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小笠原選手と中村選手の共感し寄り添う心

鹿島アントラーズと横浜Fマリノスのゲームの録画を見ていた。

小笠原満男と中村俊輔、感情をあまり表に出さない二人だが、ずぶぬれになりながら闘う二人からは、いつもと違う気迫が漂っていた。

とくに小笠原満男選手は、大きな試練を与えられてもがきながら道を探す求道者のような感じだ。
サッカー選手としての基礎を育ててくれた町をまるごと津波に飲まれ大きな大きな犠牲を出した。
いてもたってもいられず津波のすぐあと、家族を乗せ自分で車を運転して被災地に入った彼は、惨状を見、人々に会って、自分の使命を悟った。彼らの喜びのために闘うんだと。
負けてしまった試合後の彼のコメントは、自分の不甲斐なさを責め、さらに何かを背負うことを決意したような捨て身の覚悟を含んでいた。

勝った中村俊輔選手にも笑顔はなかった。
エルゴラの記者が見た俊輔の姿はこうだった。
”原稿では書ききれず、寸評でのみ伝える形となったが、中村選手の守備への貢献度は素晴らしかった。本来はボールを持ち、パスを出して、存在感を出すタイプだが、この日は違った。守備時にボールと相手を追いかけ、汗をかき、必死にプレスバックした。
決して得意とするプレーではないだろうが、チームのために守りを優先する。「勝ちにこだわる」という木村監督の言葉を、主将が率先して行動に移していた。(エルゴラマリノス担当藤井記者コラムより)


魅せるプレーで、日本ばかりか世界を湧かせたファンタジスタが、そのプレーを封印したかのようなプレー。俊輔ファンとしてはフラストレーションの溜まるようなゲームだった。

試合後の、中村選手のコメントには、被災地に思いをよせ、今の自分がどうあればいいのか揺れ動く心が垣間見える。
 23日に行われたJ1第7節で鹿島に3-0で快勝した横浜FM。攻撃を組み立てチームの勝利に貢献した中村俊輔は試合後、被災者への複雑な思いを吐露し、サッカーのプレーを通して何かを伝えていきたいとコメントしている。
「個人的には、(被災者の方に向けて)簡単に頑張れとか、あまり言えない。目の前で家が流されたりとか、(小笠原)満男がJリーグ選抜のときに話してくれたようなことが実際に起きているから……」
「希望を持ってとか、軽々しく言えないので、僕はサッカーをやる人間ですし、良いプレーをして、できることなら、それで何かを感じ取ってもらえれば。それだけです」(サッカーキング http://news.livedoor.com/article/detail/5512996/


彼もまた被災地に向けて何かを背負っているのだ。
中村俊輔選手は、日本代表とJリーグ選抜との試合前にも、同じようなことを述べていた。
中村俊輔「希望、勇気を与えるとは軽々しく言えない」2011年03月29日
http://www.tokyo-sports.co.jp/hamidashi.php?hid=12886



「がんばろう日本」「日本は強い国だから必ず立ち直る」とTVやメディアでは有名人達がこぞって、エールを送っている。日本代表の若者達も、世界で闘う姿を見せて、プレーで勇気を与える」とメッセージを送っている。
そんな中で、自分の無力さを悔いたり、揺れ動く心をかかえて、被災地の人達を想像し、共感し、心に寄り添う二人のファンタジスタ。

震災直後は、日本中が被災地を思い動いてきたし、被災地の人達も必死で生きてきただろう。
被災から50日がたち、日本中の人々が普通の生活を取り戻す中で、遅遅として自分の将来が開けない被災地の人達には、孤立感や疎外感を抱える人もでてくることだろう。
そんな人にとって、外から「頑張ろう、あなたは強いんだから」とか「がんばろう日本」は見当はずれの言葉にしかならないかもしれない。
自分と同じように、辛さを抱え、揺れ動いている心が寄り添ってくれることが、励みになるかもしれない。

メディアが伝える応援のメッセージが、だんだキャッチフレーズ化していくなかで、等身大の姿を見せてくれた小笠原選手と中村選手が伝えてくれたことは大きい。
想像し、共感し忘れないことが、大事なことだと。

応援や支援の形は、いろいろとあっていい。
すべてが同じにつながる必要はない。
「日本はひとつ」などというメッセージの押し付けほどこわいものはない。
等身大の自分の姿を見せてくれた二人に感謝したい。
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by windowhead | 2011-04-29 10:00 | 10-25shun | Comments(4)

Jリーグ再開、ことしもサンフレッチェ!

