかっこいい土方とか、女性のように長い髪を振り乱した土方に土方が重ねられない。
他の隊士は別だが、こと土方に関しては、特に京都時代の土方が髷を結わないことは考えられない。隊士を統率し、ひとかどの武士集団に育てようとする男みだしなみに気を使わないはずがない。女性の書いた新選組漫画で只一つ受け入れられるのは「無頼」だったが、これも中途で終わっている。この耽美的美形新選組でも土方は黒髪を大たぶさに結っている。
女性が書いた新選組漫画が受け入れにくいもう一つの理由は、殺陣のシーンがへたくそだから。斬りあいがへたなのでなく、刀の持ち方やからだの動きに注意が払われていないからだ。剣士たちの物語を書くなら、髪形や顔立ち以上に殺陣シーンでのからだの動きを勉強して書いて欲しい。

さすがに「月明星稀」は男のからだがしっかりと描かれ、殺陣のシーンで筋肉のどこに力が入っているか人体デッサンがきちんとしている。殺陣の決めシーンポーズもデッサンのくるいがない。それでいながら、少年のようなきれいな顔をしている。キャラクターもしっかりとしていたのになあ。

本当に終わるのだろうか?なんとか連載再開できないものだろうかと、往生際が悪くなるのも、これがなくなると新選組を継続して追いかけているものがなくなるから(いくつかの女性漫画の連載があるようだが、これらを新選組漫画と認めていない)。
月明星稀の土方で軍服の土方を見たかったなあ。

それにしても、なぜ終わるのだろう。
人気がなかったのかなあ、私のように週刊誌を買わずにコミックになってから買うような人ばかりだったのかなあ。
たかが漫画でもショックは大きいぞ。
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by windowhead | 2006-01-20 03:46 | 至福の観・聞・読 | Comments(6)

永井様の独断が作ったものー「新秋の浦夜話」を読みながら

「新秋の浦夜話」という新書版の古本を持っている。
b0009103_14205993.jpgこれは昭和39年発行で編者は三菱造船株式会社長崎造船所(今の三菱重工業株式会社長崎造船所)
で、菱造新書ー1という通番と値段が書いてないところを見ると、三菱の私家版だったのだろう。
内容は、三菱長崎造船所の歴史のなかから、特徴的な出来事をこぼれ話のように紹介しているもので、一般的には知られていないような話もでてきて、軽く読めるが興味のつきない本だ。

このブログの前回の記事に永井尚志のことを書いたら、数人の方からとても興味深いコメントをいただいた。おゆきさんのコメントで永井尚志は三島由紀夫のひいおじいさんにあたるということも知った。みなさんそれぞれの捉え方で永井尚志に好意をもっていることが感じられた。

で、永井尚志についてもう少しエピソードをさぐってみたいと考えていたところ、記憶の中で長崎海軍伝習所諸取締の永井玄蕃頭尚志は『長崎鎔鉄所』の言いだしっぺでもあるという部分が引っかかってきた。そこで、「新秋の浦夜話」を引っ張り出してきたわけだ。

この最初のページに編集当時(昭和36年)の所長さん喜多喜久一氏による「はしがき」がある。少し引用させていだだこう。
三菱長崎造船所組立工場の外側に『長崎鎔鉄所の跡』という標識が立ち、その前庭に古めかしい工作機械が大切に置かれています。…中略…今から百年あまり前、長崎鎔鉄所の片すみで、日本にはじめて種まかれた近代工業として最初の一片を削り出したのが、この簡単な工作機械だったのです。後略…
この日本最初の工作機械は今でも三菱重工(株)長崎造船所の資料館に保存されている。
この工作機械が日本に入ってきたいきさつに永井尚志は大きく関わっているのだ。
安政2年長崎海軍伝習所の諸取締(というのは監督かプロジェクトリーダーのようなものだろうか)の永井さまは「海軍を作ったら、造船所や製鉄所や修理工場もいるよなあ」と思って、長崎奉行に話をしたらしい。長崎奉行は幕府にお伺いを立てて許可が下りたら進めよう」と言ったのだろう。お伺いを立ててもすぐに返事がこないので、頭脳明晰で穏やかな人柄だったと言われている永井さまだが、「なら仕方がない職権で進めよう!」と、鎔鉄炉用蒸気機関や機械器具をオランダに発注している。(「海軍を興せば、即ち造船所を設けざるを得ず、是により在崎の日、長崎奉行とこれを談じて協せず、この故に職権専断、蘭師に託し造船製鉄の器械を蘭国より購ず」=永井玄蕃頭尚志手記)
永井さまが独断専行したのは、製鉄所建設を委託するオランダ海軍中佐ファビウスが帰国する日にちが迫っていたからで、間に合わないと建設が先延ばしになることを恐れたかららしい。
(さすが、頭脳明晰で穏やかな人柄!)
先に書いた、三菱長崎造船所資料館にある日本最初の工作機械は、このときに発注されたものの一つだ。

鎔鉄所の建設工事は、安政4年(1857)から始まる。オランダの海軍士官ハルデスが総指揮をとり、4年半後の文久元年(1861)3月に落成した。しかし、安政4年3月に築地海軍操練所が開講したため、永井さまは築地に移動することになり、鎔鉄所の完成に立ちあえていない。
この日本初の洋式工場である長崎鎔鉄所(のちに長崎製鉄所と改称)が、現在の三菱重工株式会社長崎造船所の起源になっている。
三菱長崎の資料館HPにも永井さまの名前が出ている。永井玄蕃頭尚志の建議に端を発し…と書かれているのがなぜかうれしい。


