「五平太」からタイムスリップ

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昨日あるパーティに参加したが、そこでケータリングを担当していたお店の名前から、ひさしぶりに10年前ごろ躍起になって調べていたことを懐かしく思い出した。
そのなまえは「五平太」で石炭のこと。
炭坑があるところでは五平太伝説というのがあるらしいが、長崎の五平太は、徳川綱吉の時代に平戸領民五平太が高島で石炭を採掘、付近の塩田へ供給したことで、石炭のことを五平太と呼ぶようになったというもの。「高島炭坑史」のなかにも書かれている。

10年以上前、私が高島炭坑史を読んだわけは、山脇正勝という人物に興味を持って調べていたから。
山脇が高島炭坑に関わったのは、明治14年ごろから。岩崎弥太郎が高島炭坑を譲り受け経営に乗り出し三菱炭坑長崎事務所を設置し、、外国人と日本人1名づつが所長として送り込んだが、その日本人が山脇正勝。その前は三菱の上海支店長をしていた人物だ。のちに岩崎弥太郎が長崎造船所を政府から譲り受けた時は高島炭坑所長と三菱造船所の初代所長を兼務したなんともすごい人のなのだ。
この人は、桑名藩の家老の息子だったが、明治維新、故あって国許に帰れず、アメリカに渡り、そこで岩崎弥太郎と知り合っている。
なぜ国許に帰れなかったか。いろいろ事情があったが、一つは彼は朝敵だったということもあるだろう。幕末桑名藩の藩主は会津藩主松平容保の実弟・松平定敬で、藩はすでに新政府側についたが、定敬と彼の側近たちは徹底抗戦で、榎本武揚や土方歳三たちと一緒に箱館(函館)に渡った。山脇正勝は定敬の小姓の一人だったので、主君を追って箱館に渡り、箱館で新選組隊士となって、弁天台場に立てこもって戦っている。新選組といっても、箱館に渡ったときは京都時代の隊士たちは数少なく、その隊を「箱館新選組」という呼び方で分けているが、もちろん土方歳三以下、歴戦の猛者たちが集まった精鋭戦闘集団だったことはかわりない。その頃の山脇の偽名は「大河内太郎」。新選組隊士名簿にもその名が残っている。

もう10年以上前だが、三菱経営となった高島炭坑や長崎造船所の初代の所長が新選組隊士だった!という事実を知ったとき、初めて郷土史への興味をもったし、まだまだ研究されていない事柄がたくさんあることを知った。そして、その頃の長崎県令(知事)と長崎市長が会津藩士だったことも。

「五平太」というお店の名前からひさしぶりに幕末明治の長崎への興味を思い出した。
幕末明治を語るときの私のスタンスは、明治新政府によって無能者扱いにされた旧幕府側大名やのテクノクラート、知識人、その人たちと学びあった無名の人たちの功績をきちんと掘り起こすこと。
いま執筆参加のお誘いをいただいている共著本でも、長崎をテーマにしたいと思う。
幕末明治の長崎はおもしろい。

山脇正勝に就て10年前にこのブログに書いたり、自分のホームページ「長崎微熱」に書いた文章へのリンクを少し載せておきます。興味をお持ちの方はご覧ください。
三菱長崎造船所初代所長は新選組隊士だった!http://50s.upper.jp/coram/coram-naga3.html#naga3sono3
明治中期、長崎の近代化に貢献した三人のサムライ http://50s.upper.jp/saiken/samurai.html
「幕末の桑名」 重工業と金融業の基礎を築いた新選組隊士たちがいた。http://westcoast.exblog.jp/4998383/
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# by windowhead | 2017-01-21 14:09 | 長崎なう | Comments(0)