待ちに待ったという感じ。
なにしろ、地方の私の元には、Jリーグの情報がなかなか届かない。
特に、大好きなサンフレッチェ広島の情報はほとんどない。
サンフレッチェも地方のチーム、私も地方在住。
地方と地方は、本当に情報の交換がないことが、こんなことで実感される。
すべてが東京経由になっている。
おのずと東京周辺の情報が中心になっているので、サンフレッチェ広島の情報など、新聞の片隅にも載っていない。

「ペトロビッチ監督」という文字があるので、飛びつくと、今シーズンから浦和の監督・ペトロビッチさんのこと。
「違うでしょう!」
広島のペトロビッチ監督はすでに6シーズンも日本のチームを指揮している、Jリーグでは、ガンバの西野監督についで、長く1チームを率いている監督なのに、ミシャの情報はほとんどない。
「ペトロビッチ監督」と書くのはミシャのことでしょう!
せめてファーストネームのイニシャルを入れて区別すべきでしょう。
これ、先輩への礼儀でしょ!と、勝手に息巻く。
きっと、心の広いミシャは、そんなことなんとも思っていないでしょうけど。
贔屓とは、こんなにおばかさんなことで憤るものなのです。(とほほ…汗)

そのペトロビッチ監督のインタビューが、今週発売されている「週刊サッカーマガジン」に掲載された。
ワールドカップ中から、サッカーライターたちに失望して、サッカー雑誌を買わなくなって10ヶ月。
その間に買ったのは、サッカー批評2冊とエルゴラの季刊とナンバー1冊、ダイジェストの選手名鑑だけ。
W杯前まで、ずっと毎週1,2冊のサッカー雑誌を買っていたのに。
岡田マンセーなライター達への失望は、これほど大きかったし、その後の代表にももう興味はなくなってそのまま。

しかし、広島のペトロビッチ監督のインタビューと聞けば、やはり買ってしまう。
そして、すばらしいインタビュー記事だったと思う。
Jリーグへの警鐘、サッカー選手たちへのアドバイス、そして広島は今後どのように進むのか。
ミシャのサッカー哲学がいかにしっかりとして、広島だけでなくJリーグの未来を見据えているかが、分かりやすく伝わってくる。
考えていること、言うこと、行っていることに矛盾のない監督の話は、こんなに分かりやすく伝わるのかと感動する。

広島のサッカーが魅力的なのは、なぜか。
このインタビューを読めばはっきりと分かるはず。
バルサが好きという人が、広島のサッカーに無関心でいられるはずはないだろう。
先日、W杯開幕時のW中村(俊輔、憲剛)インタビューでも、中村俊輔が、広島についての感想を求められて「(俊輔)個人として好きなサッカーをしている」と言っていた。

中村俊輔の心も動かすサッカーがサンフレッチェ広島にはある。

やはり今年も「サンフレッチェ広島」が、一番のチームになりそう。

俊輔ファンならマリノスだろうと叱られそうだが、サンフレッチェのサッカーの魅力は、捨てがたいんだ。

俊輔は別格なので、マリノスとどのように共鳴していくのか、そこを見たい。
マリノスのキャプテン中村俊輔が、ほんとうにマリノスのキャプテンになれるのか。
そのときは押しも押されもせぬ憎らしいほど強いマリノスを作って欲しい。
俊輔らしくない…傍がそう思いそうだからこそ、それを打ち破った俊輔を見たい。

サッカー好きだからこそ、自分の好きなようにサッカー観戦を楽しもう。
10ヶ月雑誌を見なかったら、そんな楽しみ方ができるようになった。
雑誌の観戦記や採点や批評なんて、たかがライターの感想だもの。
振り回されることもないよね。
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by windowhead | 2011-04-23 11:24 | 10-25shun | Comments(2)

東日本大震災…長崎の支援状況を拾う(5)

13日から18日までに拾った情報。

●災害ボランティアを乗せて被災地の宮城県気仙沼市へ向かうバス「ご恩返し号」が出発
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/daisinsai/2011/04/13095444.shtml

●長崎の雑貨店が宮城県産品を販売-支援物資を運んだトラックに満載して帰崎
http://nagasaki.keizai.biz/headline/202/

●長崎市医師会が東日本大震災の被災地、福島県南相馬市と市医師会に義援金500万円を寄贈した。
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/daisinsai/2011/04/16100000.shtml


