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俊輔は俊輔らしく

「もどってきてるよね!」

28日の対新潟戦をTV観戦したあと、俊輔ファンたちとのメールや電話、ブログ書き込みでは、この言葉が舞い飛んだ。
言葉の後ろにはみんなのうれしそうな顔が見える。
顔を知らない同士でもアイコンが笑っているように見える。

この日のゲームでの、中村俊輔は中村俊輔らしかった。

ゴールに繋がるスルーパスやゴール前に走りこんでシュートを狙うプレー、パスを出したら一気に走ってスペースを作るプレーなど、セルティック時代によく見たプレーが、復活してきた。
さらにうれしかったのは、アタッキングサード近くでボールを持ったら、パスするのではなく自ら仕掛けて積極的にゴールを狙うプレーが何度も出てきたこと。

思い起こせば、俊輔は前で仕掛けてゴールに繋げるのが好きな選手だった。
そしてそのプレーが効果的で、すばらしいゴールをアシストしたり、自らゴールしたりしていた。
「メキシコの青い空…」でおなじみのスポーツ実況の名手・NHKの山本浩さんが、かつての代表戦で「中村俊輔、前にあってこそ!」と叫んだのを今も覚えている。
点に絡むプレーこそが中村俊輔の持ち味だったはずだ。

そんな彼が、オシムさん以降の日本代表のコンセプトが細かくつなぐプレーになり、自らもチャンピオンズリーグで強豪と戦う経験から、個人プレーでなく連携して崩していく戦術が効果的だということを体感し、少しづつ自分の個性を抑えながらチームの1つの部品として機能しようとしてきた。
いつからか、俊輔にボールが行くとワンタッチではたいてつなぐプレーが増え、時に自分が持って仕掛けようとすると、周囲の評価はこねくり回すとかプレーを遅らせるというマイナス評価になっていた。
日本代表のコンセプトとは言え、俊輔ファンは、俊輔の個性が活かせていないことに残念な思いを抱えながら、それでも俊輔が自分を殺してまで作り上げようとする日本代表のスタイルを応援し続けてきた。
しかし、彼が「個の強み」を抑えてまで貢献してきた代表のスタイルは、W杯のその場で、使われないままポイと捨てられてしまった。


「マリノスに貢献するのみ」と自分をリセットした俊輔は、少しづつ本来の中村俊輔を蘇らせている。
俊輔の「個の強み」を蘇らせるために、周りが温かくサポートしてくれている。
新潟戦の「俊輔の復活」には、松田選手や小椋選手たちの下支えのプレーがあったことは見逃せない。彼らがしっかり新潟の外国人選手を抑えてくれたので、俊輔は心置きなく前でプレーできた。
「やっぱり、俊輔は前でやらないと生きない。アイツにもっとやってもらわないと。アイツが輝いているのがうれしいから(笑)。」
試合後の松田選手のコメントの一部だ。(Js Goalニュースよりhttp://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00106097.html) 俊輔を弟分としてかわいがっていた松田選手は今も変わりなく頼もしく温かい。

心優しいマリノスの10番は、一瞬のスルーパスを信じて全力疾走で走りながら、ここぞという瞬間に難しいシュートを決めてくれた。この美しいゴールがあったからこそ、絶妙のスルーパスはさらに輝やけた。

俊輔と連動してハードな走りを繰り返す天野選手や逆サイドから飛び込んでくれる兵頭選手、安定したプレーの波戸選手や鉄壁の中澤選手、栗原選手、飯倉選手の好プレーがあってこそ俊輔は前でプレーできているのだ。俊輔はいま、チームメイトたちの献身と信頼をどれほど頼もしく感謝しているだろうか。

さらに、チームにはブレイクスルー直前の後輩達もたくさんいるようだ。
彼らが輝けるように、惜しみなくスペースを作り、絶妙のパスを供給しつづけることを俊輔自身、密かに自分の使命にしているふうにも見える。


