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そんな日もあるさ、前向こうVファーレン

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ある朝、グローバーはねぼうしてしまい、あわててとびおきた。それがとんでもない一日のはじまり。ミルクはこぼす、ちこくはする、アイスクリームはおっことす、雨でびしょぬれになる…。だれだって、そんなついてない日はあるよね。(セサミストリートの絵本「なんてついてない日なの!の解説」から)


アウエージェフ千葉戦の前日、今にも崩れそうな空模様を気にしながら朝から練習場に向かいましたが、到着した時は雨が降り始め、練習場ではスタッフのみなさんが準備されていた道具を急いで片付けていました。選手のみなさんの車もどんどん練習場を後にし始め、荒天の関係で急な場所変更を余儀なくされた感じでした。
そういえば、この空模様はただの雨模様でなく、竜巻き注意報なるものが出ていました。
そのせいで選手の皆さんを見送ることもできませんでした。

そもそも試合の前日から、このように長崎全体を包む空気もいつもと違う乱れや荒れ模様だったわけです。

その荒れ模様もいっしょにフクアリに行ってしまったのかなぁ。

試合が終わってみれば5−0の完敗。(私はDAZN組です)
こんな時は、私たち素人がフォーメーションがどうだとか、スタメンがどうだとか、選手のメンタルがどうだとか言っても詮無いこと。
シーンごとに区切ってみれば、なんでここが空いてる、なんで清武どフリーとか、ちょくちょくあるけど、全体にそんなに悪い状態で挑んだ試合ではなかったと思うし、戦う選手のみんなの気持ちは最後まで切れてなかったと見えました。

じゃあなぜ?って
そんな日もあるのね。いろんなものが少しづつ噛み合わない、思ったようにならない、なんで自分だけ不幸?ツキがないなあって思わされる日が。
あまりに綺麗に得点されてしまうので、そう考えることにしました。

試合の分析や修正は監督さん、コーチ、選手たちがしっかりとして次の試合にそなえてくれるはずです。
サポーターを名乗る私たちは、気持ちを切り替えて次の試合に向かって練習する選手たちを明るいオーラで後押しすること。
から元気でもいいから、水曜日のホーム戦のスタジアムに明るい勢いを伝えたいですね。
フクアリの雨の中で、完敗した選手たちを拍手で讃え励ましてくれた現地組の長崎サポのみなさんのがんばりと温かさとサポ魂を受け継いで、それ以上の力を選手たちにとどけるのが、ホームでのサポーターの役割。
選手のみんなが思いっきり試合を楽しめるような空気感がつくれるといいなと思います。

だからといって、5月13日のジェフ千葉戦の悔しさは忘れません。
9月24日、ジェフ千葉をトラスタに迎える時、私たちは半沢直樹になるのです。
「やられたらやりかえす!
倍返した!」
「10点いただく!」








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by windowhead | 2017-05-15 15:08 | Vファーレン長崎 | Comments(0)

平和ユニで石橋巡り

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毎年5月4日は、史跡巡りの案内をしている。
長崎歴史文化協会の越中哲也先生が共同主催として取り組んでいらっしゃるイベントで、長崎の街の歴史を巡りながら平和であることを実感し平和な日々の大切さを実感しようという趣旨のもの。
今回は螢茶屋の一の瀬橋に集まり旧道を巡りながらめがね橋までのコース。
歴史文化協会の理事をしている関係で毎回このイベントのお手伝いをしている。説明は人気の長崎歩きの達人・山口広助さん。彼も歴史文化協会の理事さん仲間。広助さんがいるから私たちは、話を聞きそびれた人への説明や補足説明、交通整理などがおしごと。

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数年前からこの案内時にVファーレン長崎の静かなアピールができないものかと考え、ユニフォームやヴィヴィくんTシャツやタオルマフラーなどをそれとなく着用するようにしている。
今年になって憲法改正の動きや日本海あたりでのきな臭い動きが出てきて平和であることはとても脆いのではないかと感じるようになってきたので、今回は平和祈念ユニフォームを着て参加した。聞かれもしないのに平和祈念ユニとVファーレンの8月の試合の話などそれとなくアピール。興味を持ってくれる人が出てくるといいなあ。

b0009103_10432346.jpg一の瀬橋の横のなんでもない道路が、実は日本最初の有料道路だったということなど、越中先生、こっそりと教えてくださる。一の瀬橋の欄干石にはローマ字表記がされていることなども。越中先生の面白いところは、郷土史家としての立場と行政で観光としての史跡のあり方などに関わっていらっしゃったこともあり、史実と観光のバランス感覚が優れていらっしゃるところ。
たくさんの石橋をめぐるときいつも思うのはこの石はどこからどのように運んだかということ。御影石が取れない長崎で御影石が橋に使われた大正や昭和初め、長崎がすごく豊かな街だったことを知ることができる。
歴史は昔のお話でなく、今につながっていることを感じられる案内やコース作りが史跡巡りの醍醐味でだと思う。