●佐世保市の学校法人西海学園が被災生徒無償受け入れ。問い合わせは同学園事務局(電0956・23・6161)
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/daisinsai/2011/04/15094702.shtml

●島原市の私立島原中央高校が被災生徒無償受け入れ。問い合わせは同校受け入れ相談事務局(電0957・65・0005)
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/daisinsai/2011/04/15094624.shtml


●東日本大震災で被災した福島県富岡町の獣医さんが、避難先の長崎県壱岐市家畜診療所の獣医師に

http://www.nagasaki-np.co.jp/news/daisinsai/2011/04/13094848.shtml



●長崎大学病院-医療支援現地レポート
http://mh-nagasaki-u.blogspot.com/

長崎大学医学部の校是は「医師は自分がいかなる仕事に従事しているかを承知していなければならない。
   ひととたび医師になったからには、わが身はもはや、自分の身体ではなく、病める人たちのものである。」というポンペ・ファン・メーデルフォルトの言葉。
この学部の前身は、幕末の長崎医学伝習所までさかのぼる。ポンペは伝習所の最初の先生で、治療にあたっても、患者の身分や貧富の差で差別することなく全身全霊で取り組んだ。
ポンペの教えを胸に、被災地でがんばる医療スタッフたちの姿が見えてきます。
東日本大震災の被災地で活動している長崎大学病院スタッフたちの生の声。
岩手県遠野市や福島県南相馬市、福島県立医科大学を拠点に活動しています。
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by windowhead | 2011-04-19 04:25 | Comments(0)

「エリックを探して」とサポーターのちから

ケン・ローチ監督の新作「エリックを探して」が今長崎でも上映されている。

なさけなくって、おかしくって、温かくて、頼もしくって、人生は捨てたもんじゃないと思わせる、そんな映画。
で、最後の最後に、シニカルな言葉を植え込んだところはやっぱりケン・ローチ。

パニック症候群に悩まされているマンチェスターの郵便配達員エリック。
仕事はうまくいかず、家に帰れば出て行った妻が残した連れ子たちが言うことを聞かない。家の中はごちゃごちゃで、息子達の友達が我が物顔で占拠している。
エリックが心休まるところは、彼の部屋のみ。部屋の壁には、マンチェスターU時代のエリック・カントナのあの襟を立てたユニフォーム姿のポスターが。エリックは、ポスターの偉大なエリック・カントナに悩みを語りかける。
すると、どこからともなく偉大なエリック(カントナ)が現れて、彼に、人生の指南をしてくれる。

行き違いになったままの最初の妻を心から愛しているエリックは、彼の青春の輝きだった妻の話をする。
カントナは、会って気持ちを伝えるべきだと言う。
行動することを決心したエリックに、カントナは、コーチとして付き添い、勇気を導く言葉を伝える。
最愛の人とのわだかまりが解けた頃、さらなる試練がエリックを襲う。
のっぴきならない状態のエリックに、カントナは言う「チームを信じろ。見方を変えろ」と。
何台ものバスに乗ってあるところに向かう郵便配達の仲間達。彼らが歌うカントナの応援歌。
赤いユニフォームの集団の痛快なプレーが、エリックの窮地を救う。

英国(スコットランド、アイルランドも含めて)映画の楽しさのひとつに、生活の中から垣間見えるフットボールがある。
会話の中に、登場人物の部屋に、当たり前のように自然にフットボールが登場する。
「エリックを探して」は、まるまるマンチェスターユナイテッドのサポーター映画と言えるほど、マンUだらけ。
映画の中に挟みこまれた、数々のカントナのゴールシーンもこの映画にさらなるパワーを加えたように効果的。その理由のひとつは、サッカーファンが見ても違和感を感じさせないサッカーシーンの字幕にあると思う。字幕監修に中西哲生氏の名前があった。
日本の配給会社の配慮に「グッジョブ!」

カントナファンのエリックは、子供のような質問をする「あなたにとって、最高のプレーはどれ?」と。
矢継ぎ早に、カントナの伝説的なゴールシーンをまくし立てるエリック。画面にはつぎつぎと、その素晴らしいゴールシーンが映し出される。
いつ、どこで、どのチームとの試合の、どんな流れからのゴールだったか。そこまで覚えているのかと思う人もいるだろうが、ファンというものは、そんなものだ。自分に引き比べても、好きな選手の最高のプレーは、映像で記憶しているし細部まで語ることができるもの。