現在、海外でプレーする日本人選手は40人を超えている。すでに海外組はステータスでも希少価値でもなくなっている。海外でどう闘いどう生きるかは選手それぞれの価値観になってくる。
しかし、海外組のその後の生き方のモデルはまだ少ない。中田英寿氏がその経験を日本に還元することなくサッカー選手を降りてしまったので、海外での経験を日本に還元する役目は否応なく俊輔が背負うことになった。
地に足の付いた普通の生活を好むファンタジスタがどのような還元の仕方を見せてくれるか…横浜Fマリノスとどう化学変化を起こしていくか、そしてその先は…。
中村俊輔の前には、まだまだ未知の世界が続いている。

長い旅を終え、迎え入れてくれた港で、やっと自分らしい暮らしができるようになった男が、この港のためにどう生きるか…。
今また違った物語が始まったのかもしれない。


新しい日本代表の監督も決まったらしい。
しかし、今の俊輔には、それは自分には関係のないことのようだ。
俊輔は俊輔らしく、自分の価値観を大切にしていけばいいと思う。
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by windowhead | 2010-08-31 13:21 | 10-25shun | Comments(2)

朝日は現在も南アW杯真っ最中のようです。

南アW杯が終わって、すでに1ヶ月すぎた。
日本代表が試合を終えて帰国し代表チームが解散してから2ヶ月が経とうとしている。
「感動をありがとう」だの「岡田監督ごめんなさい」だの、勝ち馬に乗っかった大騒ぎもずいぶん昔のことのように感じられる。

選手達の多くはすでに、この熱暑のなか所属ののチームで奮戦している。
日本サッカー協会も内紛なのか反乱なのか下克上なのか、よくわからんままに突然トップが代わり、新しい体制のもとで、代表監督の人選にあたり、交渉中とのことだが、なんとなく暗礁に乗り上げている雰囲気。
サッカー関連の雑誌なども、すでにW杯特集などが出され、岡田さんと12人(あくまでもスタメン選手と川口だけ)のW杯だったかのような盛り上がりも一段落した。いくつもの雑誌やライターの記事などを付き合わせて読んでいくと、岡田さんの采配への疑問がいろいろと出てくるのだが、なぜかその部分に触れる雑誌や記事は少ない。

岡田さんはW杯で日本人に”「プライドや理想を求めても、勝たなければ意味がない」という思想が価値のあるものだ”と言う思い込みを植えつけてしまった。
この思い込みが、今後の日本人の行く末で、どれだけ弊害になるか。
日本は、経済などではすでに、勝ち組ではなくなってきている。政治的な影響力もだんだんと弱まってきている。その流れは、残念ながら避けられない。今の日本は、本当に「プライドや理想を求めても、勝たなければ意味がない」というその場限りの考え方で進んでいっていいのかを腰をすえて考る時期に来ているように思えるのだが。

ここ1週間の朝日のスポーツ・サッカー欄をみていると、時間が止まったような錯覚に陥る。

1週間くらい連続して「16強の真実・岡田武史語る」というW杯がらみの記事が大きなウエートを占めている。
岡田さんからだけ取材し、岡田さんが語ったことを疑問も挟まず記事にして掲載している。一応日本を代表する大手新聞が、毎日毎日掲載していけば、岡田さんの語ることは公的に認められた事柄となる恐れがある。しかし彼が言うことだけが事実だったのか、その検証がなされていないのは、ジャーナリズムとしては片手落ちなのではないかな。