誰が誰だか???見慣れた顔にホッとする

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チーム始動2日目の昨日、2部練の午後の部を見学に。
久しぶりの戸石練習場。
数日前、私の中での最高のサッカー選手・中村俊輔選手がマリノスを去る決意をした。昨シーズンのマリノスの練習環境を関東の俊輔サポさんたちから逐一聞いていた。オリジナル10の名門を自負するマリノスが、そんなに粗末な練習環境なのかと驚くほどだった。1年間キャプテンの俊輔を筆頭に選手たちは練習環境改善を求めてきたはずだ。。その後も練習環境の整備についてマリノス側からの発信はない。その他にもいろいろな軋轢があったのだろう。中村選手、小林選手、榎本選手、兵藤選手とマリノスの顔ともいうべき選手たちが大好きなマリノスを去る決意をした。彼らはそれぞれに、純粋にサッカーに打ち込みたいというメッセージを残している。

なぜこんな話をVファーレンの練習見学の前振りにするかというと、戸石練習場とクラブ屋敷の有難さを、実感したからだ。今のVファーレン長崎のほうがJ1のマリノスより練習環境はいいと思う。
午後3時半からの練習見学は、はじめはぽかぽか日差しもあったが、後ろから吹き付ける風は冷たく、日が落ちるともう寒い寒い。

選手のみなさん、誰が誰だかわかりません。そんな中で、前ちゃんやテツくんや田上くんやスギ様たちの顔をみるとホッとする。畑くんでさえ、なんかもう以前からいる選手という感じで声をかけてしまうし愛着がわいている。黒髪のキムや北川くんがあのキャピキャピ感を置いてきたみたいに真面目。銀狼のケイタにびっくり! 帰ってきたべーちゃんやシュートくん、相変わらず。

新しい選手ではっきりわかるのは、以前マリノスにいた、田代選手と北谷選手ぐらいかな。
中でもみなさんが「神ちゃんがいるみたい!」とざわざわしたのが、乾選手という人らしい。遠目にそっくりさんでした。
キーパーは190センチ92キロがいなくなったので、ちょっと小ぶりに見える。
チーム全体に身長は昨シーズンより小さい。一昨シーズン、昨シーズンの長身モデルシルエットのスタイリッシュVファーレンは今シーズンは望めないわ。 残念。
そうそう、ファンマ選手だったかな?ハーツで12得点あげてるFW。いました。
写真より若くてかわいい。スコットランドに2年いたんだから、英語は話せるよね。今度英語で声かけてみよう。
若返ったせいか、すでに体はある程度絞れてきている感じ。持久力などは見れなかったのでなんとも言えないけれど、すぐにボール使った練習にはいれている。
フィジカルコーチもヘッドコーチも変わったので、その人たちの声に慣れない。
なんだかよその練習を見ているような感じがするのは否めない。
外見で特徴的な選手がいないので、これ何度通ってもわからないままかもしれない。今シーズンは開幕近くまで情報いれないで、キャンプ終わって帰ってきてから、魅力的な選手を見つけることになりそう。

とにかく若かったです。だから味のある選手はいません。
雰囲気でスギ様に勝つ選手もまだおりませんので「様」付けはスギ様の独壇場でしょう。
「初めまして!」ばかりの新しいチームがあと1ヶ月半でどれくらい仕上がるのか、それを楽しみにしておきます。
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# by windowhead | 2017-01-12 19:46 | Vファーレン長崎 | Comments(0)

理不尽と前向きに闘える人・李栄直(リ・ヨンジ)選手ともお別れ

李栄直選手がカマタマーレ讃岐に移籍してしまった。
個人的には、一番長崎に残って欲しい選手だった。
彼がいることで、長崎は普通では体験できない事柄に出会え、学べるはずだった。
彼の熱さは、私が知っている限りのV長崎選手が持ち得なかった熱量だし、彼の人懐っこさも長崎の魅力を幅広く伝える力になると思っていた。かっこいい外見からは想像できないほどまじめで気配りの人でもあった。
こんな選手が、まさかの契約満了とは、信じられないし、はっきり言って納得がいかない。
それでも彼は「2年間皆様が応援してくれたので熱く闘えることが出来ました。このユニフォームをもう着れないのは寂しいですが自分が選んだ道ですので後悔の無いよう、また闘ってきます。本当にありがとうございました!」という挨拶を残し、twitterやfacebookへのコメントにいちいち返事を残して長崎を去っていった。