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めがね橋では、ショートカットで先回りの越中先生が迎えてくださった。
最後の挨拶で「来年も生きとるとおもうので、また会いましょう」と挨拶される先生。司会の0さんが「100歳までは生きてもらわんば〜ですよ」というと「あと3年しかなかばい!」とすかさず応答。寿命を笑い話にできるお年寄りというのは最強だわ。
広助さんも挨拶のなかで「来年もこの会ができるように平和でありたいです」と締められた。

解散後、すぐさま「来年のコースはどこにするね〜」と問われた。案を幾つか出してほぼ来年のおおまかなコースも決まってしまった。決して若くない歴史文化協会メンバーはじゃあ来年は⚪︎⚪︎コースで!会いましょう!」と。
来年の5月4日、メンバー全員の顔が揃いますように。





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by windowhead | 2017-05-05 10:57 | 長崎と幕末維新 | Comments(0)

好発進!J2、5シーズン目のVファーレン長崎

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昨日、Vファーレン長崎はホーム開幕戦を4−0で好発進した。

今シーズンからシーズンパスはバックスタンドにした。スポンサー集めのためにもTV画面に常時写りこむバックスタンドを埋め尽くす事が大切だと聞いたから。
いつものようにKATARODEさんの選手名応援幕を揚げる手伝いで開門前のバックスタンド3階に上がって、まず目に入ったのは美しく手入れされたピッチ。
ああ、ここは長崎が誇りに思っていいスタジアムだと改めて思う。
新しいシーズンは、いろんなところが少しづつ変わっていた。スタグルが変わっていたり、ゴール裏応援団の場所が変わっていたり、それでも、昨シーズン気持ちよく応援しあった人たちは相変わらずいい顔して再開できた。
昨シーズン応援していた選手が移籍したので、今シーズンはまだユニフォームは買っていない。思い入れを託す選手を今日の試合で見つけようかなと思ったりしていた。昨シーズンまでキーパーを応援していたお仲間のお嬢さんたちが今シーズンもキーパーにしようかと思っていると言ってたのはすごく嬉しかった。だからなのか、彼女たちも私服姿。
ヴィヴィくんが新しいユニフォームをお披露目していた。
「新ユニね!」と声をかけられると、いちいちくるりと回りながら誇らしそうに見せている姿は、本当にご近所の男の子って感じ。長崎サポはヴィヴィくんとごく自然に会話する。不思議な光景かもしれないが、これ日常ね。

クラブは大幅な赤字などいろいろな問題を抱えているので、若い選手、長崎が初めての選手たちは不安が大きいのではと心配したが、高木監督が「チームは自分が責任を持って守り抜く」と断言された。監督のこの言葉を聞いたら、クラブはともかく、高木監督のこのチームは精いっぱいサポートする決心がついた。
このチームがどんなサッカーをするのか、初めて見ることになる。
すごく安心したのは、枠内シュートが多いこと、相手チームの特性もわからないから難しいがラフプレーが少ないこと、かな。そんな選手たちが躍動してくれて思いもかけない4得点、さらに守備は無失点。
名前と顔が一致しない新しい選手たちの得点がうれしい。さらに期待の外国人ファンマ選手の守備をおろそかにしないプレーと得点に間違いのない外国人選手が来てくれたと一安心。
理由はわからないが、バクスタ寄りの場所に応援場所が変わった「ウルトラ長崎ウエストエンド」のパレット。相変わらず終始さぼることなく飛んでチャントを歌っている。びっちりと敷き詰められたバンデーラが躍動していて美しいし、チャントの美しさはやっぱりこの集団の声が支えているんだと思わせる。