ところが、カントナが選んだ最高のプレーは、そんなゴールシーンではない。「トットナム・ホットスパー戦で、デニス・アーウィンに出した「パス」だ」と言う。
「おれ様選手」だと思っていたカントナが、思い出に残る最高のプレーに仲間への「パス」を選んだのは以外だった。
そして、その後に語るスター選手ならではのストレスや恐怖感や孤独感と、それとの向き合い方。
「トランペットがあったから乗り越えられた」と言って、無邪気にトランペットを吹くカントナ。へたくそなトランペットだけど、大きな試練を乗り越えた自信に溢れていた。

この映画で、もうひとつ素敵なシーンがあった。
マンUの試合を見るためにパブに集まったエリックと仲間達。全員マンUが大好きだが、些細なことで意見が食い違った一人が、居たたまれずパブを飛び出した。本当は一緒に見たいのに。本当は飛び出した彼を引き止めたいのに、意地の張り合い。
そんなとき、仲間の一人が、とっさに「ゴール!」と叫ぶと、皆ゴール、ゴールと叫ぶ。飛び出した彼は、思わず、「誰のゴールだ!」とパブの中に飛び込んでくる。もちろん、ゴールは口からでまかせ。でも、それだけで何もなかったかのように、一緒にパブのTVでマンUに声援を送るエリックの仲間達。
こんな仲直りの仕方を持っている彼らを見ていると、フットボールは日常の一部なんだと実感し、うらやましく思った。
そんなサポーターたちが、最後にまるで子供のようにハチャメチャで痛快な活躍でエリックの窮地を救う。

フットボールを通して、無邪気な愛すべき男達が集まると、なにかを変えるんだ。

そんな気持ちにさせてくれたのは、「エリックを探して」だけではなかった。

今回の東日本大震災に、いち早く動いたグループがあった。(この後書くことは、私がいつもチェックしているサイトからの情報なので、若干の違いがあるかもしれない)
NPO法人「ハマトラ」というグループだ。Jリーグ「横浜Fマリノス」サポーターを中心にした集団のようだ。
マリノスファンのサイトで支援のアイデアを出し合おうという声明に出会ったのは災害の2日後の13日。
17日には、物資支援の詳細と協力呼びかけが掲載された。
詳細を読んで驚いた。日本中が混乱している数日の間に、救援物資の種類、集め方、集めた物資の届け先、そこまでの搬入手段などを決め、受け入れ先の承認まで取り付けていた。物流の支障にならないように、遠方のサポーターの好意をあえて断る決断もしていた。なんとかしなければという気持ちの瞬発力と細やかな気配りが感じられて、いつか参加させてもらおうという気持ちになったくらい。
3月20日の物資支援当日の様子は参加された武藤文雄氏のレポートと参加者のツイッターでのつぶやきからのぞかせてもらった。 http://hsyf610muto.seesaa.net/article/191623636.html

キャスターにダンボールをくくりつけた大集団が電車や地下鉄を乗り継いで、支援物資を運ぶという、奇想天外な運搬手段も、被災地に不足しているガソリンを使わないための苦肉の策だったのだろうが、天晴れと声援を送りたくなるくらい、なにかをしなければという私たちの気持ちにフィットした。
Jリーグサポーターたちの動きは、それぞれの動きから、徐々に協力し合う動きになり、次の週には、近隣チームのサポーターたちが東京に集めた支援物資を大宮のサポーターバスが仙台まで運ぶという、ダイナミックな動きに発展していった。
「ハマトラ」の支援活動は、被災地での作業ボランティアなど、さまざまな支援を模索しながら継続されている。

今回のことで実感したのは、Jリーグサポーターたちは、冷静な組織と行動力とネットワークを持った頼れる集団だということ。
そのような集団になれるのは、身近に愛するチームがあり、スタジアムで顔見知りになり、井戸端会議のように昨日の試合を語り合う、そんな日常が根付いているからだろう。

やっぱり、日本のサッカーの中心は、日本代表ではなく、Jリーグであるべき。

「エリックを探して」やサポーター集団の行動力を見て、Jリーグチームの大切さを強く感じた。
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by windowhead | 2011-04-14 02:02 | 至福の観・聞・読 | Comments(3)