長い足を振り抜いたシュートは低い弾道でゴールネットに突き刺さった。ものすごいパワーを感じるシュート。この一発だけでも彼に期待してしまう魅力的なプレーだ。
移籍初年度のボランチでのプレーが好きだった。ゴールを決めてゴール裏に駆けつけ勢い余って壁を駆け上り不覚にもサポーターの弾幕を踏み破いたこともあった。その破れ目は、サポーターにとってはヨンジくんと一緒に喜んだうれしい思い出の傷跡だろう。
1年目の活躍から、彼にはよそからのオファーが来ていたはずだ。それでも長崎に残ってくれた。
2年目は故障がちでなかなか試合に出られなかった。試合終了間際に送り込まれてコーナーでひたすらボールをキープする姿は、本来のプレーじゃないよねと不満に思いながら見ていたが、彼は与えられた役割をいつもの熱さと闘志で全うしていた。もっともっと闘いたかっただろう。

サッカー以外でもとても魅力溢れる選手だった
多くの選手が諫早市を拠点にしているが、なぜか長崎市の浜町でのイベントに登場することが多かったヨンジくん。ファッションショーなどのイベントでモデル顔負けのスタイルを披露してくれた。また個人スポンサーでもあったアウディ長崎さんのイベントでは清潔感のある服装に着替えていく気配りをしていた。浜町イベントで見かけて「ヨンジくん、長崎っ子らしくなっててうれしいです」と声をかけると「僕はもう長崎のリ・ヨンジですから!」と応えてくれた。本当に最後まで長崎のヨンジとして精一杯のことをしてくれた。
ピッチではヴィヴィくん横の並び場所取り争いをしたり、サインボールを必死で3階席まで投げ入れる努力をしたり、スタジアムにきた多くの人に少しでも楽しんでもらう気配りを忘れない。
一番微笑ましかったのは、練習場での出来事。あの強烈シュートが外れてフェンスを越えてご近所さんのお庭を直撃。ガチャン!練習後着替えもせず車で走り出したヨンジくんが戻ってきたとき車から出したものは物干し竿。ご近所さんに飛び込んだボールが壊した物干し竿を自ら買いに行って、それを持って謝罪に向かった。謝って帰ってきたときのホッとしたような笑顔が可愛らしくて今でも思い出すと頬が緩む。

在日朝鮮人で北朝鮮代表にも選ばれていたヨンジ選手は、考えられないような嫌がらせも受けていた。
彼と長崎を汚すような卑劣なツイートが何十通も彼に送りつけられるという事件があった。その卑劣漢に向けてヨンジ選手がきちんと抗議するメッセージを送ったことで公になった。
この時もtwitterなどで多くの人が無視するよう大人の対応を勧めたが、彼は真正面から卑劣漢に向かった。この姿に魂を揺さぶられる思いがした。これまで何度もこんな目にあっているのだろう、正面から闘うことが自分自身を裏切らず後悔しない道ということを彼は学んできたのだろう。真っ向から闘う魂を見せられたからにはその背中を守ってやらなきゃ。きっと多くのファンはそんな気持ちでヨンジくんを応援してきたと思う。
ゴール裏の一部の人たちからも心無いブーイングを受けたと聞いている。ゴール裏のいざこざに必死になって「一つになって戦おう!」と訴えている姿も見た。涙する姿も何度か見た。それでいながら、ファンサービスに出てくると、「慣れてますから大丈夫です」と笑顔で対応してくれる。
ヨンジくんの存在は、事なかれで生きていく人たちに「本当に大事なものは大人の対応では守れないのだ」ということを教えてくれるし、彼や国籍の違う選手達が在籍し気持ち良くプレーできるということが平和を唱える長崎らしさだと教えてくれた。
そう考えると平和祈念ユニフォームが一番似つかわしいのはヨンジくんだと感じたので、監督さんの次にそのことを伝えながら彼にサインをお願いした。
ヨンジくん、ど真ん中に書いたよ! 
これを見たら今後も君の闘いが意味するものを思い出すだろう。ありがとう!

