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「やめないよ」 三浦知良

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「やめないよ」 三浦知良 著 新潮新書


アジア杯は、楽しませてもらった。
ザッケローニ新監督が率いる日本代表が悪戦苦闘しながら勝ち進んで行く姿は初々しくて、特に、W杯以降に登場してきた新しい選手達が活躍したのはうれしかった。
柏木、西川、伊野波、李、いずれは海外移籍を考えているのだろうが、Jリーグの若い彼らが出場し決定的な仕事をしたし、サンフレッチェの弓矢パフォーマンスが世界に披露されたのもうれしい。

若い選手達が成長しながら、これまでの宿敵たちを破ってきたのは頼もしいし元気をもらう。
しかし、本田選手が言う「この優勝は、過去の代表の優勝より価値がある」というのは、少し違うと思う。たしかにW杯のあと時間もないのにこのチームは、カタール、韓国、オーストラリアという宿敵を破った。

しかし、たとえば2004年のジーコの代表は、歴史的政治的な背景から憎悪をむき出しにした中国市民によって日本大使館までが襲われる日本バッシングの最中の中国で戦った。背負う必要のない過去の負の遺産を背負わされ、完全アウエーの厳しい環境の中で優勝したその代表は「日本の誇り」を守ってくれた。いまでもアジアカップの感動といえば重慶での勝利が目に浮かぶくらいだ。
4回の優勝それぞれに、価値があるのであって、その価値は比較できるものではない。ましてや当事者が自画自賛しては、その価値に味噌をつけることになるだろうに。
サッカーは成長しても、未熟な人間性が覗くところが若いと言うことか。

Jリーグ発足前の1992年のアジアカップで優勝した日本代表選手が、いままだ現役選手としてプレーしている。
「キング・カズ」こと三浦知良選手。

日本サッカー界で最高のスター選手がピークの時期を過ぎても、下のカテゴリーでプレーしている。
いまでも発見があるし、さらにうまくなれるような気がしているという。
日本代表はすべてのサッカー選手に与えられたチャンスなので、選出されたらいつでも対応できるようにしているし、チームで途中出場が多くても、90分フル出場できるためのトレーニングをしているという。
過去の実績なんてものはどこかにしまって、今を歩む。150点以上ゴールしたのは昔の話で、今の僕にはどうでもいいこと、学び続ける人間でいたいという。

最近は主に身体の問題によって「終わるのが近いことは確かだな」と感じていると言う。本当に身体がボロボロになるということは、どういうことだろうと恐怖を感じるとも言う。T
Vの特集番組で、サッカーのためのトレーニングで作りこまれた彼の無駄一つない美しい身体を見ていると、余計にこの恐怖がリアリティを帯びる。
それでも、今なお、チームの一員である一サッカー選手としての毎日が楽しくて仕方がないと言う。
このことが書かれているプロローグ部分を読むだけでも、この本の価値はある。

サッカー人としての「プライド」と「ぶれない考え方」、そして「楽しむ心」。
「キング・カズ」のポリシーは、一遍一遍のコラムの中で光り、全編を通して貫かれている。

「日本代表というのは、すべての」日本人サッカー選手の目標であるだろうが、到達点ではなく通過点なんだということを「キング・カズ」は身をもって教えてくれている。
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by windowhead | 2011-01-31 03:59 | 至福の観・聞・読 | Comments(2)

「空振」だったらしい

昨日(27日)の朝・9時ごろ、ちいさくガタガタと何かがゆれているような音がした。
我が家のベランダの掃きだし窓が小刻みにガタガタ揺れている。
すわ、地震???
在宅中の息子に、地震みたいと言うと、「揺れていないよ」との返事。
でも、ベランダ側の窓ははっきり揺れていた。

その後、これが霧島の噴火による「空振」というものだと分かった。
霧島の噴火の影響が長崎まで直接及ぶのかなあと疑心暗鬼だったが、そのとき、長崎の上空で、冬に起こりやすい逆転層という気象状況が起こっていて、長崎まで「空振」が届いたらしい。

http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/nagasaki/20110128-OYS1T00260.htm

