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龍馬伝、速報だ!

龍馬伝は、いま長崎でロケ中。
ロケ地など、少し前から聞いていたが、あくまでもオフレコ情報なので、知らん振りしていた。
でも、やっぱりそんなことは秘密のようで秘密ではないということらしい。
たくさんのファンの人たちが県外からも来崎していると、ホテルの人の情報。

今日の新聞にも、そのロケ風景記事がでていた。

思いもよらない収穫は、高杉晋作(伊勢谷友介さん)の姿が見られたこと。
断髪です。
上野彦馬が撮影した高杉晋作の肖像写真がありますが、それに似せた髪型。

以下のツイッターURLに、新聞写真をアップしました。(ちなみに新聞は朝日の長崎版)

http://twitvideo.jp/01Rdq


この姿を見ただけで、高杉晋作への期待が膨らみます。
登場は7月ぐらいとか…龍馬伝ファンの情報ですが。
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by windowhead | 2010-05-29 11:16 | Comments(1)

サッカー人の上質な言葉:あらためて、オシムさんの言葉

「オシムの伝言」(みすず書房)という本を読んでいる。
オシム監督の通訳をつとめていた千田善さんが書いたものだ。昨年出版されていたが、長崎の書店で出会うことがなかった一冊だ。
オシムという人のインテリジェンスと深さが、ひしひしと感じられる。
そのなかで、オシムさんがいうエレガントという言葉がわかるようなフレーズがいくつもある。
千田さんがいうように、オシムさんは、日本代表をエレガントなチームにしたかったんだと。
オシムさんのいうエレガントは、そこいらのマスコミやサッカー評論屋にはその深さが理解できなかったということ。

オシム監督ほどの世界的名将からみて、「日本のサッカーのどこに魅力があるのか」という疑問への発言には、今の日本人とそのサッカーを肯定する視点があった。
「日本には、日本が豊かであることを逆にコンプレックスに感じている者がいる。
ハングリー精神で勝てるなら、貧しい国ほど強いということになる。
しかし、経済的に恵まれ、何でも選べる中からあえてプロを選んだ日本の選手には、サッカーをする喜びがまだある。
そこは欧州のカネまみれのサッカーより、ずっといいと私は思う」

ーーハングリーに生まれなかったことにコンプレックスを感じることはない。勝ち負けにのみこだわって汚いプレーをしたり、負けないための戦術ばかりでは、サッカーはつまらない。ほかのだれも成功していないことにチャレンジする。
それなら「ハングリーでない国」の代表監督として「日本らしいスタイル」を確立させてみようじゃないか。--オシムさんは、そこに挑戦する価値を感じたのだ。


「ハングリーな熱意が感じられない」という言葉は、いつもマスコミや評論屋が、日本代表を批判するときに、まことしやかに語られる言葉だ。しかし、それは「なんでブラジル人に生まれなかったのか」ということと同じくらい不可能なこと。
それを知っていながら、そこを批判するのはアンフェアだと思っていた。
オシムさんはそこがわかっていた。
選手たちは熱意がないのではない。「ハングリー」がわからないけど、リスクをおかすことやチャレンジということは分かるだろうと、「リスクを侵せ」といい続けたのだろう。

オシムさんの、人柄とインテリジェンスが感じられる。
いまさらだが、オシムさんが育てたエレガントな代表を見てみたかった。
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by windowhead | 2010-05-22 16:31 | 紙のフットボール | Comments(0)

龍馬ゆかりの道:沢村惣之丞の墓へ

県立図書館からの帰り、久しぶりに玉園町を歩いた。
「迎陽亭」の板塀を越えて石榴の木のグリーンがつややかだ。朱赤の石榴の花が色鮮やかに咲いている。石榴の花はなぜかノスタルジックな気持ちを誘う。