最近、アン・ヨンハ選手やチョン・テセ選手達とサッカーをしたよという写真がアップされていた。偉大な先輩達に負けられませんというような返信も返ってきた。

アン・ヨンハ、リャン・ヨンギ、チョン・テセ、在日朝鮮人の誇りをもって北朝鮮代表を背負った選手達だ。その次に名を連ねるのは、まちがいなくリ・ヨンジのはず。

ぜひまた代表にチャレンジしてその席を勝ち取ってほしい。
必ずJ1チームが獲得を目論む選手になって、リ・ヨンジ(李栄直)の名前を全国的にしてほしい。

そのためにも讃岐で熱く優しく闘ってくださいね。
ヨンジくんの前途に栄光と幸あれ!
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# by windowhead | 2017-01-05 18:02 | Vファーレン長崎 | Comments(1)

ルーズストッキングの反骨漢・神崎大輔選手

2016年12月18日は特別の日になった。
日本中をワクワクさせた大河「真田丸」の最終回と鹿島アントラーズとレアルマドリードのCWCチャンピオン争い。夕方から日本中が楽しんだ素晴らしいエンタテイメントの先駆けのようなイベントが西の端の長崎の商業施設の一角であった。え〜〜っ、うそ〜!と言われるかもしれないが、Vファーレン長崎のファンサポーターにとってはCWCや真田丸と同じくらい楽しく清々しいひとときだった。

「神崎大輔選手感謝の会」
2009年からVファーレン長崎に所属して8年、ついに最古参になっていた神崎大輔選手が今シーズンを最後にV長崎を去ることになった。Vファーレンのスピリットを受けつぐ選手である彼を慕うファンサポーターは大変多く、特別にトークショーとファンと触れ合う場が設けられた。
当時サポーターだった番記者さんと2009年から今日までを振り返り。昇格後の話になると、なんとサプライズゲスト。2013,2014をチームメイトだった現大分所属の山口選手=ぐっさんが登場。さらに、引退された藤井選手やレジェンド佐藤由紀彦選手(選手じゃなくなっても選手と呼びたいお二人ですからあえて)からのメッセージも届いた。
神崎選手の開口一番は「俺、これまでに役職もキャプテンマークも一度もないんです、洸一だってキャプテンマーク巻いたのに」だった。そこに「そういえば選手会長や副もやってないね」と突っ込む番記者さん。
そうなんだ、でもそれも彼らしい。
佐藤由紀彦選手を見るため、2010年だったか初めてVファーレンの試合をのぞいたときの神崎選手はルーズに落ちたストッキング姿でガンガンドリブルで攻め上がるロングヘアのやんちゃ小僧だった。長崎には原田さんや由紀彦さんや有光さんという絶対的な精神的支柱がいて神崎選手は彼らに可愛がられている熱血漢の弟分的存在に見えていた。無理もやんちゃもいっぱいさせながらスピリットを吹き込んだ彼らの後継者。そんな選手なんだなあと思って見てきた。
神崎選手に寡黙な大人の印象を感じたのは由紀彦さんがチームを去った翌年から。
練習場に見学に行くと、いつも最後まで黙々とランニングをする彼の姿があった。なんか哲学する人みたいな顔付きで走る姿は近寄りがたかった。一度だけ勇気を出してその姿に「かんちゃん、がんばって!」と声をかけたら、人懐っこい笑顔を返してくれてほっこりした気分になったけ。

神崎選手には2つの呼び名がある(もっとあるのかもしれないが私が知っているのは)

「「大輔」 と 「かんちゃん」

古くからずっとVファーレンを応援し続けている人たちは「大輔」と呼んでいるようだし、彼もそれが当たり前のように笑顔で応じている。
J2に上がってからのファンサポーターは概ね「かんちゃん」と呼んでいると思う。J2前からでも私もやっぱり「かんちゃん」のほうだ。
「大輔」と呼ぶ人たちが支えてきたVファーレンの苦楽の歴史を考えるとやはりそれは特別の呼び名なんだろうし、彼らと神崎選手にしか共有できない歴史なのだ。
それでも今では「かんちゃん」と呼ぶ人たちの方が圧倒的に多いと思う。それはJ2に上がってから彼が獲得したファンの数だ。本当にたくさんのファンサポーターを持っている選手なのだ。それほど魅力的な選手なのだ。