気持ちよく選手たちを送り出して、いつものアフターバーに参加させてもらった。
そこに、3人の群馬サポさんと、北谷選手を追いかけて山口から駆けつけてくれた北谷サポさんが合流。
ワイワイガヤガヤ、いつもの楽しい雰囲気。
ロージーさん、今シーズンもお世話になります!よろしくお願いします。
3点目を挙げた乾選手の映像を見ながら、「うちにいるときはこんなゴールみせてくれなかったぞ〜!」と叫ぶ群馬サポさん。乾選手は5年も群馬にいた選手だったのね。古巣との対決は特別な思いだったのだろう。
群馬サポさんとの話で、とても気になったのは、長崎という街のこと。
「きのう、長崎市内に観光に行ったんだけど、長崎の中心部にVファーレン長崎のポスターや看板やのぼりなどがぜんぜん見られなかった。この街にJリーグがあるなんて感じられない街だけど、なんでなの?」という疑問を聞いたこと。
たしかに、長崎市内の中心部で(私は周辺部に住んでないのでそこはわからない)Vファーレン長崎のポスターや看板、のぼりなど見かけない。「諫早にあるチームだから長崎は関係ない」という人もいるが、そんなものだろうか。そんな小さな気持ちでいいのかな。昔の長崎の人たちは、名もない若者たちを支え、育ててきたのに。無償の心意気で支えたり協力して育てた人たちが勝海舟や龍馬であり、のちの明治政府の大物たちになったのではないのかな。有名なものしか興味を持たない街になったのかな。長崎には今でもインキュベーターとしての懐の深さをもっていてほしいのに。
いや、ポスターくらい貼るよというお店や施設はたくさんあるはず。ただ、クラブが怠慢でその1軒、1軒にコンタクトしてないのかもしれない。もっともっと、Vファーレン長崎が県民にとってどれほどすばらしい宝物なのかを知ってもらう努力が必要なのだろう。
愛されるクラブという言葉はいくらでも吐けるけど、黙っていて愛してもらえるほどあまくないよね恋愛だって。
チームは、愛されるために初戦の結果を残したよ。
さあ、クラブはなにができるのかな。

たった今、うちの店の前を幼稚園生の女の子とおばあちゃんが通って行った。外に貼っているポスターをみて「ゔぃふぁーれんね」と言ってポケットガイドを1枚持って行ってくれた。ガイドを開いて選手一覧に「いっぱいいるね!」と言って大事そうに畳んだ女の子。制服のポケットに大事にしまわれるポケットガイドがとってもうれしそうに見えたなあ。
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by windowhead | 2017-02-27 17:34 | Vファーレン長崎 | Comments(0)

「五平太」からタイムスリップ

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昨日あるパーティに参加したが、そこでケータリングを担当していたお店の名前から、ひさしぶりに10年前ごろ躍起になって調べていたことを懐かしく思い出した。
そのなまえは「五平太」で石炭のこと。
炭坑があるところでは五平太伝説というのがあるらしいが、長崎の五平太は、徳川綱吉の時代に平戸領民五平太が高島で石炭を採掘、付近の塩田へ供給したことで、石炭のことを五平太と呼ぶようになったというもの。「高島炭坑史」のなかにも書かれている。

10年以上前、私が高島炭坑史を読んだわけは、山脇正勝という人物に興味を持って調べていたから。
山脇が高島炭坑に関わったのは、明治14年ごろから。岩崎弥太郎が高島炭坑を譲り受け経営に乗り出し三菱炭坑長崎事務所を設置し、、外国人と日本人1名づつが所長として送り込んだが、その日本人が山脇正勝。その前は三菱の上海支店長をしていた人物だ。のちに岩崎弥太郎が長崎造船所を政府から譲り受けた時は高島炭坑所長と三菱造船所の初代所長を兼務したなんともすごい人のなのだ。
この人は、桑名藩の家老の息子だったが、明治維新、故あって国許に帰れず、アメリカに渡り、そこで岩崎弥太郎と知り合っている。
なぜ国許に帰れなかったか。いろいろ事情があったが、一つは彼は朝敵だったということもあるだろう。幕末桑名藩の藩主は会津藩主松平容保の実弟・松平定敬で、藩はすでに新政府側についたが、定敬と彼の側近たちは徹底抗戦で、榎本武揚や土方歳三たちと一緒に箱館(函館)に渡った。山脇正勝は定敬の小姓の一人だったので、主君を追って箱館に渡り、箱館で新選組隊士となって、弁天台場に立てこもって戦っている。新選組といっても、箱館に渡ったときは京都時代の隊士たちは数少なく、その隊を「箱館新選組」という呼び方で分けているが、もちろん土方歳三以下、歴戦の猛者たちが集まった精鋭戦闘集団だったことはかわりない。その頃の山脇の偽名は「大河内太郎」。新選組隊士名簿にもその名が残っている。