この通りには、伊呂波丸と紀州藩の明光丸が衝突した事件の賠償交渉の場となった黄檗宗寺院・「聖福寺」がある。
境内に入り、有名な瓦塀とユーモラスな鬼瓦をカメラに収めて裏山の墓所にのぼる。後山の墓所は、山肌にそって、隣やその隣のお寺の墓所につながっている。この道を通りながら帰宅しようかなあと。
長崎の墓所は、周辺に住む人の生活道路だったりするので、暗いとかこわいという感覚とは程遠い。
そのせいか供えられているお花もよその土地より派手だったりする。カサブランカやトルコ桔梗やカーネーションや黄色や白の薔薇が供えてあったりもする。
高台にあるので、景色もいい。お寺の甍がすぐ目の前にあるのもいい。

すこし進むと、戦前は国宝に指定され、長崎三大唐寺のひとつでもあった「福済寺」の大観音像の背中がどんとそびえる。
この寺は、坂本龍馬が初めて長崎に来てたとき投宿した寺だ。
残念ながら、原爆被害で当時の建物は今はない。残っていれば、龍馬を知る上での貴重な資料などがあったかもしれない。

隣は「本蓮寺」。海軍伝習所時代の勝海舟が投宿していたところとしても有名なお寺。
近くの米穀商・梶家の娘クマさんと海舟のロマンス話も残っている。出会いは海舟33歳、おクマさん22歳の時、一男一女をもうけている。
梶クマさんのお墓もこの後山の墓所にある。
b0009103_241637.jpgそして、もうひとりこの墓所に眠る若者がいる。

「沢村惣之丞」

洋装にキャップをかぶった写真を残している。
龍馬とともに脱藩し、この長崎で社中を起こした龍馬の片腕のように働いた海援隊隊士。
龍馬の死後も龍馬のあだ討ちに京都に上ったりしたところを見ても、本当に龍馬を慕っていた一人だろう。
龍馬伝では、要 潤が演じているが、惣之丞は龍馬より8歳も若く、慶応4年、長崎奉行所での誤射事件の責任を取って切腹したときは、まだ26歳だった。
沢村惣之丞の墓が発見されたのは、ほんの10数年位前。
発見したのは、「援隊秘記―1867年長崎。龍馬と弥太郎が歴史を変える 」(戎光祥(えびすこうしょう)出版)の著者・織田毅さんだ。
墓碑の表には「村木氏外土佐住民諸氏之墓」としか刻まれていない。左横に刻まれた数人の名前の中に、惣之丞が使っていた別名・関雄之助がある。
この墓所からは、長崎港の外港までが眺められる。港にはいってくる船が一望できる場所。
せめてものなぐさめだと思える。
b0009103_251235.jpg


長崎をわれ去りゆきて船笛の長きこだまを人聞くらむか(斉藤茂吉)
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by windowhead | 2010-05-18 18:47 | Comments(0)

これぞみゆきプロデュースの鳩山ファッションか

久しぶりに朝から面白いものを見させていただいた。ワイドショー様様。笑った、笑った!

少し前の海外ニュースで、鳩山首相の考えられないシャツの話がでていたので、どんなシャツだろうと気になっていた。
その記事はモノクロで、黒と薄色のギンガムチェック風のシャツだった。その写真ではシャツよりインナーの黒いハイネックセーターとの組み合わせと、ベルトでキューっとしぼったウエストが時代遅れだなあと見ていた。

件のシャツの映像が朝のワイドショーに登場した。
b0009103_11232475.jpgおっとびっくり!なんだコレ、もう表現しようのない色でした。
ジョークでしょう、こんなシャツは。それ以外考えられない服だよ。
だって、誰が着ますか。
これを着こなせるのは、原宿あたりにいるモード学校の生徒さんくらいでしょう。彼らなら、普通に考えられないような組み合わせで、その人の個性をうまく表現している子がいるけど、でもそれはあくまで彼の自己表現であって彼のオリジナルだよね。
顔も髪型もパンツも鳩山由紀夫なのにシャツは、~~なに~~?
もう、笑うしかなかった。
あのドン小西さえも、ドン引き。70年代から80年代風の、時代遅れファッションと表現していた。