試合中、膠着状態になったとき、何かを仕掛けてくれる期待が持てる選手。ここぞというときの判断力が優れているというか、判断した途端に行動できる選手だ。躊躇がない。そこがすごく魅力的で、膠着した試合になると「かんちゃんなら…」と期待してしまう。

さらにチームの中で監督から一番叱られた回数が多いのは自分だと思うとの発言。それでも番記者さんの話では、だまっていても監督の考えを理解できる選手だと監督自身が言われていたそうだ。さらなる高みを求められていたのだろうか。度重なる腰の故障だったが、故障者も多くなってきたホーム最終戦に間に合わせるように彼は復活した。試合終盤になるとドローや負けの状態でもなぜか守備的になってしまう今シーズンのチームの歯がゆさが最終戦でも見られた。そんな中で神崎選手は終始アグレッシブだった。戦う気迫がみなぎっていた、やりすぎて叱られないかなと思うくらいに。ホーム最終戦後、泣きはらした顔で挨拶する神崎選手の姿に、ケガがちだったこともあって引退なんだろうと予想したサポーターも多かったと思う。私もその一人。

クラブからの契約満了の知らせがでたとき引退を覚悟したが、なんと神崎選手は、現役を続けるという。
まだ戦うサッカーをやりきってないよということかな。さすが、反骨魂あふれる選手。
その言葉がとても嬉しくて、最後の練習後に、神崎選手から初めてサインをもらった。初めてのサインなんですよというと、えー何度も話してますよねと驚かれたが、彼のユニを着ているわけでないのでたやすくサインもらえないでいた。
由紀彦さんのサインが書かれたマフラーを渡してレジェンドマフラーだから書いてくださいとお願いすると「僕はレジェンドじゃないですよ」と言われる、私の中ではレジェンドなのでと強引に言って由紀さんのサインの上の白い部分を勧める。由紀さんの上はちょっと〜と尻込みするので、じゃあ裏側に書きますか?というと由紀さんの側がいいと。本当にお兄さんに寄り添いたい弟みたいでほほえましい姿だった。

トークショーが終わると、来場者一人一人ときちんと会話しながら握手して送り出してくれた。その後も名残惜しそうに残っているファンやサポーターのために時間の許す限り一人一人と写真撮影やサインに応じてくれた。そんなサービス心に甘えて、これまでどうしても聞きたかった「あること」を尋ねてみた。

「最初にプレーを見たときからずっと気になっているのですが、あのぐにゅぐにゅに落ちるストッキングは故意にやってるの?それとも自然に?」

大笑いしながらの答えは
「膝までピチッとは締め付けられてるみたいでいやだったから故意にずらしてたら、さらに落ちてきて……よく叱られました!」(だ〜よね)
ちなみに脛当てもつっぱりそうでいやなので一番小さいのをしているのだそう。
そして、最後に、「そんなところまで見ていてくれてありがとうございます」と。
いやいや、私だけじゃないよ、みんな君の一部始終を見てるんですよ。それほど愛されているんですよ

最近とみに感じる大人の漢の佇まいとは裏腹にまだまだ負けん気でやんちゃな根っこは健在の31歳。
次のチームでどんなプレーをみせてくれるのだろうか。
青とオレンジ以外のユニフォームで戦うルーズストッキングの反骨漢を新たな気持ちで応援したくなってきた。
「かんちゃん、目一杯熱いサッカーを楽しんで!」

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# by windowhead | 2016-12-19 16:50 | Vファーレン長崎 | Comments(0)