もう10年以上前だが、三菱経営となった高島炭坑や長崎造船所の初代の所長が新選組隊士だった!という事実を知ったとき、初めて郷土史への興味をもったし、まだまだ研究されていない事柄がたくさんあることを知った。そして、その頃の長崎県令(知事)と長崎市長が会津藩士だったことも。

「五平太」というお店の名前からひさしぶりに幕末明治の長崎への興味を思い出した。
幕末明治を語るときの私のスタンスは、明治新政府によって無能者扱いにされた旧幕府側大名やのテクノクラート、知識人、その人たちと学びあった無名の人たちの功績をきちんと掘り起こすこと。
いま執筆参加のお誘いをいただいている共著本でも、長崎をテーマにしたいと思う。
幕末明治の長崎はおもしろい。

山脇正勝に就て10年前にこのブログに書いたり、自分のホームページ「長崎微熱」に書いた文章へのリンクを少し載せておきます。興味をお持ちの方はご覧ください。
三菱長崎造船所初代所長は新選組隊士だった!http://50s.upper.jp/coram/coram-naga3.html#naga3sono3
明治中期、長崎の近代化に貢献した三人のサムライ http://50s.upper.jp/saiken/samurai.html
「幕末の桑名」 重工業と金融業の基礎を築いた新選組隊士たちがいた。http://westcoast.exblog.jp/4998383/
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by windowhead | 2017-01-21 14:09 | 長崎なう | Comments(0)

シーズンオフもヴィヴィくんは忙しいね

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12月1日、ヴィヴィくんと原田武男U18監督とアカデミーのスタッフさんたちが長崎市浜町で歳末街頭募金のお手伝いしてました。
すごく元気な声で募金を呼びかける若いアカデミースタッフさんたち。
Vファーレン長崎のコーチやチームスタッフさんたちはいろいろな活動などでも裏方さん的に参加して活動を支えてくれます。いつもトップチームのコーチやスタッフさんを見て、その明るさとがんばりがとても頼もしく感じていましたが、ユースのスタッフさんも同じように元気で素敵な笑顔の人たちでした。
武男さんはいつも街頭活動に参加されています。ヴィヴィくんと一緒のところを写真とりたいのにいつも控えめにサイドのほうを担当されています。それでも声は大きいです。つい武男さんの募金箱に引かれます。さすがミスターVファーレンです。
ヴィヴィくんは、もちろん相変わらずの人気でした。おちびさんたちがママから募金を預かってヴィヴィくんのところにやってきます。まるで「初めてのおつかい」みたい。
みなさん、おつかれさまでした。
(あ、ヴィヴィくんが持っている袋には募金お礼のヴィオラの苗が入っていました。この苗は強いです。昨年のお礼の苗は今年初めの大雪にあっても元気に復活しました。この苗もきっと元気のはず)

それから余談ですけど、浜町の街頭募金のとき必ずヴィヴィくんの横で呼びかけをされるご婦人がいらっしゃいます。この方は、浜町のしにせ店の一つ「竹谷健寿堂」の方。
「竹谷健寿堂」は明治10年創業のお薬屋さん。長崎じげもんたちには「どんばら膏薬」の…で通じる銘店の一つ。ここは創業時にPRのためにマスコットを作りました。それが今も店の前にドーンと座る「布袋様」。この布袋様のお腹を撫でて、その手で自分の治したいところを撫でると治癒するとの言い伝えもあるとか。なかなか「神通力」のある布袋様です。(現在の布袋様は二代目らしいのですが、初代の写真も商店街の歴史を伝える書籍に掲載されているようです)
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募金をしたところのすぐそばにマスコット界の大先輩がいらっしゃることをヴィヴィくんは知っているのかな? 
こんど浜町のお仕事のときは、大先輩を表敬訪問してくださいね。ヴィヴィくんは頭が大きいのが特徴ですが、大先輩のお腹の大きさもかなりのものですよ。
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by windowhead | 2016-12-02 11:53 | Vファーレン長崎 | Comments(0)

Vファーレン長崎、シーズン終了

Vファーレン長崎は京都に0−2で負けて今シーズンを終了した。
山瀬のヘッドでのループシュートは秀逸だった。
ヨンジェはFWとしてさらに力強くなっていた。
京都は体格もプレーも力強かった。