さらに、週1回は本田圭祐が語る「6月の記憶」というW杯がらみの連載が重なって入る。
岡田さんと、岡田さんにとって最大の貢献者となった本田選手のインタビュー記事だけで、1ページの半分を占める。W杯時や直後ならいざ知らず、すでに2ヶ月も前のことをこの時期に紙面の多くを裂いて掲載しているのが不思議でならない。
サッカーのニュースがないのならまだいい。
しかし、Jリーグは再開し1週間で3連戦している時期とかさなっている。記事になる試合は山のようにあった。
酷暑の中で選手にプレーをさせるべきかどうか、マスコミならば問題提起してもいいような実情もある。
代表監督が決まらないことで、Jチームに及ぼす影響もでている(ガンバ監督が苦言コメントなど)。
Jリーグの各チームで新しい選手が登場していたり、9月になるとナビスコの決勝や天皇杯も始まる。
そんなことは、一般が興味を持つネタにならないというのなら、、Jリーグ後期に向けて、各チームのチーム紹介を1チームづつ連載してもいいはずだ。1年に1度も特集されないチームのほうが多いことを考えれば、もっとJの各チーム、特に地方のチームの特集があってもいいはずではないかな。まして、朝日は全国紙だし。
終わったW杯と日本代表を客観的視点から分析し、提言するなら意味もあるだろうが、監督のみの視点で、彼の言葉のみを正とするような記事を掲載するのはすでに報道としての価値もない。

W杯後、なぜか日本のサッカージャーナリズムは、視野が狭くなった。
W杯直後は、岡田監督批判をした人はあやまれなどと、子供っぽいことまで書くライターがいたり、とにかく勝ち馬に乗るために、一斉に岡田さんと11人を褒め称えた。
みんなが同じ方向を向いてしまうと、それぞれの記事は個性をなくし埋没していく。
今は、新しい体制にいかに気に入られるか、新しく作られようとしているスターと周辺に気に入られるか、その風を読んでいるように見える。
権威と結びつけばおいしいチャンスはあるだろうが、そこに「ジャーナリストのプライドや理想」はあるのだろうか。
あまりにも不自然な朝日の岡田記事と本田記事の後ろには、おなじようなおいしいチャンスが蒔かれているのかもしれないという見方が頭を掠めたりする。
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by windowhead | 2010-08-24 17:09 | 紙のフットボール | Comments(4)

待ちに待った俊輔のFKとパフォーマンスの意味

14日は、中村俊輔選手のすばらしいフリーキックと満面の笑顔が見たくて、スポーツニュースをザッピングしまくった。
私も含めて俊輔ファンはどれだけこの日を待っていたことだろう。

W杯以来、サッカー雑誌からもスポーツ新聞からも中村俊輔選手についての取材記事が手のひらを返したようにパタリと消えた。W杯スタメンたちと岡田さんをことさらフューチャーするサッカー雑誌やスポ新は遅ればせながら新しいスター作りに必死のようだ。
おかげで、私の雑誌購入用のお財布は金余り状態。そういえば、W杯期間中から今まで、W杯特集も含めて、サッカー関連雑誌を1冊も買っていない。毎週少なくとも2冊は買っていたころが夢のよう。
中村俊輔選手についてのコラムやインタビューがないのなら、本屋や図書館でパラパラと読む程度でいい。これがファンの本音。

中村選手の情報を得るにはゲームを見るしかない。
ひたすら、ゲームを録画して見る日々が続いていた。
そして14日の、対清水戦。
藤本や岡崎を抜いてのアシスト、そして美しいFK。
それまでは活躍しても控えめで照れたような笑顔だった俊輔に、やっと本物の笑顔が戻ってきた。
思えば半年以上も、こんな幸せそうな笑顔を見ていなかった。

さらに、心が温かくなるエピソードをマリノスサポーターから教えてもらった。

俊輔選手がFK決めた後、マリノスベンチの前で、片ひざを立てて左足をシューズの上からポンポンと叩くゴールパフォーマンスを見せた。
このパフォーマンスには、どんな意味があるのか、気になっていた。
マリノスコミュでその背景が紹介されていたらしい。
試合前日FK練習後、俊輔はホペイロさんにスパイクを渡すとき「明日、FKが決まるように磨いて」と冗談交じりにお願いしたらしい。
試合当日、ホペイロさんは「フリーキックが決まるように磨いておきました」と、俊輔にスパイクを渡した。
「じゃあ、もしFK決まったら、ベンチ前に行ってスパイクアピールするから」と笑って応えた俊輔。
見事にFKが決まったので、約束どおりベンチ前で、スパイクをポンポンと叩いてアピールしたらしい。
あのポンポンは、左足へのアピールではなく、スパイクを管理してくれたスタッフへの感謝のパフォーマンスだったのか。
中村俊輔らしいエピソード。