「そして、行ってきます」

佐藤寿人オフシャルサイトより「皆さんへ」(http://www.hisato-sato.net/?p=2488

Jリーグを見続けるきっかけとなり、いまでもそのプレーにワクワクsる選手が2人いる。
中村俊輔選手と佐藤寿人選手だ
俊輔選手はデビュー当時からずっと気になる選手で追いかけている。
寿人選手に惹かれたのは京都との入れ替え戦だった。
J2降格が決まった試合後、泣きはらした顔で「このメンバー全部で必ず1年でJ1に戻るから信じて応援した欲しい」みたいなことをハンドマイクでサポーターに訴える寿人選手の姿が焼き付いている。
日本代表候補でもある寿人選手は降格したら真っ先にJ1チームに移籍だろうしそれは仕方ないと思われていたのに、その彼が真っ先にJ2に落ちたサンフレッチェで来シーズン戦うと意思表示した瞬間だった。
それからは、サンフレッチェの試合を見続けた。ミシャのサッカーはまだ出来上がってなかったけれど、魅力的だし、寿人選手もイキイキと戦っていた。あれから12年になるんだなあ。
ミシャが浦和に去って、森保監督になっても佐藤寿人はサンフレッチェにいた。生え抜き選手ではないけれどサンフレッチェといえば佐藤寿人というくらいの看板選手であり歴史の一部を象徴する選手になっていた。
その寿人選手がサンフレッチェ広島を去るという。
ここ2シーズンくらい、チームの若返りやミシャスタイルから森保スタイルへの変換もあってだろうが、寿人選手が出る場面が少なくなっていた。先発してすごく調子が良くてもルーチンみたいに後半から浅野選手に交代した昨シーズン、今シーズンも怪我があったり、ワントップにウタカ選手をすえるという方針もあって、最後頃はベンチにすらはいれなくなっていた。他のFWより劣るわけではないのに戦術上のことやチームの方針などで、若手にその席を譲るように促されている風に見えていた、
ファンとしては本当に悔しかった。寿人を越えるほどでもない若手FWが出ている理不尽さに耐えきれなくてサンフレッチェの試合を見たくなくなった。それでも今日はでるかなとスターティングメンバーはチェックする。今シーズンはそんな1年だった。
そして、心の中で思っていたのは「寿人、移籍しろよ」という願い。
でも、それもとっても冷酷な願いだということはわかっていた。寿人選手は広島が大好きでサンフレッチェが大好きで、骨をうずめるつもりでいることが手に取るようにわかるからだ。
それでも、やっぱり佐藤寿人は佐藤寿人らしい道を選んだ。
レジェンドとなって尊敬される道より一匹のストライカーの道を選んだ。
ものすごく悩み抜いたことだろう。その悩む姿が手に取るように想像できる。千々に乱れた気持ちを1つづつ整理して出した結論がオファーをもらった名古屋への移籍だ。

そして「佐藤寿人」がサンフレッチェ広島に関わる全ての人に残した言葉が彼のオフシャルブログに書かれている「皆さんへ」という挨拶だ。
すばらしい文章だった。圧倒されてしまった。
そして、なにより愛している場所を離れるけれど愛は繋がっているよという気持ちを最も的確に表す言葉を見つけ出してくれた。この挨拶の最後にある

「サヨナラは言いません。
ありがとう。
そして、行ってきます。」

これだけで、広島のファンも、佐藤寿人個人のファンも、これから行く名古屋のファンも納得できる。

どうしても残って欲しい選手が他のチームのユニフォームを着ることが許せないという人もいる。なぜうちで引退してくれない。うちのレジェンドになって欲しいと思う人もいるだろう。でも選手は自分の可能性や才能を目一杯使ってさらに次の可能性に挑みたい人たちなのだ。すでにものすごい努力をして選ばれてきた人たちは私が思い描くことができない自分との戦いをして確かな可能性を見出しているのだし、可能性があればチャレンジするという気持ちを持ち続けるから選手でいられるのだろう。
私たちが見たいのは選手として活躍する姿だし、彼らが見せたいのも選手としての自分なのだ。
来シーズンの佐藤寿人選手をしっかりと見て応援し続ける。それは長崎のチームの敵になることだからおかしいねという人もあるだろう。でも私にとっては中村俊輔と佐藤寿人はそんなことをはるかに凌ぐ存在なのだ。致し方ないよね。