長崎は相変わらず、よくもわるくも初々しいチームのままシーズンを終わった感じがする。
その初々しさは嫌いじゃなかったが覚醒するなにかも欲しかった。
足りないものいっぱいのチームががんばりとおして、最後の1試合で奇跡の化学変化が起きないかと密かに漫画のような展開を期待していたが、叶わず。

勝った京都サポさんたち、大人だった。長崎のセレモニーを邪魔しないように、喜びを一瞬爆発させてから、さっさと静かに撤収してくれた。かつてアウエーで勝って相手チームのチャントを横取りして喜んだり、アウエーでこれ見よがしにお得意のダンスを長々と踊るチームとサポーターもいたが、個人的にはこの日の京都サポのようにアウエーの礼儀をわきまえたサポーター集団が好きだ。

セレモニーは、監督とキャプテンのあいさつは、心に沁みた。
それぞれが精いっぱいやったが成せなかったものが多かった心残りと悔しさを押し殺しながらきちんと大人の言葉で伝えるあいさつ。言葉が途切れたときに滲み出てくる本心が見えて心に沁みた。
社長のあいさつには、気持ちに引っかき傷を残すような言葉が幾つかあった。はっきり言おう、あなた個人の気持ちを聞かせてほしいわけではない。この結果について「負けず嫌いの僕は悔しい」というが、君はどう戦ったというのか、選手やサポと一緒に戦った証をみせられるのかい? 失礼を承知で言わしていただければ社長が人間的も経営者的にも幼いことg明らかになった挨拶に落胆した。

スタジアムを一周してファンサポーターにあいさつする選手たち。私の中には歓喜はなかった。一人一人の表情をしっかりと見た。見させてもらった。この顔を記憶しておこう。
泣いている神崎選手、溢れる想いを出したくても抑えているようなヨンジ選手、とても気になる表情だった。ついもしかして…が頭をよぎってしまう。

いつものアフターバーに乗り込んで気分転換楽しく終わろうと思っていたら、いつもの方々はよその場所でのパーティらしく肩透かし。それでもそこにいる人たちとVTRで京都戦をしっかりと見たことで、冷静に今年のVファーレン長崎とそれを中心にした自分の関わりを振り返り、今後も含めて考えることができた。
今日から長崎ばかりでなく各チームで監督や選手の去就がどんどん明らかになっていくだろう。また一喜一憂の日々だが、そうこうしていると二か月後には新しいチームが始動する。新しいチームを応援する人もいれば、去ったいく選手とともにチームを離れるファンもいるだろう。でもそれぞれがサッカーで繋がっているならまたどこかで会える。選手たちも同じ。

それより来シーズンはJリーグとダゾーンの提携でろいろなものが大きく変わるのではないだろうか。
ダゾーンの影響は単にお金の問題だけじゃない。それよりも大きな変化がファンやゴール裏にも求められてくると思う。
Jリーグの本格的なグローバル化は田舎のチームのファンやサポもイングランドプレミアリーグやリーガやセリエのサポたちと同じ礼儀や人権意識などサポーターの成熟を求めてくると思っておきたい。
シーズンオフは新しい波を勉強する時間でもある。
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by windowhead | 2016-11-21 08:54 | Vファーレン長崎 | Comments(2)

拝啓、バックスタンドから

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Vファーレン長崎のホームスタジアム「トランスコスモススタジアム」は全方位屋根付きで雨も平気だし、スタンドの傾斜も見やすくて居心地のいいスタジアム。でもバクスタは正面からの直射日光に焼かれるから、夏はかなりの苦行。

そのバクスタを拠点としている応援グループがある。諫早在住の人たちが中心のそのグループは独自の活動で各選手名の横断幕を作り、ホームの試合ごとにバクスタ3階に張り巡らしている。その幕掲揚に何度か参加させてもらったが、試合の4時間前(準備の人は5時間前から)にスタジアムに入り、決められた30分で何枚もの選手名の幕を張るのはそれなりの大仕事。安全に気をつけながら、受け持った幕の選手が活躍できますようにと心を込めて結びつける。幕と独り言の会話しながらの作業は選手たちが身近に感じられる時間。

