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土方歳三についてのちいさな記述

会員の末席に名前を連ねさせていただいている歴史研究を主催している「歴研」が発行している月刊誌「歴史研究」の4月号に「土方歳三はアイスクリームを食べたか」という神奈川県の会員の方が書かれたちいさなコラムがあった。

記述によれば横浜にアイスクリームが伝わったのは明治2年5月らしい。横浜にアイスを伝えた船がそのまま函館に入っても、戦のさなかの土方にはアイスクリームを味わうほどの余裕はなかったろうから、土方は残念ながらアイスクリームを食べることはできなかっただろう。というような、なんでもない記事なのだが、なんとなく、うれしい。
書かれたのは男性だが、この方も土方を好きなのだろうか?書かれた方に親近感すら覚えてしまう。
この方も最後のほうに書かれているが、断髪・洋装の土方のことだからアイスを口にすることができたらきっと美味しそうに舌鼓をうったことだろう。
榎本から、「なんでも食べてみないと世間をせまくするよ」とか言われながら恐る恐る口にして、蕩けるような美味しさについ「うまい!」と言い、そんな無防備な自分を出したことに、はにかんでしまう土方を想像してしまう。
箱舘では、自ら粗食に甘んじていた土方に、最後のごほうびにアイスくらい食べさせてあげたかったなあ。

本書には、新人物往来社の大出さんが主催される「新選組友の会」による恒例の「勇忌」、「歳三忌」、「総司忌」の案内も掲載されていた。

「第3回 勇忌」は、4月9日 流山市・長流寺で午後1時から
       講演会講師は釣洋一氏
「第31回 歳三忌」は。5月7日 日野市・石田寺で午前11時から
       講演会講師は 黒須洋子氏
「第32回 総司忌」は6月18日 午前11時からいつもの菩提寺で(ここには直接問い合わせなどされると翌年からの墓参が禁止になるので、絶対に電話をかけてはいけないことになっているのであえてお寺の名前はかきませんのであしからず)
      講演会講師は伊東成郎氏

いずれも参加費は2000円、詳しいことや、参加申し込みはは、新人物往来社 大出俊幸様まで。


毎年、いつかは参列したいと思う歳三忌だが、今年も行けそうにない。
いつかは…というのは、能動的に踏み出さないと叶わないものだ!と自戒したりして…。
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by windowhead | 2006-03-30 10:59 | Comments(2)

久々に土方歳三を実感した言葉

正月の「土方歳三最期の一日」以来、なんとなく土方歳三から遠ざかっていた。
これで、山本耕史が演じた土方歳三に決着がついたし、今後しばらくは、彼以外のだれが土方を演じても「違うよなあ」と感じるだろう。それほど大河「新選組!」の山本土方は若々しい人間土方を見せてくれた。あまりにもしっくりくる俳優に演じられて、私の中の土方像がややかすんでさえいた。

などと、大仰なことを言っているが、なんのことはない、最近土方に関する新刊本が出ていなかったのが、土方から遠ざかってしまっていた理由のすべて。土方関連本のほとんどは読んでいるのでよほど何かのきっかけで読み返すことがない限り、新刊がでないと、寂しい思いが続く。

新人物往来社の「歴史読本」5月号は、幕末京都志士日誌と言う特集が組まれている。京都に刻まれた志士たちの足跡を追うという形で、近藤、土方、龍馬、中岡慎太郎、桂、桐野利秋、慶喜、イバハチ、岩倉具視などの京都での行動を4ページづつにまとめ、それに各人の京都での行動年表がついている。また、会津藩、土佐藩、薩摩藩、長州藩の京都での動きをそれぞれの「藩邸日録」と言う形でまとめてある。
ひさしぶりに、幕末の京都での出来事をまとめて読むことができ、うれしいやらなつかしいやら。

