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「慎みがあってエレガント」がバルサ風

新聞記事によると、Jリーグで各クラブジュニアユース所属の中学生対象に、プロ選手以外の職業選択やセカンドキャリアなどについての支援プログラムが行われているそうだ。クラブの収益を上げるためアイデアを出し合ったり、サッカーにまつわる職業について考えたり、5年後の自分を具体的に描いてみるなどのカリキュラム内容で、グループ討議やディベート、プレゼンテーションなど体験し学ぶらしい。。
セレッソ大阪では、香川に続けと、ユース選手に英会話を学ばせるとか。各チームそれぞれに育成に力をいれているということか。
中学生でJリーグデビューした森本選手や最近はガンバの宇佐美選手、マリノスの小野選手のように高校生でトップチームデビューもあたりまえのようなこんにち、Jリーガーの平均的な引退年齢は26歳らしい。高校生でデビューしても10年しかない選手生命。おのずと才能ある選手のデビュー年齢は低くなってくるんだろう。
人間的に未熟な年齢でのプロ選手デビューは新鮮さと同時に多くのリスクも孕んでいる。今回のU21代表だった金井選手の悪質な無免許運転事件もサッカーのスキルと釣り合わない未熟な人間性が露呈したんだと思う。セカンドキャリアや英語力以前に社会性や心を育てるとなると、各クラブの負担はさらに大変なことになるだろう。(それ以前に家庭や学校はどうしているんだ?ということだけど。)

こんなことを考えていた時、たまたま訪問したブログで印象的な記事を目にした。
10月21日付け日経新聞夕刊の記事を写真撮影してアップしてあるおかげで、夕刊のない地方の私もこの記事を読むことができた。(感謝です!)

内容は、FCバルセロナの選手育成が育てた精神性について。
バルサでプレーしたことのあるバーミンガムのMFフレブ選手が話したエピソード。
バルサがCLで優勝した時、ドイツ車が各選手に振舞われることになった。モデルは自由に選んでよかったので、フレブ選手は最高級を選んだ。そしたら同僚のシャビ選手から「もっと小さいのでいいんじゃないか。タダでもらえるんだから、欲張っちゃいけないよ」と咎められた。
メッシ、イニエスタ、シャビ…バルサ生え抜きの選手達はとても謙虚だし、FCバルセロナというクラブは、なにより選手の考え方を鍛えるクラブなのだと言う。

「タダでもらえるんだから欲張っちゃいけない」というシャビ選手の言葉に、衝撃を受けたし、懐かしさを感じた。
今の日本人の多くは「タダで貰えるのなら、この際最高のものを貰おう」という感覚が当たり前ではないだろうか。日本人だけでなく、普通に当たり前の感覚なのかもしれない。
しかし、母の時代までは日本でもシャビ選手のような感覚が庶民の間にも当たり前にあったことを思い出す。
他所様で好きなだけ持って言っていいよと出された物は「ひとつだけ頂きなさい」と言われて育った人も多いのではないだろうか。
頂き物などは、一番良い物はお仏壇に、次に良い物はお隣などへのおすそ分け、残りを自分達が食べるというやり方が普通だった思う。
喜びは独り占めせず、感謝をこめて周囲と分かち合おうという考え方が一般的だったと思う。
日本人が忘れてしまったような礼節をスペインの若いサッカー選手の言葉で思い知らされた。

「最高の選手=自らのプレーで同僚の成長を手助けする。偉大な選手=自分がチームの一員であるのを常に忘れない」これがバルサ学校の教え。この考え方が土台にあるから、メッシやシャビ、イニエスタたちは自分はスーパースターだと思いあがることはない。とも書かれている。
なにより選手の考え方を鍛えるクラブなのだ言い切るFCバルセロナ。「慎みがあってエレガント」を良しとするFCバルセロナの考え方は、サッカースタイルにも表れていて、多くの人々を魅了している。

バルサ育ちの選手達の考え方がプロサッカー界の主流ではないにしろ、ジャーナリズムも含めて今の日本サッカー界ではもう少し謙虚さのある選手を大事にする風潮があってもいいと思う。
表立った激しさやアピール力ばかりが注目されつつあるW杯以降の日本代表に人間的な物足りなさを感じてしまう私などは、日本人としては古臭い部類にはいるのかもしれない。