グループのみなさんと一緒に応援したくて、また、久しぶりに守護神のプレーを前から見たくて対愛媛戦はバクスタ最前列に席取りした。
グループの中核でもあるみなさんたちは日常は紳士淑女と思しき方々なのだが、スタジアムでは元気で可愛い。気心の知れた仲間たちと大好きな選手の応援を目一杯楽しんでいらっしゃる。
中心でお世話をしているHさんは、バックスタンドにもゴール裏のような盛り上がりが作りたいとの思いがあるようで、特にこの日は諫早市民デーだったのもあって、ゴール裏と同じようにチャントを歌いたいと奔走されていた。私たちもチャントを歌うことならお手伝いできるねとの思いもあった。
この日、バックスタンドで嬉しいことがあった。

スタジアム内をグリーティングして回るヴィヴィくんに、ゴール裏の人たちはヴィヴィくんチャントを歌って交流するのがいつもの流れ。この交流は微笑ましくって長崎らしい。それが終わったヴィヴィくんはスタジアム内を一周するのだ。
ヴィヴィくんがバクスタに差し掛かった時、最前列にいたので周囲数人でついついヴィヴィくんチャントを歌ってしまった。そしたら、なんとヴィヴィくんがバクスタ前でもチャントに合わせて飛んで呼応してくれた。それを見て周囲の人たちも歌ってくれる。ヴィヴィくんのおかげでバクスタ周辺でちょっとした一体感がでてきた。


もう1つのサプライズは、選手入場のほんの10分ほど前、ゴール裏からウルトラ長崎のコールリーダーさんが、浴衣姿の可愛い少年少女応援隊を引き連れてバックスタンドに来てくれた。Hさんが前もってお願いしていたらしいが、試合開始直前の忙しい中に来てくれて、よく歌うチャントやチャンスの時の応援の仕方を伝えて「バックスタンドのみなさんも一緒に応援し、選手たちへの後押しをしましょう!」と呼びかけた。時間がなかったので行き渡らなかったがチャントをプリントした紙も用意して配布していた。バックスタンドのお客さんはチャントを歌うのは初めてという人もいただろうが、なかなか元気よかった。試合開始前にバクスタにも一体感がでてきたぞ。
コールリーダーさんたちは大急ぎでゴール裏に帰らなければ選手入場に間に合わない。内心ハラハラしていたけれど、さすが若者たち、入場時には定位置にスタンバイしていた。

バックスタンドからは視界が広い、選手も間近に見えてメインよりも見やすいかもしれない。チャンスになるとタオルを回す。後ろを振り返るとバックスタンドのみなさんもタオルをブンブン回している。チャントはすぐ覚えられないが、それでも何度か繰り返されているうちにだんだん大きな声になっていっている。
試合はなかなか厳しい内容だった。終盤に愛媛に先制され、厳しい時間の中アディショナルタイムに梶川選手がゴールし、振り出しに。残り時間怒涛のような攻撃をかけたが得点を重ねることはできなかった。
それでもアディショナルタイムの攻撃時にはスタジアム全体にグルーヴ感が感じられた。
梶川選手が手で出す指示の的確なこと!今何をしなければいけないかを指差して伝えていた。
贔屓の守護神は最近なにかを越えたような佇まい。積み重ねてきた努力が一つづつ身を結んでいる?いいことだ。


ゴール裏の応援もいいが、年齢の高い者には歌い続け飛び続けることは不可能に近い。この日のバックスタンド応援はプレーも見られるしゴール裏に呼応した応援もできて、日差しの強さをのぞけば快適だった。
今後もHさんたちのグループが中心になってバックスタンドの盛り上がりを作られるだろう。
そしていつか近い将来、選手入場時にスタジアム中に「好きにならずにいられない」の応援歌が響き渡るようになりたい。

「こんな俺たちでも
君のこと好きでいいかな。
ラーラーラー ララなーがーさきー
ラーラーラ ララなーがさきー」

改めて書いてみるとすごく率直なラブソング。
スタジアム全体でこんなこと言われたら、選手たち頑張っちゃうしかないよね

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by windowhead | 2016-08-23 14:33 | Vファーレン長崎 | Comments(0)

居留地の外国人ミッチェル

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長いこと長崎にからむブログをやっていると、どきどき過去の文章に対しての質問が寄せられます。
多くはじぶんのルーツを探している方々から手がかりを求めての問い合わせです。
調査中のとき、たまたま質問を受けていた所縁の方の墓石を見つけ、子孫の方が来崎されたり、ご先祖のお墓探しのお手伝いをしたことも数回ありました。