昨日は、肥前鹿島行きだったので、諫早湾の向こうに山頂に雪が残る普賢岳を電車の窓から眺めながらの移動だった。
「いまさらだけど普賢岳は姿が変わったよね」
「荒々しくなっているよね」
島原の普賢岳の噴火が沈静化してから20年近くたったんだけど、火砕流で廃墟のようになった深江町にバイクで迷い込んだ時の衝撃ははっきりと思い出せる。
まるでモノトーンの戦争映画の中にいるような不思議な光景だった。
焼け残った木々とぐるぐる巻きになった鉄線のかたまり=それはビニールハウスの後だったんだけど。
火砕流が通った跡はなにもかもなくなっているので、その道筋がはっきりわかるほど。
あの情景が宮崎で起こらないように願うしかない。
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by windowhead | 2011-01-28 14:17 | 日日抄 | Comments(0)

セルティックのレノン監督と選手あてに銃弾郵送

サッカー=セルティック監督と選手あてに銃弾郵送、警察が捜査(ロイター

b0009103_22125330.jpgセルティックのニール・レノン監督といえば、中村俊輔が在籍していた時のチームメイトで、俊輔がマンチェスターユナイテッドのゴールに美しいFKを蹴りこんだ時も真っ先に駆けよって祝福を送っていた頼もしいキャプテン。俊輔は彼のキャプテンシーから多くのものを学んだとリスペクトを送っている。
昨シーズンからセルティックの監督を務めている。
そのレノン監督と同じ北アイルランド出身のナイアル・マッギン選手に銃弾が送りつけられたらしい。

日本人から見ると、ただの脅しと感じるかもしれないが、スコットランドやアイルランドの歴史や「オールドファームダービー」の背景を知ると、彼らに送りつけられた銃弾に込められた凶暴な憎しみや苛立ちが現実の形として感じる。

北アイルランドでも少数派のカトリッ系であるニール・レノン。彼の39年の人生は、北アイルランド内戦の歴史の真っ只中にある。
北アイルランドのデリーで、公民権協会による平和的なデモに英国軍が発砲し14名のカトリック系市民が英兵に射殺された「ブラディーサンデー」{血の日曜日事件}は、レノン監督が生まれた翌年のできごとだ。
生まれたときからずっと日常の中に、政治的な矛盾や差別や裏切りやテロがあった人生だったかもしれない。少なくとも、穏やかな子供時代ではなかったはずだ。
記事によると、北アイルランド代表時代も、カトリックであるために、様々な嫌がらせにあい、2002年に行われたキプロス戦前には、殺害の脅迫を受けて代表チームからの離脱を余儀なくされ、その後代表を引退したという。
一応和解をしているとはいえ、北アイルランド問題はまだまだ傷が癒えるほどの時間をへていないのだ。

このニュースが気になるのは、つい最近、アイルランドに関する書籍を続けさまに読んでいるからでもある。
「消えたダービーマッチ ベルファスト・セルティック物語」加藤康博著(コズミック出版)と「アイルランドを知れば日本がわかる」林景一著(角川書店)
アイルランドを知ることで日本がわったとは、さすがに言えないが、世界の中でのアイリッシュの影響力や 英国、アイルランド、北アイルランドの複雑な関係というのを知ることができるし、それはフットボールにも大きく係わっていることも分かる。


例えば、Jリーグの試合でも時々見かける「チェ・ゲバラ」のイラスト。
なんで日本で、サッカー場でゲバラなのか?そのフラッグを掲げているサポーターたちに聞いてみたいと思っていた。おそらく海外のスタジアムで揚げられている映像かなにかを見てカッコいいぞと真似たんだろう。
このフラッグをセルティックとレンジャーズが戦うオールドファームダービーの映像で見た。
スコットランドにゲバラ…これだって違和感がある。

しかし、セルティック側にゲバラのゲーフラなら、必然性があるのだ。
なぜなら、チェ・ゲバラはアルゼンチン生まれのアイリッシュ系。
詳しく言えばゲバラの父は「リンチ」という名のアイルランド家系なのだ。
さらに言えば、あのゲバラのイラスト(写真をネガティブ加工したデザイン)の作者ジム・フィッツパトリックはダブリン生まれの生粋のアイルランド人。
セルティックサポーターとゲバラと作者は同じ血が流れているのだ。