あのフリーキックは、俊輔の気持ちと一緒にいろいろな人の気持ちが詰まった一発。
記憶に残る美しいフリーキックだったね。
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by windowhead | 2010-08-16 18:05 | 紙のフットボール | Comments(4)

8月9日、亀山社中での出来事

昨日9日は、参加している「亀山社中ば活かす会」のボランティアの日だった。
亀山社中ば活かす会は、坂本龍馬とその仲間達が日本で最初のカムパニーなるものをおこした場所、当時亀山焼きの窯元があった伊良林の地元の人たちでつくる町おこしボランティア団体。
20年以上前から、龍馬と亀山社中のことを長崎の町に広め、亀山社中跡地を守る活動をしてきている。
現在、長崎市の歴史観光施設として公開されている「亀山社中記念館」も、4年前までは、「活かす会」がボランティアで公開し運営を続けてきたものだ。
市での運営となり、活かす会での「亀山社中跡」の運営は一応幕をとじたが、20年近くの活動の支持者や、全国の竜馬ファン達、一度訪問したことがある人たちから、ぜひとも展示の資料などを残して欲しいとの声があり、社中跡近くで若宮神社隣の民家を借りて「亀山社中資料展示場」として開館している。
会の日常的な運営は、地元に住むメンバーと奥様たち。60歳を越える方々がほとんどというのも20年以上の活動の証でもあり、新しい人たちの参加が少ないという悩みでもある。社中から少し外れた地域に住む私などは、月2、3回程のお手伝いしかできず申し訳なく思っている。

9日は、長崎原爆祈念日ということもあり来崎者も多かったのだろう「亀山社中資料展示場」も午前中から大盛況だった。
11時少し前、市内の防災無線放送を通して、原爆被爆死された方々への黙祷の案内が流された。
聞き取りにくい放送に、展示場来場の旅行者の方々から、「なにごとですか?」と質問が出た。
8月9日は長崎に原爆が投下された日であり、今年で65回目の「あの日」を迎えること。長崎市内では8月9日11時2分には1分間の黙祷を行うことを告げた。
展示場内には、15~20人の人々が見学中だったが、ほんの1分間なので、黙祷の間は展示場での対応を中断させていただこうとボランティア同士で話し合っていた。

11時2分のサイレンが流れ、黙祷を始めた。
とたん、資料館内から、人々の声がなくなり周囲から蝉の声が聞こえだした。見学の子供達の声もしない。
見学中の皆さんも一緒に黙祷を捧げてくださったのだ。小さな子供達も素直にお父さんやお母さんに従って静かに黙祷してくれた。
黙祷が終わり、皆さんにお礼を申し上げると、旅行中の女性から「竜馬さんも平和を願っていましたからね」という言葉。展示場にいた人たちの満足そうな顔。
長崎人として、被爆者の子供として、とてもうれしいものをもらったような大事にしたいひとときだった。

さらにもう1つ、このひとときに大切なものを教えてくれた人がいた。
放送の説明を終えると、一人の80歳を越えた風貌の男の方から「ちょっと外に出てもいいですか?原爆が落ちたのはどの方向ですか?」と聞かれた。原爆が落ちた方向に向かって黙祷をされるのだという。
屋内でなく、同じ空の下で祈りたいと言われた。おそらく戦争を経験された方なのだろう。黙祷の本当の意味と重さを体験されている方の言葉に心を打たれた。亡くなられた魂の方に向かって遜って頭をたれ祈る。これが本当の黙祷の仕方なのだろう。再認識させられた。
この1日、気持ちが洗われる経験をしたと思う。


人々の心の中には、普通にやさしさや慈しみがあふれている。
しかし、時として、それに蓋をしてしまう程恐ろしいものが湧き出してくるのも真実。
自分でおさえられないのなら、だれかに手伝ってもらうしかない。人に頼るってそんなときなんだなあ。
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by windowhead | 2010-08-10 13:27 | 日日抄 | Comments(0)

キラーコーナーなんてのが流行るかも…笑い話??