「いま私たち市民にできること」を見よう

国境なき医師団日本の友人から、こんな番組があるよ、と情報がありました。

4/5(火)22:00から NHKBS11で
「いま私たち市民にできること」という番組が放送されます。

この番組の趣旨書もPDFで添付されていました。

こちらにおいて置きます。

http://50s.upper.jp/kokuti.html


取り組みに興味があります。
ぜひ、見てみようと思っています。
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by windowhead | 2011-04-05 10:30 | 私的危機管理 | Comments(0)

東日本大震災…長崎の支援状況を拾う(4)

長崎県の支援状況を主に長崎新聞から抜粋

●海自佐世保衛生隊が避難所での活動報告(4/1)
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/daisinsai/2011/04/01102610.shtml
 佐世保衛生隊からは4月にも医官1人と衛生員2人が支援に向かう予定。


●福島県からの要請を受け、医師1人看護師1人を1チームとして、長崎大学病院から1チーム、県医師会や長崎市立市民病院などから1チームが医療支援。福島第1原発に近い南相馬市を中心に、病院の診察を受けられずに自宅にいる患者を巡回診療する予定。4日から現地で活動を始める。1週間交代で約2カ月間続ける。
放射線不安のため福島県に入ることをためらう医療チームが多く、放射線の正しい知識を持つ長崎県の医療、行政機関に福島県から支援依頼がよせられたことによる。


●島原市は毛布、タオル、バスタオル、ジャージー、ジャンパー、下着計314箱と、市が確保した20リットル入りの水100箱。25日から29日にかけ、市民が市内7地区の公民館に持ち寄り、被災者が使いやすいように種類ごとに仕分けして、段ボール箱に詰める「島原方式」で集約した支援物資第1便を3月31日、大村市の集積地に向け搬送した。


●被災地から長崎へ避難してくる人を支援するボランティアグループ「長崎ソカイネットワーク」がボランティア募集中。


●長崎県と県社会福祉協議会は、東日本大震災の被災地でのボランティア活動を希望する県民に対し、電子メールとファクスで情報提供を始める。1日から希望者の登録を受け付ける。 
登録はメール(saigai_v_nagasaki@pref.nagasaki.lg.jp)かファクス(095・824・9101)のほか、県や市町、県社協、市町社協の窓口でも受け付ける。問い合わせは県男女参画・県民協働課(電095・894・3435)。


●福島県南相馬市の被災者2世帯7人が佐世保市市営住宅に同日入居した。。同市営住宅への受け入れはこれで計9世帯24人となった。
佐世保市では被災地側の要望を受けて、市民からの支援物資受付内容を変更。、1日から▽缶詰▽レトルト食品▽カップ麺▽乾パン-など、すぐに食べられる日持ちのする食品だけを受け入れる。

●長崎市PTA連合会母親部会(永田しのぶ部会長)などは30日、福島県二本松市に子ども向けの学用品やおもちゃなど129箱を送った。二本松市には、原発から半径20キロ圏内の浪江町が役場機能を移転し多数の住民が避難している。学用品などは二本松市の三保恵一市長から長崎市長に要請があり、母親たちが2日間でかき集めた。


●長崎市は28日、東日本大震災への義援金などの中間結果を発表した。
市内各所に設置した募金箱に寄せられた義援金は、25日現在で1296万279円。ほかに50自治会から273万8534円が集まった。県と共同で20日から受け付けている救援物資は、27日までに1012人から1472箱分が持ち寄られ、延べ169人のボランティアが仕分けなどに従事。市は引き続き、協力を呼び掛けている。

●福島県からの要請を受け、長崎県と長崎市の職員40人が26日、被災者支援のため出発した。2週間にわたり、福島市、郡山市、二本松市、いわき市で、避難所での活動や支援物資の仕分け作業などに当たる。

●東日本大震災を受け、現地で被災者の健康相談や心のケア、放射線量の測定に当たった長崎県職員らが25日、県庁で活動や被災地の様子を報告。「被災地には継続的な支援が必要」と強調した。

●長崎県は25日、災害救護支援班の第2陣として、佐世保市立総合病院の医師や看護師ら5人を宮城県南三陸町に派遣した。長崎県は4月末まで県内6病院を1週間交代で派遣する予定。

●日本赤十字長崎県支部も同日、病院の巡回診療や避難所から病院への搬送を行う医療救護班の第3陣として8人を宮城県へ派遣した
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by windowhead | 2011-04-02 00:46 | Comments(0)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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