他のリーグでもこのイラストが揚がっているとしたら、日本と同じような軽い気持ちか、もしくは、アイルランド系の選手のサポーターなのかもしれない。

ゲバラもジョン・レノンもポール・マッカートニーもジョージ・ハリスンもオバマ大統領もアイルランド系だという。セルティックのサポーターが世界中にいるのは、そういうことなんだ。
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by windowhead | 2011-01-11 22:13 | 紙のフットボール | Comments(3)

とうかん森

前回、久しぶりに土方歳三に関することを書いたら、以前、ブログ上で新選組関連の情報を交換していた日野宿本陣文書検討會のmunnさんから、コメントがきた。
今でも、このブログをチェックしてくださっているのだと、恐縮した。

その中に、残念な情報があった。

「残念なお知らせですが、歳三が遊んだ「とうかん森」が諸事情で3本を残し伐採される見込みです。

驚いた。と同時に、残念でならない。
「とうかん森」は、ちいさな鎮守の森だが、木々のオーラがすごくて、あの「トトロ」が住み着いている大きな木のような雰囲気をもっていた。
訪問した日野で一番のお気に入りスポットだった。(土方記念館よりもお気に入り)
以前のブログにもそのときの感激をかいた。2005年5月のことだ

今の「とうかん森」の写真がmunnさんのサイトにある。
●とうかん森写真集

●土方歳三が遊んだ場所 


土方歳三ファンでまだ生誕地を訪問したことがない皆さんは、ぜひとも今の状態の「とうかん森」を体験することをおすすめします。
土方歳三のルーツはこの森だと実感できると思うし、「義に殉じた男」や「鬼の副長」というステレオタイプの土方像が、なんと薄っぺらな解釈かということが実感できます。
土方歳三は龍馬以上に、奥深い男だと興味がわくはずです。


どうも、今年はまた土方熱が再燃しそうです。

日野を訪問したら、ちょっと足をのばしてFC東京のムックン(椋原健太)の応援に行くというのもアリかな。
munnさんたちにも、ぜひとも地元近くのFC東京を、そしてムックンを応援してもらえるようにお願いしようかな。
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by windowhead | 2011-01-10 03:18 | Comments(1)

七草の日と言えば、思い出す一句

春の草 五色までは 覚えけり   豊玉

正月7日、七草の日。
七草と聞くと、必ずといっていいほど、この句が思い出される。
いや、俳句に疎い私が知っている七草に関する句はこれしかない。
だから、毎年のように、七草の日はこの句のことを書いている気がする。
この句が秀句なのか、凡句なのか、そんなことはわからない。
それでも、なんとなくほのぼのとしたのどかな感じがする。

七草の草摘みに出かけたのかな、5種類までは見つけたけど、「あとの2種類はなんだったけ?わからないや」というような句。わからないから困った、どうしよう…という切羽詰った感じではなく、わかんないけど、ま、いいかな。なんとかなるだろう」みたいなのどかな感じがする。
この人のお家には、だれかがきちんと七草の準備をしていることだろう。この人のきまぐれに頼っていない。
いつもはお手伝いもしないでブラブラしている子が、新しい年にちょっと張り切って「じゃあ七草を摘んでくるから、まかしときな」とでも言って飛び出したのでしょう。お家のひとは、くすくす笑いながら、「あんなに言うけど、あいつは七草がなんだかわかりもしれねえから、女衆で摘んできてくんねぇ」と、いつものように準備にかかったはず。
威勢良く飛び出したこの男、小さい頃から頭のいい悪がきだっただけあって、5種類までは手際よく摘んだのだろうが、案の定「はて、あと2種類はなんだぁ~~?」となったのだろう。
でも悪がきは、お家の人が自分なんか頼りにしていないことも知っているので、草摘みは途中で止めて、覚えた手の俳句をひねることに専心しちゃったんだろうな。
きっと、そのあとはそのまま棒でも振り回しながら、日野宿の庄屋さんの道場まで歩いたのかもしれない。

この気まくれの悪がきは誰か?