土方歳三部分を書いているのは伊東成郎氏。土方や新選組関係の史料集などの著書も多い研究家だ。たしか『新選組日誌 上・下』や『土方歳三の日記』を書いたのはこの人だったと記憶している。
この中に、五稜郭で土方の指揮下にいた竹柴保次郎と言う人の話が出てくる。
自分が知っている土方歳三という人は、義にあつく勇敢で、少人数で大敵を破ることもしばしばあった。官軍の用兵は速やかで、背後をつかれることがあり、みんなそれを恐れたが、歳三は「ぜんぜんそんなことは恐れることはない。前の敵を倒したら引き返して背後の敵に向えばいい。向き合えば背後ではなく、前面の敵だ。」と言ったという。
常に前を向いていれば何事も恐れることはない。それが土方歳三の信条だった。と伊東氏は書いている。
「背後の敵も向き合えば前面の敵」 あたりまえのことだけど、すごい言葉。危機にあってこの言葉が言える土方は本質的にポジティブ思考の人。まっすぐ前を向いて突っ走った人か。

たった4ページの文章だが、久しぶりに、山本土方を脱いだ生身の土方歳三に出会ったようななつかしさを感じた。
つくづく、自分の土方歳三好きにあきれてしまうのだが、なんなのだろう、土方の魅力は…。
言論や思想を競い合うような幕末の志士たちの中にあって、実にシンプルな言葉で意表を付くような真実を伝える言葉の瞬発力。それも彼の魅力のひとつだ。

おかえり、土方歳三くん。
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by windowhead | 2006-03-28 23:11 | Comments(4)

佐古招魂社で慰霊祭

b0009103_15364731.jpg21日の春分の日、長崎市内の「佐古招魂社」で長崎県郷友会主催の慰霊祭が行われた。

佐古招魂社は、長崎の人々にもあまり知られていない場所だが、明治7年の台湾出兵時と明治10年の西南戦争時に長崎の病院で戦死した政府軍の人々を祭ってある。

墓標に刻まれた出身地の多くは長崎県外。
写真にもある背の高い慰霊碑には、この場所に祭られている軍人すべての名前が刻まれているそうだ。

西南戦争と長崎は、あまり関係なさそうだが、当時も長崎はやはり外国との窓口であり、西郷軍は長崎をめざしたとの話もあるようだ。
明治政府は、要所である長崎には早くから目を配っていたらしい。
西南戦争時、別働部隊の一部や警視局の別働部隊などが長崎経由で熊本に向けて出発している。警視局部隊というのは、あの佐川官兵衛や藤田五郎(斉藤一)などが加わっていた警察隊と同じで、彼らは大分に上陸したと思う。
長崎経由で戦場に行った部隊の負傷者は長崎に運ばれてきた。
いくら明治10年といっても、外科手術や弾傷の手当てができる医者は全国にそれほど多くいるわけもなく、やはり、ポンペが育てた医療技術者の多い長崎に運ばれてきたらしい。
佐古招魂社のすぐ下の丘にポンペや松本良順が開設した小島療養所があったので、その周辺と寺町界隈のお寺の多くが長崎軍国病院や長崎警視病院の管轄となって広いお堂などが野戦病院さながら多くの傷病者を収容していた。手当てのかいもなく、亡くなった人々の墓が佐古招魂社に集められ今でも祭られている。

私は、ここに祭られている警視局出身の戦没者、60名の墓碑を調査しているが、調査を思い立ったのは、ここに移されている「振遠隊の慰霊碑」を調べていて、偶然は出会ったから。
60人ほどの警視局戦没者のなかにも福島県出身者がかなりいる。会津や二本松の人たちだろうか?
後日、調査した内容はブログにも書いておこうと思っている。

佐古招魂社は、平常は鍵がかかっているのでだれでもすぐに立ち入れるところではないが、ときどき、子孫の方や墓守を頼まれた方が墓参にこられているようだ。
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by windowhead | 2006-03-24 15:37 | 長崎と幕末維新 | Comments(0)

さすが職人技!春朗会わせ鏡:

春朗合わせ鏡 高橋克彦  文芸春秋

腕はあるが、意固地で世渡りへたな絵師と世渡りも腕っぷしもただものではない謎の陰間がコンビを組んで巷の事件解決にあたる捕物帖仕立ての物語。
著者が浮世絵の専門家でもあるので、絵や工芸周辺のことが事件の鍵になってくる話が多いが、それにも興味深い薀蓄やその世界への著者の愛情がこめられていて、飽かせない。
なかでも「こころ毛」や「虫の目」に、江戸の職人技の心意気が感じられて、心が表れるよう。