7日の記事なんだけど、まいったなあ。
スポニチさんによれば「FKやCKでも!本田の新武器ブレ球クロス」らしい。
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2010/08/07/01.html

ブレ球のコーナー蹴られたら、セットプレーの選手達は困るだろうと思い、記事を読んでみた。
これ、もう奇策をとおりこして笑い話に見えたのは私が素人だからか。
偶然をねらうのは、戦術になるのだろうか。
チームプレーにあって、セットプレーの中で競り合う選手達は、こんなボールを蹴る選手をどう思うだろうか。
うまくいかなかったとき「オレを理解する努力が足りない」なんて言われたらどう感じるだろうか。
新生日本代表の10番と予測されている選手が、チームの仲間が戦いやすいように心がけるのでなく、混乱しても勝てればいいというスタンス。
闘莉王がいたら、憤慨して一発食らわすくらいやっちゃうだろうなあ。
新生日本代表の10番が、セットプレーがうまく合わなかったとき、そもそもブレ球蹴ったんでら合わせるつもりなんてないと偉そうに言うようになると、日本中で、流行るだろうなあ、ヘタなキッカーの言い訳として。

モスクワのチームではそのポジションでは2番手の選手である本田君だから、まさかモスクワのマスコミにむかって、「チームが、オレの理解がたりないんじゃね」と、思い上がったコメントは言わないだろうが、母国・日本のマスコミに言ってしまった。それはすぐにモスクワのマスコミにも伝わるでしょう。

これ、もしかしたらわざわざゴタゴタ起こして、放出してもらい他所に移籍する条件をよくする戦略なのかなと、疑いたくなる。もしそうなら、ちょっと姑息な若者だ。まさか、そんなことを考えることはないだろう。(本田君は考えなくても、PR担当の事務所はやりそう。広報の仕方が中田ヒデのときとよく似ている)

この話は笑い話ですよって、本田君が言ってくれますように。
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by windowhead | 2010-08-10 07:29 | 紙のフットボール | Comments(2)

黙祷の夏とサッカー

長崎の夏は、黙祷の夏でもある。7月23日、長崎大水害で亡くなった299人の方々への鎮魂、8月6日広島に投下された原爆で亡くなった方々への鎮魂、8月9日長崎に投下された原爆で亡くなった方々への鎮魂、そして8月15日・終戦の日、先の戦争で亡くなった方々すべてへの鎮魂。
これらの日は、子供でも無邪気に遊び呆けてはいけないと親にたしなめられていた。
長崎は、あす65回目の原爆の日を迎える。6日広島原爆の日の式典をTV中継で見ていたが、様々な意味で感慨深かった。
なにより、広島市長の言葉がすばらしかった。核廃絶への世界的な流れを適切に受け止め、いまこそ日本国の出番なのだと結んだ。それに対し、菅首相の言葉は相変わらず核抑止力を肯定するのみの残念な言葉に終わった。
来賓席でサングラス姿の米大使の表情は厳しく無言で立ち去られたらしいが、私はちゃらちゃらと外交的な笑顔を振りまくより、核被害の現実を強く受け止められてのことだろうあの表情だったのだと好意的に捉えた。
被爆の実情を映像や本などで知っていると言う人も、広島、長崎の資料館を見、被爆者の話を聞くと、改めて大きな衝撃を受けられる。資料でしかないのだが、それでも、原爆の被害と言うのはそれほど想像を絶するものがあるのだろう。