振り返って、私の地元長崎のチームでも、契約満了になったが、他のチームを探して選手としての道を選ぶ選手もいる。彼の中で、まだまだ自分の技に磨きをかけ、戦えるという気力と可能性を見出しているからだろう。
またVファーレン長崎の歴史とともにあり、それこそ長崎のチームのスピリットを象徴する人が長崎をはなれることになった。サポーターに最も信頼されていたヘッドコーチも長崎を離れることになった。
経緯はわからない。
ただこう思う。
信頼し、未来を託したいと思っていた人たちだから「いってらっしゃい!」と送り出したい。彼らには「行ってきますね」という気持ちで旅立って欲しい。
そんな信頼関係をクラブは構築できているのか?
移籍や人事にはファン、サポーターは無力だ。だからこそ 「いつかぜひこのチームに帰ったきたい」と思ってもらえるクラブであってほしいと切実に思うし、願っている。
そんなクラブに成長していくという希望が見えればファン、サポーターは小さな力を振り絞って大きな力にまとめあげていく努力を惜しまないのだと思う。
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# by windowhead | 2016-12-13 15:24 | Vファーレン長崎 | Comments(0)

シーズンオフもヴィヴィくんは忙しいね

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12月1日、ヴィヴィくんと原田武男U18監督とアカデミーのスタッフさんたちが長崎市浜町で歳末街頭募金のお手伝いしてました。
すごく元気な声で募金を呼びかける若いアカデミースタッフさんたち。
Vファーレン長崎のコーチやチームスタッフさんたちはいろいろな活動などでも裏方さん的に参加して活動を支えてくれます。いつもトップチームのコーチやスタッフさんを見て、その明るさとがんばりがとても頼もしく感じていましたが、ユースのスタッフさんも同じように元気で素敵な笑顔の人たちでした。
武男さんはいつも街頭活動に参加されています。ヴィヴィくんと一緒のところを写真とりたいのにいつも控えめにサイドのほうを担当されています。それでも声は大きいです。つい武男さんの募金箱に引かれます。さすがミスターVファーレンです。
ヴィヴィくんは、もちろん相変わらずの人気でした。おちびさんたちがママから募金を預かってヴィヴィくんのところにやってきます。まるで「初めてのおつかい」みたい。
みなさん、おつかれさまでした。
(あ、ヴィヴィくんが持っている袋には募金お礼のヴィオラの苗が入っていました。この苗は強いです。昨年のお礼の苗は今年初めの大雪にあっても元気に復活しました。この苗もきっと元気のはず)

それから余談ですけど、浜町の街頭募金のとき必ずヴィヴィくんの横で呼びかけをされるご婦人がいらっしゃいます。この方は、浜町のしにせ店の一つ「竹谷健寿堂」の方。
「竹谷健寿堂」は明治10年創業のお薬屋さん。長崎じげもんたちには「どんばら膏薬」の…で通じる銘店の一つ。ここは創業時にPRのためにマスコットを作りました。それが今も店の前にドーンと座る「布袋様」。この布袋様のお腹を撫でて、その手で自分の治したいところを撫でると治癒するとの言い伝えもあるとか。なかなか「神通力」のある布袋様です。(現在の布袋様は二代目らしいのですが、初代の写真も商店街の歴史を伝える書籍に掲載されているようです)
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募金をしたところのすぐそばにマスコット界の大先輩がいらっしゃることをヴィヴィくんは知っているのかな? 
こんど浜町のお仕事のときは、大先輩を表敬訪問してくださいね。ヴィヴィくんは頭が大きいのが特徴ですが、大先輩のお腹の大きさもかなりのものですよ。
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# by windowhead | 2016-12-02 11:53 | Vファーレン長崎 | Comments(0)

なにもかもが素晴らしかった「ファン感謝デー」

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J2最終戦の三日後、Vファーレン長崎の「ファン感謝デー」が行われた。
場所は戸石の練習場。
あの場所で、なにをするんだろう?とファン感のお知らせがでた時みんな訝った。
その後のお知らせで、練習場の中で綱引きや玉入れ、ポートボール、ミニサッカーをやるという。さすがに昨年ボーリングを楽しんだ方々からは、「なにそれ?」の声も聞こえたが、個人的にはすごくワクワク感があった。
なにしろ あの練習場の手入れされた芝生のピッチに入ることができるんだから。
もちろんスニーカーや運動靴でお越しくださいの注意書きあり。