途中で気づくまで主人公の絵師の素性は気にならなかったが、本名が鉄蔵で、勝川派に破門された過去を持ち、ものの細部まで面相筆で描くことを好み、蔦屋から気に入られ、黄表紙の挿絵などを書く絵師、田舎は葛飾、娘の名はお栄…など話のなかに織り込まれている情報から春朗は、若い頃の北斎だとわかる。

北斎といえば、わが道を行く強烈な個性のじいさまを想像するが、まだ若い春朗は、実生活での自分のふがいなさを悩んだり、考え込んだりする。生活のことで悩む北斎は新鮮でもあるが、まだ無名な若い頃はそれが当たり前か。

そんな春朗をたきつけたり、守ったり、世話したりする美しい謎の陰間・蘭陽がとても魅力的。時は寛政の改革のころ、きらびやかなもの贅沢なものが禁止された時期に贅沢な衣装をつけた陰間であること自体、かなりの反骨精神の持ち主。美味しいものが好きで、お洒落が好きで、口が悪く、こずるいが、情が深いと、まるで気風のいいお姐さんみたいで活き活きしている蘭陽の素性がとても気になるが、本作では明かされない。


著者の作品で、もう少し後の時代を舞台にした「完四郎広目手控」シリーズがあるが、これと同じ趣向かな。高橋克彦は、どれもおもしろいし、新鮮な驚きをもたらす買って損のないエンタテイメントを届けてくれる。

「春朗会わせ鏡」は、江戸の職人技への畏敬を込めた職人肌小説家からの贈り物といってもいいだろう。
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by windowhead | 2006-03-21 01:39 | 至福の観・聞・読 | Comments(2)

復活切望!「月明星稀ーさよなら新選組」

b0009103_1431564.jpgなんでも昨日3月17日は「少年週刊誌の日」だって。週刊少年マガジンと週刊少年サンデーが発刊された記念すべき日なんだそうな。
それで、思い出したわけではないんだけど、やっぱり書いておこう。
「ヤングサンデー」の編集長とやらに、怒りをぶっつけることになるんだけど…。

「月明星稀ーさよなら新選組ー10」(盛田賢司著 小学館)

今回は、中味の感想なんて書かない。
途中半端で終わられては、感想の書きようがない。
ただ、伊東の生い立ちと屈折した自尊心や野望が良く現れていたと思う。
だからこそ、続きが読みたくなるのだ。それなのに…。
ついに、これで、あの苦悩する土方とも、長身の沖田とも、八重歯の坂本とも、会津の密偵斉藤ともお別れしなければならないのか。
無念でしょうがない。
これからの展開がおもしろそうなのに、なぜ終わらなければならないのだろう。

「ヤングサンデー」での人気がなかったからなのだろうが、あんな表紙デザインがカッコワルイ雑誌を買うわけないだろう、私たち「おしゃれな女性」たちが。
それでも、単行本になれば必ず買っていた。
それに、私は、盛田賢司のファンなのだ。
「しっぷうどとう」という剣道漫画にはまってから、彼の作品はほとんど単行本買いしている。「チューロウ」も「アイ・ラブ・ユー」も「ブルーター」も「電光石火」もちゃんと単行本で買っている。
もちろん「月明星稀」も発売を知ると飛んで買いに走った。「月明星稀」の土方や沖田に会うのは楽しみの1つだった。

新選組ファンや女性ファン、漫画週刊誌なんて読んでいられない忙しい人たちは、単行本で買って読んでいる人が多いと思う。
それでも、週刊誌での人気がなければ打ち切りになるのだろうか。

唐突に終わる10巻。最後のページに洋装の土方がいた。
この土方に戊辰戦争を闘って欲しい。叶わぬことと分かっていても会津に、箱舘に行って欲しいと切望してしまう。


それでもまったく希望がないわけではなさそうだ。
作者が嫌気がさして筆を置いたのならともかく、どうも盛田氏はそうではないらしい。
カバーの裏の折り返しにある「つぶやきof盛田賢司」にこう書いてあった。

いままでおつきあいくださいましてどうもありがとうございました。
もし、この続きを書く機会があるなら、書きたいと思ったところを補完しながら進めたいです。またどこかでお目にかかることができれば幸いです。(一月某日 仕事場にて)

ぜひとも書いて欲しい。

10巻を読み終え、再び1巻から通して読んでみて、よくできていると思う。
「大河ドラマ 新選組!」よりも、ずっと新選組らしい。それでいて、デリカシーのある繊細な内面表現がきいているのは盛田作品ならでは。「大河新選組!」の大ファンの私だがそう思う。

一度打ち切ったものを復活させるのは無理なのかな?ヤングサンデーの編集長さん。
いっそ、書き下ろしってのは無理なのだろうか?
「たのみ.com」なんかでお願いするといいのかな?

