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Jトッププレーヤーランキング82位は…サ・ハ・ラ

ばかみたいな話だが、本屋で雑誌を立ち読みしながら「やったね!」と雑誌に向かって声をかけたくなった。

雑誌の右ページには、20人のサッカー選手の小さな顔写真。右上から2番目に82という数字とともに佐原秀樹がいる。
その下83は川口能活。

今週の「サッカーダイジェスト」の企画は「Jトッププレーヤーランキング100」。
今シーズンの活躍や人気などを数値化してその総合力で選手をランキングしたもののようだ。
名古屋の小川かすみちゃんがNO.1になっている。
その100人の中にFC東京の佐原秀樹が入っている。
82位と、100人の中では後ろのほうだがJ1の登録選手が各チーム30人くらいとして18チーム、そのなかの上位100人に入っている。

1年前、だれがこの結果を想像できただろう。

佐原がFC東京にレンタルされたのは、川崎フロンターレDFの若返りのためだった。
佐原を押しのけて川崎に完全移籍したのが井川だった。
その井川は100人に入っていない。川崎のDFの要・日本代表の寺田が100番目だ。
佐原秀樹の82位は、も快挙だ。
「その激しいプレースタイルでスタメンとファンの心を掴んだ。2ゴール1アシストの活躍」というようなワンポイント評価が書かれていた。

FC東京に行ったばかりの時は、まるでなじめない転校生みたいだとFC東京ファンのブログなどに書かれていた佐原。本人も、本当に知り合いが一人も居ないチームで泣きそうだったとなにかのインタビューで答えている。
年齢も若くない選手が他チームにレンタルで出されるということはどのようなことか考えると、決して明るい気持ちにもなれなかっただろう。
でも佐原秀樹は飛躍した。
もともとそれだけのポテンシャルを持つ選手だったのだろうが、それまでのチームではその力を発揮する場所がなかった。
その力を求めているチームに行くことで、その力を発揮し、さらに成長している。

「サッカーマガジン」の読者参加の人気企画「サッカーの素」でも、佐原秀樹ネタが何度も登場している。「サッカーの素」常連投稿者の中にも佐原秀樹に魅せられた人がいるのだろう。

すてきなことだ。
佐原秀樹のこの1年は、案外多くの人に希望を与えた1年だったのかもしれない。

来年は、中村俊輔との同級生対決も実現しそうだ。(俊輔ファンとしては、まだまだ俊輔には海外にいたほしいのだが…)
俊輔を止めるために密かに精進しているのかもしれない、そんな根っこのまじめさが佐原君の魅力の素なのかもしれない。
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by windowhead | 2008-11-29 01:43 | 紙のフットボール | Comments(1)

ウエストコーストは福山くんで大騒ぎ

昨日の午後3時ごろだったかな、PCのレクチャーしていたら、携帯が鳴った。龍馬愛溢れるMさんから。
「報告!2010年NHK大河「龍馬伝」の龍馬役は、福山雅治に決った!!!!」電話の声は興奮している。
「よかったですね」と言ったものの、若干複雑。龍馬と福山雅治のイメージが繋がらない。私の中の福山氏には、動的な勢いのイメージがないのね。それでもなんでもこなしてしまう福山氏ならきっと新しい龍馬になることだろう。個人的な希望では堤真一あたりに演じて欲しかったけどね。

龍馬伝と福山雅治というNHKの大盤振る舞いに、長崎市の中心街では早速ローカル局の女子アナが街頭で市民の声を取っている。裏返しに持っているパネルは福山氏の写真。「大河ドラマ「龍馬伝」の龍馬役は長崎出身の福山雅治さんに決りました!」とボードを見せ、そこでのリアクションをカメラがいただき!なのかな。おそらく夕方のローカルニュース用の取材か。
観光以外に活きる道を見出せないで低迷している長崎にとっては全国区の明るいニュースのようだ。

龍馬といえば、先日ある会で東京の龍馬ファンの女性が「長崎に行ってからの龍馬は災難続きで、その意味では龍馬にとって長崎はあまり良いことのなかった土地。」という見解を述べていた。彼女は、どうも小千葉道場時代の龍馬のエピソードが好きなようだった。