三菱長崎造船所といえば、一民間造船所の技術で戦艦「武蔵」を造ったところであり、今では最新鋭イージス艦や地球深部探査船「ちきゅう」を建造している世界的にも名だたる造船所。この発端におだやかな人柄だといわれていた永井さまの苦汁の独断があるというのがなんともうれしい。

我が家がある風頭山から三菱長崎造船所が見える。眺めるたびに「新選組!!」で永井尚志に扮した佐藤B作さんの顔が浮かんでくるようになりそうだ。


注:写真の「新秋の浦夜話」は「三菱長崎造船所編」というのが見えるようにわざと後ろ側を写したが、どうもよく見えないね。
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by windowhead | 2006-01-17 14:32 | 長崎と幕末維新 | Comments(1)

「新選組!!」-「降伏もアリだと思ってるんだよ」と永井さまは言った。

「新選組!! 土方歳三最期の一日」で佐藤B作さん演じる永井玄蕃頭尚志の気持ちを考えるととてもせつなくなった。

今回のドラマの永井尚志は、ただひとり伝統的な具足をつける純和装をしているが、これは残っている永井の写真を参考にしたのだろう。伝統的な服装をしているが、永井は蝦夷共和国のなかでももっとも開明的な人だったと思う。このとき53歳。ちなみに土方は34歳。

永井尚志は34歳のとき、幕府が長崎に開いた長崎海軍伝習所の総監になっている。
長崎海軍伝習所は、幕府が諸外国に対抗できる海軍士官を養成するために設置した教育施設で、幕臣や諸藩の英才を集めてオランダ人教師の指導で航海術・蘭学・科学技術などを学ばせた。永井はそこの総責任者だ。長崎海軍伝習所の伝習生は、勝海舟や榎本武揚など4年間で約200人。

蝦夷共和国の幹部たちには長崎海軍伝習所や築地軍艦操練所出身者が多い。
・榎本武揚(蝦夷共和国総裁・長崎海軍伝習所二期生)
・沢太郎左衛門(蝦夷共和国開拓奉行・長崎海軍伝習所三期生)
・中島三郎助(箱館奉行並、戦時は本陣前衛の千代ヶ岡陣屋隊長・長崎海軍伝習所一期生)
・松岡磐吉(蟠竜丸の艦長・長崎海軍伝習所二期生)
・甲賀源吾(回天艦長で宮古沖海戦で戦死・築地軍艦操練所、長崎海軍伝習所一期生の矢田掘景蔵の教え子)
・荒井郁之助(蝦夷共和国海軍奉行・築地軍艦操練所教授)

幕府が日本近代化の核となる人物として育成した人材のずば抜けた優秀さを一番良く知っているのは、育成の総責任者であった永井尚志だろう。同時に近代化に必要な人材育成の大変さや学んだ人たちの苦労も知っている。
だからこそ、中でも最も優秀な一人・榎本武揚の蝦夷共和国樹立にささやかでも夢を託すことができたのだろう。
しかし最終決戦で、これらの人材を失うことは、その後の日本の大きな損失になることも身に沁みて感じていたはず。すでに宮古沖海戦で甲賀源吾を失っている。これ以上一人でも失いたくないというのが永井尚志の本心だったのではないだろうか。そのためには箱舘総攻撃は避けたかっただろう。降伏を決めた榎本たちを説得して欲しいという土方に向って「それもアリだと思ってるんだよ」という永井の気持ちを察すると本当にせつなくなってしまう。


箱舘戦争では海軍伝習所の同窓生同士が海戦を闘っている。
箱館総攻撃の日、蝦夷共和国軍でたった一隻残った軍艦「蟠竜」が撃った砲弾が新政府軍の軍艦「朝陽」の火薬庫に命中、「朝陽」は爆発沈没し、艦長の中牟田倉之助は重傷を負いながらも外国船に救出されたが乗組員の73名を失っている。「新選組!!土方歳三最期の一日」の中で、新政府軍の船が被弾し、爆発して沈むシーンがあった。船の破片に陽の字が書かれていた。「朝陽」だろう。
「蟠竜」の艦長は長崎海軍伝習所二期生の松岡磐吉、「朝陽」の艦長は佐賀藩出身で長崎海軍伝習所二期生の中牟田倉之助。「朝陽」は安政5年オランダから長崎海軍伝習所に贈呈された伝習所の練習艦だった。伝習生時代にお世話になった艦船に向けて発砲することになった松岡磐吉も複雑な気持ちだっただろう。
その後「蟠竜」は集中砲火をあびて浅瀬に乗り上げ航行不能となり、松岡ら乗組員は七重浜に上陸し撤退した。土方が七重浜方面に兵を進めたのは松岡たちの上陸をサポートするためだった。この海戦は松岡の勝利となったが、松岡は降伏後、収監された獄舎で病死。重傷だった中牟田は明治政府海軍で昇進し80歳まで生きている。

五稜郭降伏の2日前、5月16日に千代ヶ岡陣屋で徹底抗戦した海軍伝習所1期生の中島三郎助が2人の息子と共に戦死した。ペリー来航時、浦賀奉行与力だった中島は近代的な海軍の必要性を痛感していた一人だし、年齢も近いことから永井尚志にとって一番頼りにしていた人物だったのではないだろうか。すでに土方を失った後の中島の死に永井は全てが終わったと感じたことだろう。

降伏した蝦夷共和国幹部のほとんどが数年の収監後解放されているのも、彼らが新政府の近代化に最も必要なテクノクラートだったからだろう。日本の近代化の核に旧幕府が育てた人々が必要だったという皮肉がちょっとうれしい。
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by windowhead | 2006-01-14 05:41 | 新選組!な人々 | Comments(5)

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