漫画週刊誌の世界に疎い私が思いつく方法はその程度だが、「月明星稀」の復活に寄与できるサイトなり、方法なりご存知の方があれば教えて欲しい。
ぜひとも復活させたい。
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by windowhead | 2006-03-18 14:03 | 至福の観・聞・読 | Comments(4)

雨、ブエナビスタソシアルクラブ、そしてFANFAN

朝から激しい雨。
雨の日は事務所に行かずうちで仕事。不安定だが、零細事業主の特権。
雨の日はゴロゴロするに限るのだが、追われている仕事があるのでパソコンについている。

こんな日はバックグラウンドミュージックで勢いとつけて!と思うが、どうしてもアンニュイな気分に浸りたくなる。ボサノバなんか聞くと、仕事にならない。ちょっとなつかしいラテン音楽がちょうどいいかも。
流れている音楽は「ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ」(リンクはamazon)
ライ・クーダーとキューバの老人ミュージシャンたちのセッション。
バックグランドのつもりが聞きほれてしまう。
ああ、このCDの収録を追いかけたドキュメント映画「ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ」をまた観たくなった。眠ったようなキューバの町で小粋なステージ衣裳のおじいさんおばあさん。昔の人気ミュージシャンたちが今も尊敬されるミュージシャンでいれるキューバ。いやいや日本以外の国ではほとんど、キャリアを積んだ人々は尊敬されているんだが。
音楽には年齢というか経験が持つ味というものが必ずある。若さが持つパワーの対極にあるもの。
若者は味にあこがれ、老人はパワーを欲しがる。それがどちらも不可能な望みだから、その悩みが音楽に陰影をつけるのかもしれない。
「ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブバンド」のメンバーは、コンバイ爺さん初めすでに数人亡くなっているが、イカシタ演奏や歌声はCDに残っている。若いときが残るのもいいが、歳を重ねた味わいが残るのもすばらしいことだと、このアルバムは教えてくれる。


長い時間が育てた場所というものもある。
長崎の老舗ジャズスポット「FANFAN」が3月末で閉店するという。
風の噂で聞いてはいたが、やはりまちがいない。
数年前、マスターが亡くなった。50代での早い死だった。
その後、ママが続けてくれていた。

「FANFAN」、30年以上、長崎のジャズシーンを引っ張ってきてくれた聖地のようなところ。
数多くのジャズメンたちがすばらしい演奏を聞かせてくれた。
大好きな、本多珠也のドラムや坂井紅介のベースと出会ったのもFANFANだった。
南佳孝のボサノバも聞けた。
2年つづきの「テイスト・オブ・ミュージック」の楽しいボサノバライブ、今年も「FANFANで!と楽しみにしていたのだが…。

3月のラストライブは、26日(日)19時から、友人の「溝口一博クインテット」が飾ることになっている。
溝口さんも、長崎のジャズシーンを引っ張ってきてくれた人。
彼の小さなジャズスポット「さろまにあん」は、低空飛行の経営(ごめん!)ながらなんとかまだ営業してくれている。ジジィになってもよぼよぼになっても、3階のお店に上れなくなるまでつづけてね!

溝口ライブの前も、「FANFAN」では3月の土、日は誰かがライブをやっていると聞いている。
お酒を飲みながらほんの目と鼻の先でミュージシャンが演奏している、
演奏する人と聞く人が一緒になって気持ちのいいジャズの世界を創っていく…それが、ライブの最高の楽しみ。

「FANFAN」にありがとうというのは、まだもう少し先にしよう。
26日、最高に楽しいライブを期待しているよ!溝口さん。
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by windowhead | 2006-03-16 11:37 | 日日抄 | Comments(0)