龍馬と長崎の関係は、実は短い。
最初に龍馬が長崎を訪れたのは、30歳のときの元治元年(1864)2月23日。勝海舟に随行して、神戸から「翔鶴丸」で海路佐賀関まで、その後は陸路で島原まで、島原から海路で長崎に入っている。龍馬が陸路を使ったのはこのときだけ。後は船を使っている。
その後は、長崎に日本初のカンパニー・亀山社中を結成するなどして長崎を拠点にして活動している。
彼が最後に長崎の地にあったのは、慶応3年9月18日、ライフル銃1300挺を「震天丸」に積み込み長崎出航した時だが、これが長崎との別れになった。この年の11月15日京都で暗殺された。龍馬はこの4年弱の間に13回も長崎に出入りしている。1か月以上居続けたときもあれば、半日の滞在の時もあったが、彼が長崎を拠点にしていたことの証だろう。

では、龍馬は長崎を自分にとって災いの地と思っていただろうか。
Mさんが、ぽつりと言ったことがとても印象的だった。
「龍馬は霧島への新婚旅行のあと、長崎に立ち寄って、亀山社中の後ろ盾になっている長崎の豪商小曽根家に7ヶ月間もお竜さんを預かってもらっている。
逃げ隠れしなければいけない危険な京都では安心して新妻を置いて置けないと思ったのでしょうね。
このことを見ても、長崎の小曽根家は、龍馬にとって最も安心して居られる場所だったと言うことでしょう。夢にチャレンジしている男にはリスクも危険も覚悟の上。京都で逃げ隠れの日常だった龍馬にとって長崎は大手を振って歩ける数少ない町のひとつだし、夢が見れる場所だったと思うよ。だから其処で新妻に待っていて欲しかった。お酒を飲んで夢を語り合ったり、まったりと羽を休める場所、そしてカンパニーの夢が実現していくのを見続けられる場所が長崎だったと思うんだ。
ただね、お竜さんにとっては、夫と一緒にいられない寂しい思い出しかない町になっただろうけどね。」

福山雅治さんは、故郷を舞台にした竜馬伝で、どのような龍馬を演じるのだろうか。
ニュースを見て驚いたのは福山雅治さんの年齢。39歳になるんだね。若く見える人だ。
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by windowhead | 2008-11-07 09:36 | 長崎と幕末維新 | Comments(0)

大分、広島、そして佐原くん…

大分トリニータのナビスコカップ優勝は、久しぶりにこみ上げるものがあった。
トリニータの歴史と溝畑社長の奮闘は、木村元彦氏の名著「蹴る群れ」で読み、大きな驚きと羨望を感じていた。

このようなチームにいつか栄光が訪れて欲しいと思いつつも、昨年の広島のJ2落ちなどもあって、サッカーは東高西低になってきているなあと、少しばかりあきらめも感じていた。

日本サッカー協会は、百年構想では「日本中にサッカーチーム」を!と言いつつ、地方の実情をまったく認識していないような発言や裁定を下す。
今期のゼロックスカップで広島が勝つと、Jリーグチェアマンから「J2が勝つようなことはあってはならない」と言わんばかりの発言があった。
J2に上がったロッソ熊本、J1の大分トリニータのユニフォームにサポーター企業の名前が入れられない。ロッソのサポートは酒造会社。「白岳」というその会社のブランドが入れられない言う。大分のサポート企業は遊技場会社「マルハン」。
お酒やパチンコの会社名は、少年育成の立場からもユニフォームに表記されるのは好ましくな「いとの裁定だったと記憶している。じゃあ、日本代表のキリンはどうなの?と聞きたくなるが、キリンは酒造メーカーではなく、清涼飲料水などもある総合飲料会社なのだそうな。(普通の感覚ではキリンといえばビールでしょう!)
首都圏や地場の大企業がある名古屋、大阪などと違って、多くの地方は地場企業の規模が小さい。産業の基幹になるような工場があったりするが、本社は東京であり、支社や支店で自由に決済できる広告宣伝費などは驚くほど少なく、地元のスポーツチームのスポンサーなどできないらしい。そうなるとチームを支えてくれるスポンサーになれるのは地場産業と市民たちしかいない。それが地方の現状なのだ。マルハンにしても白岳にしても、そこで働く人たちは自分の会社に胸を張っている。地方とはそのようにして生きてきているのだ。

そのような地方の厳しい現状を背負いながら「大分トリニータ」も「清水エスパルス」もすばらしい試合を見せてくれたと思う。今更ながら、どちらが勝っても本気でおめでとう!と言えるチーム同士が決勝に残ってくれたことに感謝している。