そう豊玉発句集という句集を実家に残して京都に旅立った男  土方歳三。

「春の草 五色までは覚えけり 」は、新選組の鬼の副長・義に準じた最後の武士と言われて人気の土方歳三の若い頃の句。
農家と言っても「おだいじん」といわれた豊かな農家の五男に生まれた歳三の若い頃は、案外いまの若者に似たような存在だったと思う。親に押し付けられて奉公に出たりしているが続かず、その後は、家業の一部でもある薬売りなどしているが、今のフリーターのような毎日だったのかもしれない。

そういえば、この人の句集の中に新年を詠んだ句もある。

「年礼に 出(いで)て行くぞや とんびだこ」

ちょっと格式ばって張り切った男の子の姿が目に浮かぶ。
こんな平和な男の子も幕末という乱世の中で命を捨てて戦う男に変身しなければいけなかった。
武州日野の自然を愛した土方歳三。
彼が命を賭けて守りたかったのは、本当は幕府でも武士の誇りでもなく、武州の自然と故郷の人々だったのかもしれない。ずっとそう思っている。



ちなみに春の七草は
「せり なずな 御形 はこべら 仏の座
すずな すずしろ これぞ七草」

七草を刻むときに歌う歌は
「七草なずな 唐土(とうど)の鳥が
      日本の土地に 渡らぬ先に 七草生やす
         トントントン トントン ストトントン…(この部分はあやふや)」
なんだけど、なぜか、
「七草なずな、七つの晩に 鶴と亀がすべった…」と自然に「かごめかごめ」に繋がってしまう。

困ったな。
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by windowhead | 2011-01-07 11:19 | Comments(5)

「コバヤシ」だったねピート・ポスルスウェイト

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英国の名脇役ピート・ポスルスウェイト(Pete Postlethwaite)さんが亡くなった。
大好きな俳優さんだっただけに、とても残念だ。
厳しい環境が刻んだような深いシワが印象的だが、まだ60歳台だったはずだ。

彼を最初に見たのは「父への祈り」だったのかなあ。
ダニエル・ディ・ルイスに熱中していたころなので、父親役なんて気にもしなかったが、その顔が、その後の映画で、ボディーブローのように効いてきて、いつか大好きな俳優の一人になっていた。


「シッピング・ニュース」でも、彼が出てくるだけで、その土地が寂れかけた地方なんだと認識させられる。
地に足を付けて踏ん張って生きている人を演じるとリアリティーがすごい。

でも、ギャングだって似合う。
「ユージュアル・サスペクツ」では、日系のギャングを演じていた。「コバヤシ」だったよね。
ちょっと笑ったが、日系だといわれるとそう見える。私のの亡くなった父はちょっとユダヤ系のような風貌だったが、似ているといえば似ているんだなあピートに。鼻なんか、父のほうがずっと西洋人ぽかった。

彼の映画を最後に見たのはいつだろうか。
長崎の名画座「長崎セントラル劇場」で見た「あの日の指輪を待つ君へ」が最後ではないだろうか。2008年だ。この映画の感想を書いたとき、ピート・ポスルスウェイトのことに触れていたのをついさっき読み返した。(町の映画館で見たい映画「あの日の指輪を待つきみへ」

だが、なんといっても、最高なのは「ブラス!」のダニー。
閉鎖騒動の炭鉱町のブラスバンドを束ねるオヤジさん。
閉山される炭鉱の作業員たちで作っているブラスバンドが多くの障害を乗り越えて全英ブラスバンド選手権出場を目指すと言う映画だが、何度見ても人々の温かさと勇気をもらう映画だ。
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ピート・ポスルスウェイト…名前はなかなか覚えられなかったが、その風貌は一度見たら忘れられない。
英国人らしい地味さと骨太さが好ましい俳優さんだった。

とても残念。
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by windowhead | 2011-01-04 12:42 | 男たちの眺め | Comments(0)

私は好きだな

どうしても、記録しておきたい記事があった。

浦和退団のポンテ、大宮の誘い断った
2011.1.3 05:00サンケイスポーツ

 J1浦和を退団したMFポンテが、大宮からのオファーを断っていた。
来季のJ1でのプレー継続かブラジル帰国かで揺れているが、「同じさいたまのクラブではやるわけにはいかない」と決断した。現在は帰国中で、「もう1つのJクラブからもオファーを受けている。落ち着いて考えたい」としている。