会津に名を残す長崎の豪商・足立仁十郎を追って

長崎の郷土史研究家・越中哲也氏から、長崎歴史文化協会研究室が発行している長崎歴文短信「ながさきの空」283号に掲載してはどうかと誘われたので、足立仁十郎について書いた。
「ながさきの空」は十八銀行の本店支店に置かれているが、そろそろ次号と変わる頃だ。
そこで、アーカイブをこのブログに残しておこうと思う。


b0009103_1203319.jpg
「会津に名を残す長崎の豪商・足立仁十郎を追って」 

会津若松市に「かすてあん会津葵」というお菓子がある。長崎のカステラとは違った風味のカステラ生地に上品な晒し餡が入り、表面には藩公の文庫印「会津秘府」が刻印されている。このお菓子の栞に驚くことが書かれていた。その部分を抜粋する。

…前略…
ではどうして長崎からはるか離れた山国会津に数多くの南蛮文化がもたらされたのでしょう。それには二つの大きな潮流が考えられています。
一つはレオという洗礼名を持つ隠れもなきキリシタン大名蒲生氏郷、他の一つは長崎にあって会津人参の貿易を一手に引き受けていた豪商足立仁十郎であります。仁十郎は二年に一度会津を訪れて南蛮文化をもたらしました。
…後略


会津には、戊辰戦争の象徴として『泣血氈』(きゅうけつせん)という赤い布キレがある。会津戦争終結時に藩主松平容保公がその上に立って降伏謝罪をしたという緋毛氈を忠臣たちが「この日を忘れないように」と切り分けたものである。そしてこの緋毛氈は足立仁十郎が会津公に献上したものだと言われている。
また、会津の民芸品「会津唐人凧」のもとになる唐人凧を伝えたのは仁十郎だという言い伝えもあるようだ。
『慶応年間会津藩士名録』によると仁十郎は足立監物という名で七百石・御聞番勤肥前長崎表住居の御側衆という高待遇で会津藩士に取り立てられている。
幕末の会津の歴史に顔をだす長崎の豪商・足立仁十郎ではあるが、地元長崎の郷土史関係の書籍には、その名前すら載っていないし、仁十郎の足跡はなぜか長崎では、ぷっつりと消えてしまっている。

 昨年夏、長崎県立図書館で『足立仁十郎伝』(藤本勉著)という13ページほどの私家版を見つけた。しかしその中にも長崎での足跡は記録されていなかった。   
偶然にもその日、県立図書館副館長の本馬貞夫氏から、昭和59年発行の『長崎談叢69号』に本馬氏ご自身が足立仁十郎について書かれたとの情報をいただいた。タイトルは『会津藩御用達足立家について―幕末長崎の人参貿易商―』。
本馬氏は、県立図書館蔵(当時)の「明治九年庶務課庶務係事務簿―足立程十郎人参販売一件書類」という史料に出会ったのをきっかけに、会津藩和人参貿易を長崎会所が引き受けたいきさつ、幕末期の和人参貿易の実態、足立仁十郎とその周辺、養子足立程十郎による没収人参返却の訴えとその決着などを調べ、覚書としてまとめられている。

 本馬氏の覚書によれば、会津藩が足立仁十郎を通して和人参(薬用人参、俗にいう朝鮮人参)の輸出をはじめたのは天保元年(1830)。文政12年(1829)幕府は正式に長崎会所を介して清国への輸出を許可している。足立家は屋号を『田辺屋』といい、現在の浜屋デパート周辺に600坪以上の敷地をかまえた薬種問屋だった。

 足立仁十郎は、享和元年(1801)但馬ノ国与布土村森(兵庫県朝来市山東町与布土)の郷士の家に生まれている。若い頃大阪の薬種問屋『田辺屋』(田辺製薬の前身)に奉公し、その間会津和人参の業務に携わり、やがて「のれんわけ」のかたちで長崎に会津人参御用達『田辺屋』を開いたようだ。
 当時、海防警備役などで、財政破綻寸前だった会津藩にとって、和人参輸出の収益や仁十郎の3万両を超える献金は大きな支えになっていた。それに報いるように会津藩も仁十郎を手厚く遇している。
 仁十郎の菩提寺でもある兵庫県山東町与布土の玉林寺に仁十郎の肖像画があると聞き、ご住職にお願いして写真をいただいた。仁十郎66歳の時の姿らしい。裃の紋は足立家の家紋だが、着物の袖に葵の紋が入っている。着物は会津公から拝領したものだろう。会津藩の仁十郎に対する感謝の気持ちがうかがえる。幕末になると仁十郎は会津藩の武器購入にも関わったらしく、ドイツ人武器商人カール・レーマン等について書かれた『近代日独交渉史研究序説』(荒木康彦著)の中にその名が出てきた。
                                        