それ以外にも、ピンクのジャケットにハートプリントのシャツなんていうお恥ずかしいスタイルの写真も出ていた。この服装はプライベートでハワイにいく空港での写真らしいが、これも笑う意外表現のしようがない。これは、ジョークだよねって。

鳩山さんが首相になったとき、ファーストレディみゆき夫人がスタイリストとして彼の服をコーディネートしているというようなことをワイドショーが流していた。ワイドショーのコメントでは、ファーストレディーのおしゃれセンスを褒め上げていたが、えっ、そうか?はてなマークだよねと思っていたが、、やっぱりね!です。
宝塚出身のファーストレディーのセンスは宝塚の舞台衣装がベースなのね。
こんどのシャツも舞台衣装なら「あり」かもしれない。

NYでアッパークラスの紳士服をコーディネートされているケン青木さんも言われるが、男性はもっと自分で服を選ぶ勉強をしなければいけない。それも基本を勉強することが大事のようだ。

鳩山首相ご愛用のイタリアのブランド社長が、「あのシャツは断固としてわが社のものではない」というコメントを出したという。トホホなおまけニュースまでついていた。


もう1つもはずかし政治ショー。
それも、まあ、なんとも滑稽なワイドショー的な映像だった。
黄色いジャケットの松葉杖の女性がよちよちと議場の階段を下りていたのだが、すっころんだ!
三宅雪子という民主党の議員らしい。
前日、強行採決時に、だれかに押されたとかいって、ぶっ飛んでいた人だ。
ぶっ飛んだときに姿は白っぽいスーツに黒い安っぽい中ヒールパンプス。立ち去るときのスカート丈が、ひざ上だったのが妙に気になった。
翌日は、車椅子。ジャケットは昨日より目立つ黄色。そして、これ見よがしのひざ上スカートから包帯に巻かれた痛々しい足が…。
パフォーマンスなんだろうが、こんなときは、パンツをはくか、包帯を隠すくらいのふくらはぎ丈のスカートをはけよ。
その姿で注目を集め、さらによちよち松葉杖で、ひっころんで大恥さらししてしまった。
これは事故というより、本人の不注意でしょう。なれない松葉杖なら、片方を仲間に介助してもらったほうが歩きやすかったはず。それでも松葉杖をつかったのだから、パフォーマンスを意識して招いた自業自得としか言いようがない。
廊下を車椅子で移動した人が、廊下より危険度の高い階段を自力で移動するなんて、ありえないこと。

お年よりも多い国会の議場は、それこそユニバーサルデザインで改装する必要がありそう。車椅子用の通路があってもよさそうなものだけど…。

この映像で、すごーく気になったのは、女性議員の方々の服装。三宅さんの黄色、周辺の2,3人の女性議員は派手なピンクや赤。
髪型もだらりと胸の前に降ろしている。
政治家は、女性らしくするなとは言わないが、もう少しきりりと頭のよさそうな服装や髪型ができないものだろうか。
和服の扇千影さんは、上品な迫力があった。野田聖子も佐藤ゆかりもモノトーンや紺が基調だった。
あのピンクや黄色や赤のジャケットを見ていると、最近の女性議員は大人っぽく見られるより、男性議員に可愛がられたいという女の媚を感じてしまう。
三宅雪子さんは、45歳。この際、もう少し大人のエレガントとシャープさが感じられる服装に変えたほうがよさそうだ。
申し訳ないが、三宅さんには女性議員への失望を感じただけだった。

服装が与える影響は大きいなあと思いながらも、笑っちゃいました!な朝でした。
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by windowhead | 2010-05-17 11:34 | 男たちの眺め | Comments(2)

亀山社中の二宮又兵衛とは?