5日夜、ツイッターのTLに「明日は原爆の日、黙祷があるから早起きする」というようなサンフレッチェサポーターの呟きが流れていた。森脇良太選手や森崎浩司選手など広島生まれの選手達は、自分のブログなどで、広島原爆の日について「特別な日」として自分の考えを書いている。
以前も書いたことがあるが、ACLグループリーグの4試合目。サンフレッチェ広島のホームで戦うオーストラリアのアデレートユナイテッドの監督・選手達が、広島原爆資料館を訪れ、展示や遺品を2時間もかけてていねいに見学し、その悲惨さに強いショックを受け、呆然と立ち尽くしていたという。彼らはその後、広島原爆祈念碑に供花した。
アデレートの監督さんが、以前サンフレッチェでプレーした経験があり、そのとき自分が体験した広島原爆資料館をぜひ選手達にも知ってもらいたいと、見学訪問を実行したらしい。アデレートの選手達から、またオーストラリアの人たちにその経験が伝えられていくことだろう。彼らはきっと、悲惨さだけでなくヒューマニズムとは何かをきちんと伝えられる人たちだと思う。
この記事を読んだとき思ったのは「サンフレッチェ広島」というサッカーチームの存在意義だった。サッカーの楽しさ、すばらしさを伝えるとともに「ヒロシマ」が持つ平和とヒューマニズムの大切さを伝える存在になれるということ。声高に平和や人間愛を言う必要はない。フェアプレーとサッカーの楽しさ、そして市民として地に付いた生き方をしている選手達の姿があれば平和の思いは伝わるだろう。


サッカーは戦争だというサッカーライターもいる。旭日旗を掲げたり、戦争用語を応援幕に書いたりする一部のチームサポーターたちもいる。戦争を知らない人たちの無邪気な行為なのだろうがから目くじらを立てるまでもないのだろうが、自分の故郷サラエボと家族が戦争に巻き込まれたオシムさんは、サッカーは戦争などではないと、きちんと断言している。
サッカーは断じて、戦争ではない。
平和だからサッカーに興じることができるし、戦争ではないのだから、故意に個人や選手を肉体的精神的に傷つけてはいけないのだ。
オシムさんは厳しかったが、選手それぞれには人間的に深い心配りをしてくれた。
今回のW杯で、精神的に血のにじむような苦痛な立場に立たされた中村俊輔に、直接メッセージを届けてくれたり、チーム事情でジェフを放出され困っていた巻の移籍に尽力してくれたという。オシムさんは日本を離れても、教え子たちを一人の人間として尊重し、行く末を心配してくれているからだろう。
オシムさんは、サッカーは選手達でなりたっていることを知っていた。監督は、彼らの成長を手助けする存在だと言うことを伝えていると思う。選手一人一人を大切にすることは当たり前のようだが、今の日本サッカー界が本当にそうなっているだろうかというと、疑問が残る。
今回のW杯でも、本当に選手個人が守られていたか。高地対策は万全だったが、故なく心が傷けられた選手をケアする対策が万全だったのか、ぜひ聞きたいと思う。


選手のケアといえば、最近の暑さへの対応も気になる。
昨日、仙台市で夜7時からのゲームだったが、ベガルタ仙台の朴柱成選手が熱中症で倒れた。大事には至らなかったそうだが、夜とはいえ、この蒸し暑さのなかでプレーするのは安全とはいえないのではないだろうか。
横浜Fマリノスの中沢選手が冗談交じりに暑さの中のゲームで「命が縮む思いがする」と言っていたが、これは、選手の本心ではないだろうか。
犬飼前会長の秋冬制主張は、もしかしたら選手の健康面を考えての側面もあったのではないだろうか。
地域的な不公平ばかりが気になっていたが、選手の健康面への配慮をもう一度考える必要もあるのかもしれない。

8月は、平和や人道的なことを考える機会がたくさんある。
サッカーとは別のものと考えず、もっとシンプルに人=選手を大事にすることを考えてみたいと思う。
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by windowhead | 2010-08-08 16:48 | 紙のフットボール | Comments(0)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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