つい数日前、ルーツとなる人物の調査をされている方から、ブログの過去記事のコメント欄にご質問がよせられていました。
その方は、幕末スコットランドから長崎に来ていた造船技師ジェームズ・ファウラー・ミッチェルにゆかりのある方のようで、長崎でのミッチェルのことを書いた史料や文献、研究者がいるかなど探していらっしゃるとのことでした。
ミッチェルに関しては大浦外人墓地の紹介記事や小菅修船(そろばんドック)の解説文に書かれていることぐらいしか知らないので、長崎歴史文化博物館に問い合わせるか、博物館を通してブライアン・バークガフニさんに問い合わせるのが良いのではとの回答しかできませんでした。

ジェームス・ファルラー・ミッチェルは1829年スコットランド・アバディーン生まれ。
30歳(1859年)の時に造船技師として長崎の居留地に移り住んだようです。下り松にはミッチェルの造船所があったようです。小菅修船場建設に関わったのはアバディーン出身のグラバーとの縁からでしょう。大浦外人墓地には、海難事故でなくなったミッチェルの兄弟(ウィリアム、ジョージ、アンドリュー)を偲んで建てた「ミッチェル兄弟記念碑」があります。背の高い台座の上にフロックコートを着た男の像が立っている特徴的な記念碑なので外人墓地を訪れたことがある人は記憶に残っているのではないでしょうか。

その後ミッチェルは神戸に移って、1903年に神戸で亡くなっており、神戸の外人墓地にお墓があるようです。彼が神戸に移ったこと、神戸で亡くなったことなど、この質問があるまで知りませんでした。
さらに、神戸では洋風建築の設計をしていたということも。
彼が設計した洋館の写真が残っているとのことです。旧アーサー・トムセン邸というのがそれで、今は建物はないようですが、写真や調度品などが神戸市博物館に所蔵されているようです。
トムセン邸ができたのが1900年とのこと。3年後に亡くなったミッチェルの晩年の仕事なんですね。
「CHIKU-CHANの神戸・岩国情報」というホームページで旧トムセン邸に関わる記事を見つけて読んでいると、長崎では その名前の文字面と外人墓地の記念碑だけで歴史の史料の中の人物としてしかとらえきれなかったミッチェルが、その時代を生きた人として形をなしてきて、私の想像の中を動き回るようになってくるから不思議。
もしかしたらあの人に会ったのでは、この人と仕事をしたのではと、調べてみたいことが湧き上がってきます。
私に質問を下さった方に中ではもっと具体的な姿をしているのだろうなあジェームス・ファウラー・ミッチェルさん。長崎での姿をもう少し浮き立たせてあげたくなってきます。


そういえばミッチェルの出身地アバディーンにはプロサッカーチームがあったなあ。
スコティッシュプレミアリーグの「「アバディーンFC」。チームの創立が1903年。あのサー・アレックス・ファーガソン(元マンチェスターユナイテッド監督)がこのチームの指揮をとっていた時代もあって、その頃はスコティッシュプレミアリーグの王者だったそうです。セルティックとレンジャーズ以外でスコットランドプレミアリーグの王者になったのは、ファーガソン時代の「アバディーンFC」だけのようです。ファーガソンもスコットランド人ですね。
最後は相変わらずのサッカーネタになってしまいました。


「CHIKU-CHANの神戸・岩国情報」http://blog.goo.ne.jp/chiku39/e/39b266b54d0b108366d4a09f90c3b042
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by windowhead | 2016-05-12 18:51 | 長崎と幕末維新 | Comments(4)

お天気だったから練習見学と牧島散策

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翌日の午前練習後、キャンプ地に出発ときいていたので、ゆっくり練習見学できる最後の日、しっかり楽しんできた。
日当たりはあったけど、やっぱり寒いや!選手たちもばっちり防寒姿。その中で梶川選手はタイツ無し。いつものことだけど寒くないのかなとおばさんは心配になってしまいます。大事なダイナモです、副キャプテンも引き受けてくれてます。風邪ひかないでくださいね。
大久保選手のオールバックは健在ですが、ジェルでなく前髪をポニーテールにしてました。ちっちゃなちょんまげ結ったみたいでかわいい。
新人松本選手、ほそ〜〜〜い。上本選手は野武士みたいで声もでかい。新キャプテンは紳士的な雰囲気。前キャプテンは相変わらず飄々としていてさらに自由度がましたようで期待大。洸一選手、絶対なにか変わった!
午前練習には、かき道の保育園の子供達がたくさん見学に。なんでもサッカー大会があって出場するので見学に来たそうです。練習後の選手たちにサインねだったり自由奔放。それに笑顔で対応しサインする選手たち。ありがとうです。ロドリゴ選手も子供達の「ハロー!」に手を上げて応えていました。
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午後練習までの間に、一緒に行ったひなたさんと、選手たちが地獄の特訓をした牧島の坂にチャレンジしようと牧島行き。
ぶらぶら歩きながら橋を渡りながらのぞきこむと海がキラキラ綺麗です。
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牧島ちくわ屋さんの前の家の塀に恵比寿像が祀ってあります。なぜか内側を向いている?と思いましたが、祀った家からしたら自分の側。そういうことかな?
地獄のトレーニング坂の入り口を探しながら畑道を散策。
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対岸の戸石の風景の中でVファーレンの練習場の芝生がひときわ鮮やかで目を引きます。
それにしても岸壁スレスレの練習場だなあと改めて実感。今日もボールが海に落ちてたっけ!スタッフさんが網ですくってた。