先日、亀山社中がある一帯を歴史散歩して、あるお墓にたどり着いた。
光源寺の墓所にあるそのお墓には、顕彰碑のようなものまで建っている。
そのお墓は「二宮又兵衛」という宇和島藩士の墓。

いったいどのような人かと、Web検索してみたら、複数のサイトで
龍馬暗殺後、亀山社中を切り盛りしていた人物で、なにかの不正をあばいて大井出橋付近で暗殺されたらしい。又兵衛の暗殺後、亀山社中は自然と解体した。またシーボルトの弟子で宇和島藩士の二宮啓作の甥に当たる人らしい。
などが、かかれていた。
二宮又兵衛について、書かれえいるホームページやブログのほとんどが同じような内容なので、なにか出典があっての記載なんだろうが、事実となると気にかかることがふつふつと沸いてくる。

まず、
・亀山社中は、龍馬暗殺の前に海援隊として土佐藩の付属団体のようになっていた。
・海援隊、亀山社中の主なメンバーを探しても二宮又兵衛の名前が出てこない。(私の調べる範囲が狭いのかもしれないが)
・龍馬暗殺後、いつの時点で二宮又兵衛という人物が亀山社中を取り仕切っていたのか、まただれから引き継いだのか。
・海援隊発足と同時に亀山社中と海援隊とは分裂したのだろうか。
・海援隊の記録の中に二宮又兵衛に関する記録がのこっているのだろうか。
・あるHPに書かれている内容によると、二宮又兵衛は知り合いの不正を暴いたため暗殺されたように書かれているが、この知り合いは亀山社中なのか、宇和島藩士なのか。どんな不正なのか。
・宇和島では、この人物のことをどのように伝えているのだろうか。

近藤長次郎や沢村惣之丞のように、自刃したり池内蔵太のように遭難したり、長崎で没した隊士の話はさまざまに書かれているが、二宮又兵衛という名前を聞いたのは初めてだった。

宇和島藩士、二宮又兵衛について、ご存知の方がいらっしゃれば、教えていただきたい。

二宮又兵衛についてかかれている主なホームページは以下(どれも記載されている事柄の内容や事実の範囲が似通っている)
http://www2.ocn.ne.jp/~oine/character/matabei/matabei.html
http://nagasaki-r.seesaa.net/article/111433387.html
http://www.mirokuya.co.jp/mlmag/archive/vol334.html

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by windowhead | 2010-05-12 13:30 | 長崎と幕末維新 | Comments(0)

5月10日、攘夷決行(龍馬伝)、そして代表発表!

「攘夷決行は5月10日に」と昨日の「龍馬伝」で14代将軍が言っちゃった。
そして、その日をさまざまな思いで待つ人々。
蓋をあければ攘夷を決行したのは長州だけ。大砲発砲シーンと、外国船と久坂玄瑞を演じるやべきょうすけの必死の形相だけの攘夷シーンだったが、昨日の龍馬伝でもっともインパクトのあったいいシーンだった。
そろそろ「いい人龍馬」中心の演出から、幕末日本と世界の動きを感じられるステージにシフトして欲しい。4ヶ月すぎてもまだ土佐中心では、龍馬の本領を描ききれない前に1年がすぎてしまうのでは。
まるで、中学の歴史の授業みたい。一番大事な近代史はいつも駆け足、すっ飛ばし。

と、まあ、龍馬伝に一くさり文句を言ってみたが、攘夷決行をジリジリしながら待っている土佐勤皇党面々の気持ちは、今日のサッカーファンの気持ちでもある。
あと、1時間少々で、代表メンバーの発表がある。
だれが選ばれようが、日本代表として、応援する。というのが、いちサッカーファンとしてのスタンス。
今回の代表ほど、選ばれるメンバーが、さまざまな覚悟を背負う代表はいないだろう。
スター選手がいない。
サッカー人気が、代表からリーグへシフトし、テレビ放映も地上波からスカパーなどにシフトして、一般人との距離が出てしまったサッカー
そのなかで、唯一、一般人が一緒に盛り上がれるお祭りのようなものだが、そのチームの熟成がどうにも中途半端なような…。
ある意味、期待されていない代表。
それでも、結果が悪ければ、当然のように叩かれ、戦犯探しにさらされる選手たち。
2006年、ピッチに寝転んで戦犯からのがれた中田ヒデ以外の選手たちにあびせられた非難の数々を覚えている。
選ばれた代表選手たちは、そこも含めて強い覚悟が求められる。
たかが20代、30代そこそこの彼らが背負うさまざまな重みを考えたら、こちらもピュアな気持ちで応援するしかない。