 戊辰戦争後は、朝敵にされた会津藩の御用達に対する風当たりは厳しく、慶応4年(1868)3月、新政府が設立した長崎裁判所の参謀となった長州藩士井上聞多は、強制的に足立家の輸出用和人参を没収した。その結果足立家は家屋・家財一切を手放さざるを得なくなり、急速に没落していったようだ。
 そのような逼迫した状態にあっても足立家は、旧会津藩士子弟の九州留学の身元引受人をするなど、会津藩との関係に筋をとおしている。足立仁十郎とその一族はビジネスでは失敗者だろうが人間的なまっとうさを感じさせる。

 その足立仁十郎と家族の墓所が祟福寺裏山の墓地にある。お寺側の話では、すでに長崎での血縁は途絶えているらしく、お参りの人もほとんどないと言う。仁十郎とその妻の墓石には「祟福外護」と刻まれている。この墓は長崎に残る数少ない足立仁十郎の足跡だ。
 この正月4日、祟福寺の足立家の墓所を訪ねた。墓石の中に長崎の国学者で長崎市史の編纂に参加した半顔足立正枝(大正10年没)の名も刻まれていた。先日足立家の墓域を訪ねたら、それぞれの墓石の前に小菊が供えられていた。誰がお参りしたのだろうか。子孫の方がいらっしゃるのだろうか。仁十郎への興味がますます膨らんでくる。

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足立仁十郎の「田辺屋」没落の原因に長州ファイブの一人・井上馨が絡んでいた。
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by windowhead | 2006-03-14 01:25 | Comments(3)

三月はさよならの季節?消えていく風景=亀山社中跡も

人との別れだけではない、見慣れた風景とのお別れを知らせる情報が立て続けに飛び込んできた。

平成元年から「亀山社中ば活かす会」の結成とともにボランティアで公開を続けてきた「亀山社中」の遺構が、この3月18日で閉館になる。
この建物は個人所有だったのを所有者の好意でお貸しいただき、活かす会のメンバーがボランティアで公開し管理運営してきた。今回所有者の方の都合で返却を求められたため閉館せざるをえなくなった。土曜日曜祭日の午前10時から午後3時までの限られた時間の公開だったが、年間15000人を超える来場者があり、確実に長崎の人気の観光スポットだったので、長崎市が買い取って公開してはどうかとの声も多方面から上がっていた。いまのところ長崎市はこの建物が亀山社中跡と特定できないなどの理由もあって買収にはいたっていない。学術的にみれば、その建物がそのまま当時のものでないにしろ、ここは、全国の龍馬ファンの心のよりどころの一つでもあった。長崎の幕末ファンとしてとても残念だし、全国の龍馬ファンに対して申し訳ない気持ちでいっぱい。亀山社中を守れなくてごめんなさい。
4月から、「亀山社中ば活かす会」では、亀山社中跡近くに仮設展示場を開設する予定。
3月の開館は、11日(土)12日(日)18日(土)の3日間のみとなった。
詳しくは「亀山社中ば活かす会」のホームページで

●亀山社中跡に行くことができなかったみなさんへ、
「地球の旅」というサイトにすごくわかりやすい紹介があります。ご覧くださいな。

b0009103_51867.jpg引っ越してきた町の市場に行く通りに小さな本屋さんがある。
昭和の終わりごろまで、町の中にこのような本屋さんがたくさんあったなあと思わせる温かみのあるたたずまいだ。
この本屋さんにも、「3月末をもって閉店します。」との張り紙があった。
たしかに、10分も歩けば駅ビルのなかにやや大きい書店がある。雑誌はコンビニで売られている。この本屋さんの存続は奇跡に近いものがあるだろう。でも風景から本屋が消えるのは悲しい。まして映画に登場した本屋さんだからなおさら…。
b0009103_519681.jpg
いつか読書する日」という映画が昨年封切られた。田中裕子、岸辺一徳が共演した、大人の日常と秘めた思いを淡々と描いた秀作。
この中で、主人公たちが若い頃の回想シーンがある。想いあっていた二人が通う町の書店。読書が好きな二人には格好のデートの場所でもある。ある日、書店の外を通る自転車が若い二人の未来を変えてしまう…。
若い二人が落ち合う本屋のシーンは、この本屋さんで撮影された。