早々とJ1昇格を決めたサンフレッチェ広島が、天皇杯予選で東京ヴェルディに勝ったようだ。
残念ながら、映像を見れていないので、ゲームの様子はわからない。だがデータだけみても広島が圧倒的に優勢だったといえそうだ。
なにより観戦していたオシムさんが、「広島のような、人もボールも動くサッカーは日本のいいお手本になる」と絶賛したという。
1年間のJ2経験。J2に合わせた負けないサッカーを選ばず、広島らしいサッカーを押し通しつづけた結実がオシムさんの言葉で、さらに確かなものとして証明された。
次はおそらく川崎フロンターレとの戦いになるだろう。
この一戦が、本当の広島の実力を測る物差しになるはずだ。このゲームはなぜか長崎で行われる。おそらく天皇杯決勝以外では、最も好ゲームになると予想されるこの試合を観戦できる長崎の私たちは幸運だろう。だが、できれば、このゲームこそ広島でやって欲しい。サンフレッチェを支えてきた広島の人たちへのすばらしい贈り物になったろうから。


書店で、久々にオシムさんの表紙をみて、「Number」を購入。オシムさんが目指していた日本代表の姿とはどのようなものだったのかなど、読み応えのある記事がたくさん。

「Number」の近くにあった「サッカーマガジン」をパラパラと…。
J1各チームの来期の選手構想のようなものがあり、そのなかでFC東京のトップ項目に「佐原の去就が鍵」と書かれていた。
なんだかちょっぴり胸が熱くなる。

昨シーズン末、天皇杯だったかな佐原が出るだろうと予測していたゲームでなぜか姿がみえなかった。すでにレンタル移籍の話が出ていて、彼の心情が不安定だったのだろうかと、その後は推し量ることもできたが、そのときはなぜ?が付きまとっていた。
チームの若返りと出場機会を求めてのレンタル移籍と発表されていたが、年齢を考えると放出かなあと…。それでもチームの歴史そのもののような選手でもあり、それなりのファンもいることから、一応1年間背番号を空き番にすることで、佐原のプライドを守り、1年後にはそのまま放出か、本人の川崎愛によっては川崎に帰ってそのまま引退という感じになるのかなあと、うっすらと思っていた。
納得と言えば納得でもあるんだけど、なんだか寂しいなあ、佐原ってあの不安定さが魅力でもあるのだけど、川崎のチームやサポーターには理解されないのかなと残念に思っていた。佐原の魅力というのは、マリノスの松田の魅力に通じるものだと個人的にはそう思っている。

シーズンが始まり、FC東京のスタメン予想でも、どのメディアも佐原をスタメンに置いていない。ブルーノや徳永や茂庭の下に( )書きで佐原の名前があるだけ。
そのように、チームからもサポーターからも期待値の低かった佐原が、シーズン終盤には、そのチームの来期構想を左右する存在になっていた。
佐原くん、よくやったね!!
川崎時代は、出場機会も少なく、そのハードなプレーや熱くなりすぎる性格ばかりがクローズアップされていたが、FC東京で常時スタメンで見ていると、それほどダーティなプレーをする選手ではない。佐原を弁護するみたいだけど、足が長いので普通に上げた足が、相手選手の胸や顔に当ることがあるだけ。高く飛ぶので頭に当る事だってあるだけのこと。タックルだって故意に足を狙っていないし、ユニフォームを引っ張るのは、誰だってやっているじゃない。鹿島の岩政なんかに比べたらずっとスマートなCBだと思うよ。なにより時間稼ぎで故意にピッチに倒れこんだりしないのはすごく評価してほしい。
FC東京で、コンスタントに出場しているせいか、プレーもよくなっていると思う。
佐原のレンタル移籍後、フロンターレは、蓑輪、戸倉もレンタルで出した。FC東京での佐原の様子は、蓑輪や戸倉にとって、他のチームでチャンスを掴むこともありなんだ!と移籍の不安を少しは和らげる効果になったかもしれない。

佐原選手はまだ今後をどうするのか決めかねている様子。
もし川崎に帰らなくても、佐原は川崎の佐原でもあるんだと思う。
京都の秋田をみれば自然と鹿島の秋田の姿が目に浮かぶように、FC東京の佐原になっても、川崎の佐原は消えないと思う。
30歳の佐原選手には、できるだけ多くピッチ上で円熟していく姿を見せて欲しい。
ピッチに立ってこそサッカー選手、激しく戦ってこそサッカー選手。そんなシンプルな考えでもいいんじゃないかなあ。

「日本のサッカー界では、チーム間の選手の移籍がなさ過ぎる。もっと移籍しやすくするべき」と、オシムさんは「Number」で語っていた。
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by windowhead | 2008-11-03 13:35 | 紙のフットボール | Comments(2)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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