当日、ちょっと離れた結の浜駐車場から会場までのシャトルバスがなんと選手バスだった。
完全な専用バスでないとは言え、毎回選手の移動に使われるVファーレン用にペイントされた選手バスに乗れるって、初っ端からサプライズ!
遅くに行った私たちの時には終わっていたが、その前は若手選手たちが同乗してお話し相手していたらしい。バスは、なんと一般立ち入り禁止の選手専用駐車場側に止まり、その通路を通って会場に誘導された。ほんの数十メートルだけどいつもは入ることのできない場所に入れるワクワク感。

手入れされた練習場の芝生の上で、ワイワイガヤガヤ選手たちと同じ目線、同じ立ち位置で綱引きや玉入れ、ポートボールやミニサッカーに興じることができる。各競技もローテーションしてどれにでも参加できる。
ちっちゃい子から大人まで、それに選手たちも入り混じってゲームを楽しむ風景は普通の運動公園に来ているような光景。写真を撮りたい人たちは自由にゲームの周りを囲って写真撮れるし、時間が空けば選手や監督さんたちとお話したりもできる。
キャプテンやヨンジ選手を筆頭に選手の皆さんがとても楽しそうに盛り上げてくれるし、ごちゃごちゃの参加者たちを上手に組み分けしたりゲームをコントロールしてくれるコーチのみなさんの手際の良さに感心したり。
ピッチのとなりの広場では飲食ブースや物販ブースも準備されていて、そこでも選手の皆さんが販売員などを担当して楽しく盛り上げてくれたらしい。グッズを買ってくる知人たちがみんないい笑顔で、その時の模様を話したくてたまらないって感じの幸せ感に溢れていた。

角煮マン総選挙は、梶川選手の2連勝。
梶川選手の連覇阻止を宣言した大久保選手の心意気にほだされた(?)我ら択生クラスタも自宅の冷蔵庫に角煮まん貯めながら投票頑張ったけれど、さすがに250票以上の票差は詰めきれず完敗だった。でも2位に上げたがんばりは認めてもらえるかな。まあ、ご本人が足の手術で不参加だから、まかり間違って1位だったら興ざめだし、納得納得。

その後時間の許す限りサイン会。選手のみなさん、本当に大変だったと思うが、笑顔で言葉を交わしながら休みなくサインをしてくれた。
すごく楽しくてあっという間の4時間だったが、知る限りでは大きな事故もトラブルもなく気持ちよく進んだ「ファン感」だった。

今考えてみると、普通にはありえないようなシチュエーションの「ファン感」ではないだろうか。
靴の制約とピッチに食べ物などを持ち込まないという約束事以外は、
芝生練習場への立ち入り自由、参加申し込みいらず、各競技の事前参加申し込みいらず、参加無料、年齢制限なし、選手との触れ合いに細かい制限なし、一緒の立ち位置でゲームに参加できて、写真撮影自由、時間が許す限りのサイン会と盛りだくさんの自由度!
なにより、子供たちがまるで主役のように活き活き楽しんでいる!

こんなこと、知っている限りJ1、J2の他のチームで行われたことないと思う。
おそらくこの「ファン感」はクラブにとっても冒険だったのではないだろうか。
帰りのバスを待つ頃お空の雲行きが怪しくなった。バスを待つ列のためにスタッフさんたちがテントを移動してくれた。このようにクラブスタッフのみなさんのものすごく細やかな気配りが随所に感じられた。きっと雨天の場合もそれなりに満足できる企画が準備されていただろう。
バスに乗る少し前、いつも黙々と芝生の養生管理をされているスタッフさんとお会いできた。ピッチに入れていただいたお礼を伝えると、いつものように微笑んで頭を下げられた。

素晴らしい1日だった。
翌日からは…とチームの現実を考えてしまうが、とにかくその日は1日、「ファン感」の楽しい記憶に浸っていた。
クラブスタッフのみなさん、チームスタッフのみなさん、監督さん、選手のみなさん、楽しい時間を共有させていただきありがとうございました。
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# by windowhead | 2016-11-26 14:32 | Vファーレン長崎 | Comments(2)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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