そういえば映画の後半で岸辺一徳が歩いていた坂道。ノウゼンカズラの花が咲いている道は、昨年母が入院している病院に通った道の一角だったが、ここも片側の斜面が新道建設のため造成されてしまった。日常から消えていくなつかしい風景…。

「いつか読書する日」は、長崎ロケが行われた映画やTVの中でも最も印象的で美しい長崎の風景を見せてくれた映画だ。
長崎ロケが印象的な映画を挙げをと言われたら「いつか読書する日」「渚のシンドバッド」「69」を挙げる。
どれも、長崎の観光名所や異国情緒や歴史的建造物は出てこない。
ある地方都市という設定なので、長崎を特定する必要がない映画だから。それでいて監督や原作者の長崎の風景への思い入れやこだわりが強く感じられる。上質の映画は、安直に観光名所をロケ地に選んだりしいないのだ。


3月末で長崎から消えていくやすらぎの風景たち。
4月からの長崎は半年間、街歩き観光イベントが大々的に繰り広げられる。
「行政が考える行って見たい風景」と「人々の情緒が求める風景」とはどうも同じものではないらしい。
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by windowhead | 2006-03-11 05:20 | 長崎と幕末維新 | Comments(4)

「イナバウアー」となぜか福本清三さん

やっと引越しも終わった。
世間では荒川静香さんのイナバウアーブーム。イナバウアーって、スケート靴のつま先を横に向けて横に滑ることらしいが、世間では荒川さんの編み出した大きく後ろにそるポーズがあまりに印象的だったため、イナバウワーといえば、後ろに大きくそるポーズを連想するみたい。
老いも若きも「イナバウアー」と聞くと、条件反射的に後ろにそってポーズするのがほほえましい。

b0009103_10362628.jpg荒川さんの美しいイナバウアーを見ていて、どうしてもある人を連想してしまう。

その人の名は、福本清三
あの「ラストサムライ」にも登場した、日本の名斬られ役。
「ラストサムライ」に出て、ハリウッド進出しても、相変わらず「水戸黄門」では名前の出ない斬られ役をやっている。東映太秦で撮影されるTV番組では、ときどき現代劇にも登場してくれるが、パンチパーマで痩せ型の長身のおじさんは、せりふのない刑事やトラック運転手なんかやっている。我が家では、ちゃんばらシーンで福本さんを探すのが、楽しみのひとつだ。まるで「ウォーリーを探せ」みたいに。

福本さんの斬られ方は特徴がある。
ちゃんばらのときは、主役がカメラの正面にくるため、斬られ役はカメラに背をむけることになる。福本さんは斬られると「ワッ」と大きく後ろに反り返ってそのまま倒れる。痛いだろうに。
その姿は、まるでイナバウアー!

この斬られ方もテレビに顔が映るための福本さんの苦心のポーズという。
斬られ役なりの工夫や生き方がすがすがしい人だ。
こんな話を知ったのは彼の本「どこかで誰かが見ていてくれる―日本一の斬られ役」
を読んだからだ。
久しぶりにこの本を読み返してみたが、やはりおもしろい。
続編も出ている(これはまだ文庫になっていないが)。

福本さん、今年の大河「巧妙が辻」でも初回の合戦シーンに出ていた。
すぐに斬られて、久しぶりに、例の正統派「斬られイナバウアー」を披露してくれたが、NHKのカメラはこのイナバウアーをしっかりと映してくれなかった。我が家では、大ブーイングの嵐だった。

すでにこの2月3日に63歳になられたという福本清三さん。大そりイナバウアーは体に大きな負担だろうが、そこが、斬られ役の心意気なのだろう。

我が家ではいつまでも、台詞のない福本さんを応援している。
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by windowhead | 2006-03-08 10:36 | 男たちの眺め | Comments(3)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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