参考にしたサイト「体育会学生就職支援サイト 「体育会ナビ」 社長日記」
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by windowhead | 2010-10-27 13:27 | 紙のフットボール | Comments(0)

地味なフランス映画、温かい韓国映画

久しぶりのフランス映画
「華麗なるアリバイ」を観た。
「ホロー荘の殺人」を作者アガサ・クリスティー自身が書き直した舞台版がベース。
うーん、なんだかなあ~。
「華麗」という言葉をこの作品につけるのは、いささか過剰包装という感じ。
舞台を現代にしたのがいけなかったのかなあ。
謎が華麗なわけじゃなし、登場人物や美術が華麗なわけじゃなし、
と言って、フランスお得意の愛憎劇として華麗で過激なわけでもない。
すべてがすごーく中途半端で、結果、地味なTVドラマのような作品。
ミステリー仕立てなのに途中で眠くなったのは、私だけでなく、一緒に行った友人も途中寝ちゃったとのこと。

お口直しに、その後上映される韓国映画「グッドモーニング プレジデント」も観ましょうと。
これは、おもしろかった。
実は、わたくし、TVの韓流にぜんぜん乗れなかったくちで、いまだに「冬のソナタ」も途中でだめなほう。
いまも数ある韓流TVドラマはほとんどだめ。これはもう波長が合わないんだと思っている。
しかし、韓国映画はそうでもない。「友へ チング」「殺人の追憶」「グエムル 漢江の怪物」「トンマッコルへようこそ」など楽しんだ映画も多い。
韓国とは、どうもラブストーリーとの波長が合わないのだろう。
韓国の3人の大統領のプライベートを風刺たっぷりなハートウォームコメディに仕立てている。
人間くさい大統領たちの人間っぽい悩みと解決法がすてき。
大統領が、サッカーくじで244億ウォン当たったら…、国民の前で、もし宝くじに当たったら全額寄付と公言していたら…
さあ、大統領はどうする?
「国民一人を助けられなければ、国防なんて無理」と言ったら、じゃあ僕の病気のお父さんを助けてよと…
女性大統領のファーストレディならぬ、ファーストゼントルマンになった素朴なおじさんは妻のために尽すが…
そして、その答えは 青瓦台のキッチンに…

いやあ、楽しかった。
とにかく、俳優さんたちが全部いい。味があるし軽妙な存在感がある。
そのなかで、チャン・ドンゴンが華になっている。
チャン・ドンゴンは、TV向きではない。絶対にスクリーンの俳優さんだ。
韓国映画の中で、今の日本の政治がどのように見られているのかも垣間見れる。
こんな映画、今、日本で作れるのかなあ。
(以前「東京に原発を」という日本映画があったが、そのキャストたちでやるといいかも。)

在宅介護をやっていると、気軽に旅行などには行きにくい。行ってもどうしても母のことが気になる。
映画はちょうどいい気分転換になると、友人は言う。たしかにそうだね。
誘ってくれた彼女に感謝。

「グッドモーニング・プレジデント」オフシャル

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by windowhead | 2010-10-23 13:57 | 至福の観・聞・読 | Comments(5)

ラモス氏が俊輔の代表復帰を猛説得!

ラモスさんが、マリノス練習場を電撃訪問して、中村俊輔選手の代表引退撤回の再考をせまった。という記事が、ザックジャパンとメッシでいっぱいのスポーツ新聞各社のサイトに掲載されていた。

わざわざ訪問して「日本代表にはまだ、俊輔の力が必要だ。代表の10番はまだ俊輔しかいない」と言ったらしい。
中村俊輔選手も「自分のためにわざわざきてくれてありがたい」と恐縮したようだ。

それでも、代表引退は「自分のことだけでなくサッカー界全体を考えてのこと。1年前から決意していた。」と言う。

先日のパラグアイ戦などを見ていても総合力で中村俊輔を越える選手はまだいない。
今回も、中日スポーツの記事を見ると、俊輔のプレーを視察したザッケローニは「すばらしい!」絶賛しているが代表引退の意志を尊重してメンバーからはずしたようだ。
スポニチによると原技術委員長は、代表引退したから召集しないわけではない。ンディションとかを見ているから、代表に必要だと現場が判断すれば戻ってくるのではないか。 と言っている。
チームの土台をつくる時期の親善試合にわざわざ呼ぶ必要はないということだろう。