南アの治安や世界情勢を考えると、思いもよらないことがあるかもしれない。

以前ブログで、岡田さんが監督になった時、代表監督にはブランド力が欲しいなどということを書いたことがあるが、今でも本心は変わらない。
たとえば、ある品物の数が限られたとする。誰に渡すかは、持っている人の判断にまかせるというとき、リッピと岡田さんが欲しいと言ったら、多くの人はリッピに優先的に渡すだろう。その人がサッカーファンなら
ある品物は、ホテルの部屋だったり、レストランの指定席だったり、飲料水だったり、休息の場所かもしれない。
少し前の日本なら、日本と言うブランド力が使えたが、今の日本ではその力は、そう期待できない。
岡田さんが、オシムさんだったら、リッピと同格かそれ以上の敬意でむかえられたと思う。
でも、それはもう言うまい。しかたのないことだから。

それならば、どうしよう…。
このときこそ、日本サッカー協会の出番でしょう。
事前に現地にとび、しっかりと調査して、念のためもう一度、二度の確約をし、セーフティネットまでも含めて準備すること。
川渕さん時代から、かなり大儲けしていると聞く協会の、お金の使いどころでしょう。
選手スタッフへのホスピタリティこそが、協会のやるべきお仕事。そこに実績を残せば2022年のW杯招致にもいい印象が残せるんじゃあないかな。

今度もまた、日本代表を応援する。
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by windowhead | 2010-05-10 13:03 | 紙のフットボール | Comments(0)

龍馬伝:東北弁の鬼塾頭は優秀なテクノクラートだった。

昨日の龍馬伝では、神戸操練所(と呼んでもいいのかな?勝塾がいいのかな)の活気溢れる風景が登場して、久しぶりに龍馬伝の未来を感じた。

NHK龍馬伝のホームページをのぞくと、今回の見どころに、勝塾の塾頭さん佐藤与之介を演じる有薗芳記さんの演技をあげていた。東北弁丸出しの塾頭さんだが、西洋の測量器のようなものを使って指導しているところを見るとなかなかできる人のようです。私も、佐藤与之介という人物に注目してみました。

「佐藤与之介」さんは、山形県飽海郡遊佐町の農家の出身。
農業の合間に漢学や彫刻などを勉強し、33歳の時もっと勉強したいと江戸に向かったそうです。
この年はペリーが来航した年で、これからは蘭学が必要だと感じ、安政元年勝海舟の門下生になりました。
勝のところで蘭学や測量術や砲術など学び、庄内藩の品川台場詰となって苗字帯刀がゆるされました。
安政2年、長崎海軍伝習所の開設にあわせて、勝とともに長崎に行き、海軍伝修生として、オランダ人士官から航海術を学んだり、フルベッキから語学を習ったりしています。
長崎海軍伝習所でも優秀な人だったようですし、人柄も良かったようです。勝が咸臨丸でアメリカに行っている間は勝塾の塾頭として留守をあずかるほど信頼されていた人です。

長崎伝習所終了後も、勝とともに幕府の信頼が厚い技術者として国防の第一線で働いていました。
万延元年には、幕府が日米通商条約で神奈川の開港を約束した時、江戸湾の地形から見て横浜開港のほうが日本にとっては絶対的に有利と勝を通して幕府に伝え、横浜開港を実現させました。
このことで後に「横浜港の産みの親」と言われるようになった佐藤政養(さとうまさやす)が、この佐藤与之介さんなんですね。