とらえかた、考え方は人それぞれだろうが、私は好きだなあポンテの志の高さが。

浦和が5年間チームの中心だったポンテの契約更新を打ち切ったとき、その裏で内々にマルシオ・リシャルディス獲得に動いていたこともあり、それに対してポンテは「金の問題ではない。敬意を示して欲しいだけだ」と浦和のやり方を批判した。
しかし、ポンテは そんな不本意なあつかいをした浦和に対してさえ「同じさいたまのクラブではやるわけにはいかない」と、仁義を通して、大宮のオファを断った。

これをポンテの「浦和愛」だと都合よく捉えるのは止めたほうがいい。
あくまでも彼は、彼の中にある「人としての道義」に外れた行為をしないことで、一番大切な選手として人としてのプライドを守ったのだと思う。
日本人選手だって移籍は住み慣れた環境、友人などから離れ1からスタートだ。まして外国人のポンテにとってはそのリスクは大きい。できれば住み慣れた街がいいはずだ。それでも応援してくれたサポーターや同僚への配慮から同じ街のクラブを避けたのだろう。
また、ポンテが浦和以前に所属していたドイツやブラジルなどサッカー先進国のリーグでは、同じ地域のクラブに移籍するのは望ましくないという常識があるのかもしれない。

何かといえばチーム経営を振りかざして、選手の気持ちへの配慮さえも切り捨てたような日本のクラブ経営者たちはポンテの選択になにを感じただろうか。
浦和だけでなく他チームも含めて日本人選手たちは、どう感じたのだろうか。
ポンテが本当に伝えたいものをまっすぐに受け止めて、彼の魂の美しさを感じ取って欲しいなあと思う。
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by windowhead | 2011-01-04 03:31 | 紙のフットボール | Comments(2)

我が家のお雑煮と長崎雑煮

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長崎雑煮といえば、具だくさんで有名です。13種類から15種類の具をいれるようです。さらに特徴的なのは唐人菜という独特の白菜をお雑煮の一番上に飾って「名(菜)をあげる」と縁起を担ぎます。

我が家のお雑煮は、だし汁はほぼ伝統にのっとり鰹節を削って、昆布、それに干し椎茸をもどした汁を使います。もちろん清まし汁。
具は、長崎雑煮から少し違ってきます。
清まし汁に鰤の切り身は生臭いという亡き父の意向で、鰤はいつのまにか入らなくなっています。ごちゃごちゃ具が入った清まし汁は下品だという父側のお祖母さん(一人娘のお嬢様)の好みで里芋やごぼうがはいらなくなりました。
鶏肉、干し椎茸、かまぼこ3種、にんじん、唐人菜に焼いた丸餅というのが我が家のお雑煮の定番です。

ところが、昨年から我が家の伝統雑煮に変化が。
老齢の母が総入れ歯になり、嚥下も気になるようになってきて、お餅を喉に詰まらせるような心配も出てきました。
それでも、日本人です。お正月はお雑煮を止めるわけにはいきません。
そこで、昨年から、母のお雑煮の餅は、白玉に変わりました。
白玉のお餅は、好評で、今年は、お餅より白玉がメインになりました。
もちろん、神棚やご先祖様、荒神様に上げるお雑煮は焼いた丸餅です。
毎年、お正月になると、元気なご老人がお餅をのどに詰める事故が報じられます。
正月のお餅は縁起物ですが、老人向きの食べ物ではないと思います。
ご老人のいらっしゃるお宅では、白玉のお雑煮を試してみてはいかがでしょうか。


正月早々、おせっかい魂が始動しちゃいました。

※伝統的な長崎雑煮が食べたい方は入来屋さんの長崎雑煮がおすすめ
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by windowhead | 2011-01-02 00:33 | 日日抄 | Comments(8)

新しい一年のはじまり

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新しい年のはじまり。

珍しく雪景色ですが、空は青空。

長崎港は 南から福を積んだ宝船がはいってきそう。

ことしこそ…とつい、お願いしそうですが、

福は、呼び寄せるものらしい。

入ってきやすいように、にこやかにおだやかに。

天皇杯も後半、清水が追いつきました。

家人の一人が清水ファン。

応援していますが、どうなるんでしょう。

勝ったほうはACLか…大きいなあ。
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by windowhead | 2011-01-01 15:24 | 日日抄 | Comments(4)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


by windowhead
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