俊輔が代表引退を決意した理由に「サッカー界全体を考えて」と言っているが、その1つは、日本代表の世代交代だろう。新しい選手、若い選手がどんどん代表に入ってこなければいけないと,一番感じていたのは海外で若い選手の活躍を見てきている俊輔だろう。

ラモスさんや私達俊輔ファンは、代表の10番をつけるに値する選手が成長してきてくれるまで俊輔が10番を背負うべきだと考えている。
しかし、俊輔は、代表の10番が決まるまで、代表に復帰するつもりはないのかもしれない。世代交代というのは、ただ可能性のある若手に代わるのでなく彼らが責任まで背負える選手に成長してもらうことだと考えているのではないか。
新しい10番が定着し、日本代表がどうにもならない苦しい境地に立たされた時、乞われたら代表復帰するかもしれないと思う。おそらくそのときは助っ人の背番号でOKだよという考えだろう。

ザックジャパン初戦の前日に出たこのニュースに、ラモスさんの売名行為だの俊輔サイドのやらせだとのいう心の狭い輩が当然のようにネット上にも登場している。
しかし、ラモスさんのため弁護しておきたい。
ラモスさんは、すでに8月の段階で、俊輔の引退を撤回させようと横浜に乗り込もうとしていた。
8月20日付け livedoor スポーツ・サッカージャーナル「ラモス瑠偉のふざけないで真面目にやれ!」
「代表引退って早すぎる」(http://news.livedoor.com/article/detail/4957071/)のなかで、俊輔に会いに行って、代表引退撤回を直接説得する予定だったが、時間が間に合わなかった。という話がでてくる。
ラモスさんはずっとそう思い続け、実行してくれたのだ。
ラモスさんも、俊輔も、日本サッカーのプライドと責任の象徴のような10番を背負い続けてきた選手達だ。
二人を中傷したり揶揄するような姑息な小者たちの思い及ばない思慮深さと信念を持ち合わせているからこそ、代表の10番が託されたのだ。

今回のアルゼンチン戦でも 日本代表の10番は誰にも託されなかった。その責任を背負える選手はまだいないということだろう。
中村俊輔は、それほど重い責任を8年間も背負ってくれたのだ。
そんな俊輔に敬意を表するためにも、代表応援に行く人、メッシを見に行く人で中村俊輔10のユニファームを持っている人達は堂々とそのユニを着て欲しいなあと思う。
TV観戦する私は、その姿を見て、俊輔と彼らに敬意を表したいと思う。


http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/soccer/news/CK2010100702000056.html(中日スポーツ)
http://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/p-sc-tp2-20101007-687517.html(日刊スポーツ)
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by windowhead | 2010-10-08 02:57 | 10-25shun | Comments(0)

正攻法の職人技の結集 「十三人の刺客」

毎月1日は映画の日。ということで、三池崇史監督「十三人の刺客」をTOHOシネマズで観て来た。
実は、この映画はすでに初日にユナイテッドシネマ系で観たので2回目になる。
面白そうな映画、きれいな映画が目白押しの中で、ただのチャンバラ映画を2回も見るの?と不思議そうに聞く友人もいる。
そうかもしれない。

でも2回見ても、やっぱり面白かった。

2時間20分という今の映画としては長い作品だし、少人数の刺客が大藩の大名行列を襲い、暴君を討つというシンプルなお話。
美男美女の登場や悲恋や家族愛で人間ドラマを盛り上げることもなく、討つ側と討たれる側の男達の行動を時系列に追っているだけなのになんで惹きつけられるのだろうか。

例えば「ラストメッセージ 海猿」は、事故の過酷さも政治的な背景も家族愛も男女の愛もCGによる現場のスケール感もどんどん盛り込んで壮大でドラマチックなパニックアクション映画に作り上げている。
「十三人の刺客」は、まったくその反対を行っているように思う。
そぎ落とすだけそぎ落としたなかでどれだけダイナミックなカタルシスが感じられるか。そのチャレンジのような気がした。