佐藤政養伝記によれば、龍馬が勝海舟と出会う1年前の文久元年、オランダの航海用の地図を訳した「新刊輿地全圖」という世界地図を刊行しています。この地図には世界の人口や気候などが詳しいことが書かれていて、世界の知識を広めるために作られたのではないかといわれています。
龍馬伝では、勝海舟は地球儀を持ち歩いて世界を啓蒙していますが、実際はこの佐藤政養刊行の地図を持ち歩いたのかもしれません。

神戸海軍操練所では教授方を務め、沢村惣之丞、高松太郎、陸奥陽之助たちのよき相談相手となり、近藤長次郎の仲人も引き受けてくれました。
操練所が廃止されると、その事後処理にあたりました。

明治になってからは、新政府の工部省に出仕し、初代鉄道助(現・運輸次官)として新橋~横浜間の鉄道敷設に尽くし「日本鉄道の開祖」と呼ばれています。。
佐藤政養(与之介)さんは、明治10年勝海舟の家で亡くなりました。享年55歳。
徳川幕府が育てた優秀なテクノクラートの一人です。

龍馬伝もこれから佳境に入ってきますが、脇にちらりと出てくる人たちに注目してみるのもまた別の楽しみです。

以下のURLに佐藤与之介さんの銅像と経歴が書かれた記事があります。
http://www.shonai-nippo.co.jp/square/feature/exploit/exp56.html

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佐藤政養が刊行した世界地図「新刊輿地全圖」
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by windowhead | 2010-05-04 02:31 | Comments(3)

長崎のおもしろ龍馬おみやげ企画。


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「龍馬伝」の龍馬はまだまだ長崎なんて眼中にあらず状態だが、長崎の中心街は龍馬だらけ。
この連休は、龍馬伝がらみの観光客のみなさんがいっぱい街にあふれることでしょう。

長崎は観光地なわりに、観光案内が画一的でたのしめない部分があります。
いま多いのは、「さるく眼光ガイド」というオレンジのポロシャツやウインドウブレーカーを着たボランティアのおじさんおばさんガイドが、決められたルートに沿って観光案内するというもの。この「さるく」というのを長崎市の観光の目玉にしているのだが、ガイドさんは解説の指導はうけているがボランティアなので、どうしても習った知識をいかに披露するかが主眼になっているのでファンにはものたりないものです。

画一的な観光ガイドで物足りない人向けのおもしろ企画はないんだろうか。

最近見つけた、おもしろ企画のひとつをご紹介。

長崎市中心街・古河町にある「はなぶさ写真館」では、龍馬の扮装をして写真が撮れます。
龍馬衣装は大人用も子供用もあるみたい。
着付けもしてくれて、撮影。そのデーターをCD=Rに入れてくれるのであとで、自分で出力したりブログなどにもつかえます。データ渡しはうれしいですよね。
もちろんプリントを希望する人にはプリントもできるそうです。
撮影からデータ渡しまで約20分くらいでOKらしい。
料金が1、575円というもの、おみやげ値段でうれしいでしょう。

龍馬まんじゅうや龍馬お酒や龍馬クッキーや、龍馬ストライプや、龍馬タオルや龍馬Tシャツもいいけれど、龍馬スタイルで思い出を持ち帰るのもたのしいんじゃないかなあ。

通りすがりにこの写真館をみつけて、ほほえましく思いました。
「ブログにのせていいですか」と聞いたら、まるで松本良順のようなスキンヘッドのおにいさんが、「もちろんOK]と言ってくれました。
もともと街の写真館で家族写真やブライダルなども撮影しているところですから、技術はまちがいないでしょう。

わたしもこの際、龍馬にばけてみようかなあと、密かにたくらんでいます。
龍馬ファンのあの人、この人にも声かけて、勢いで実行!!します。
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by windowhead | 2010-05-01 12:37 | Comments(0)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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