刺客たちはお仕着せのような黒っぽい着物姿。それぞれの人物の背景を描くこともなく、集結したときからすべてを捨ててなにものでもない戦う男としてそこにいる。
その中で俳優達それぞれの個性をだすのは激闘のシーンに絞られてくる。
普通の映画なら、きっと特別扱いをされるような名優、重鎮、アンチャッチャブルなアイドルも、普通の俳優たちも、きっと同じ扱いで現場に挑んだのだと思う。作品の中で彼らが特別に見えるようには扱われていない。汚れ役などご法度の超アイドルも同じように泥まみれで這いずり回る。
だからと言って三池監督が黒澤監督のように自分のイメージの中の絵にすべてを押し込んでいったかというと、違う。
それぞれの俳優達の所作は、時代劇の約束を守っていると思うが、台詞回しはそれぞれの俳優独特のものになっている。
平幹二郎や松本幸四郎の重厚な台詞回しと役所広司や山田孝之、伊勢谷友介の現代風な自然な台詞、松方弘樹の時代劇俳優らしいべらんめえなどが交じり合っても違和感がない。
三池監督は、良い意味で役者としての力量だけで俳優を選んだのじゃないかな。話題性だの花をそえるだのという存在が皆無。実にシンプル。
映画界には、本物の時代劇を作れる職人が少なくなっているという。
松方弘樹の殺陣は本物だ。彼は、この作品で本物を若い俳優に伝えてくれただろう。
賭場のシーンで、山田孝之演じる新六郎の一人置いて隣に東映の切られ役専門の福本清三がいた。時代劇を支える名もない俳優達やスタント、エキストラへのリスペクトだろう。

落合宿のセットがすばらしい。
屋根と屋根をつなぐはしごや物見櫓や砦の動く柵など、古い木材が作る乾いた質感や寂びた色合いが美しい。ここに黒ずくめの刺客たちが立ち、走り回り、弓を引き絞る。
木材なので、爆破で燃え上がるのも、崩れるのもリアリティがある。
CGによるダイナミックなアクション映画が普通になっているが、この落合宿のセットをみると、このセットで演技ができた俳優は幸せだなあと思う。いつ崩れてくるかわからないような本物の迫力を実感しながら必死で戦わなければならないんだから。

自然な光の中での映像の美しさも楽しめる。
ろうそくの明かり。山深い中を進む大名行列。雨の中を刺客たちが馬で疾走するシーン。
決戦に挑む刺客たちが朝もやの中櫓の下に居並ぶシーン。
闘いが終わった後の落合宿内を鳥瞰で見下ろすシーン。
侍達の衣装も地味な色だが、絹や紬など本物の素材で男の着物姿の美しさを見せた。
撮影や美術や道具、衣装などの裏方職人たちが時代劇の時代劇らしい美しさを正攻法で見せてくれた。

この作品は、映画づくりの本物の職人達が集まって、それぞれの技を骨惜しみなく発揮して戦ったすえ獲得した作品のような気がする。
戦う相手はスケジュールだったり予算だったり自然現象だったり、もろもろの現実かな。
俳優も含めて映画を愛する職人気質が集まって出来上がったのがこの「十三人の刺客」なのだと実感した。


戦いの最後のシーンは、ただ一人生き残った新六郎の解き放たれたような笑顔のストップモーション。そして、ラスト、新六郎の帰りを待つ芸者が気配を感じて玄関に飛び出し、新六郎の名を呼ぶシーンで終わる。
せめてたった一人にでもささやかな幸せがあってほしい。
でも、私達は知っている。この数年後に、黒船が江戸湾沖に来る。日本は内乱状態になり、20数年後、江戸幕府は崩壊する。
旗本三男坊の新六郎の未来には、まだまだ平和な日々は遠いのだ。

「十三人の刺客」は、確かな腕が集まって作り上げ、様々なものをそぎ落とした結果、本物のすばらしさが際立った骨太の映画になったと思う。
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by windowhead | 2010-10-02 14:20 | 至福の観・聞・読 | Comments(0)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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