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地獄のトレーニング坂見っけ〜〜!
下ってみたけど、2センチヒールのブーツでもつんのめりそうでこわいほどの急勾配。
海際まで降りると対岸真ん前に練習場。
さあ、いっきの登りましょう!と声掛けだけは威勢がいいけど、
私、無理です。10歩です。
ひなたさんも途中でリタイア。
選手のみなさんはこの坂を何回上り下りしたのでしょう、恐れ入ります。
坂の横には民家があるので、お邪魔にならないように静かに息せききりながらぼちぼちのぼりました。
坂の横の椿がきれい。

牧島トレーニング坂散策が終わった頃、午後練習時間になったので、練習場にもどって、思いっきり練習見学を楽しみました。
なんとなく新しい選手たちのポジションも見えてきました。
10日間のキャンプの後、このチームがどんなに成長しているのか楽しみです。
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by windowhead | 2016-02-03 12:23 | Vファーレン長崎 | Comments(2)

戸石での始動!を見学

Sさんと一緒に戸石の練習場(十八銀行フィールド)へ。
すでに15人以上のファンサポーターの人たちが来ていた。
平日なので圧倒的に女性が多い(いや、Vファーレンの練習場見学者はいつも女性が多いのです!)
それと、TV局や新聞社の人たちなど取材の人たちも多い。
顔見知りのサポさんと挨拶を交わしながらグランドを見るとすでに2人の選手がグランドに出ていた。
ヒョンジン選手かな?もう一人はわからない???
サッカー関係のニュースやファンの発信情報を見ていると、いくつものチームで選手たちの多くが移籍などで流出して昨シーズンと全く違ったチームになってしまったと悲観的に語られている。
Vファーレン長崎も昨シーズン終了時から14人の選手がこのチームを後にした。
それでも14人の選手が昨シーズンから引き続きこのチームに残っている。
梶川選手、大久保選手、リ・ヨンジ選手たちは昨シーズンの活躍などを見ても他チームに引き抜かれるのは覚悟していたがVファーレン長崎を選んでくれた。梶川選手の完全移籍加入にありがとう!と叫ばなかったサポはいないはず。
神崎選手、高杉選手、前田選手、佐藤選手というこのチームのスピリットを引き継ぐ選手たちがしっかり残ってくれたのはサポにとってはいちばん心強いことだ。
さらに、チームの柱の選手が抜けていっている状態で木村選手と岸田選手をレンタル延長してくれた柏と鳥栖にも感謝したい。
昨シーズンの悔しさを知っている選手たちに加えて、新しく14人の選手が加わった。

フィールドに続々と選手たちが登場してきた。
みんな昨シーズンと変わらない。オフが短いので変わる暇もなかっただろうなぁ。
新しい選手たち、まだはっきり顔と名前がわからない、ごめん!
フィジカル中心のトレーニングというより、きっと軽いウォーミングアップという感じ。
キーパーとフィールドプレーヤーに分けての練習。その合間にそれぞれの選手のデーターを取っているのかヨブさんが測定したりチェックしたりしている。すごくていねいなフィジカルトレーニングなんだなあ。
個人取材でもあっていたのか梶川選手や永井選手、ロドリゴ選手の顔が見られなかったのは残念だったが、すこし大人っぽくなった新しいチームの姿が見られた。
今シーズンはプレーオフなんて関係なく自動昇格を目指すチームでなければならない。
J2で4年目はすでに新参者ではないし、3年で2回のプレーオフ経験は、J2では強豪という見方をされるのは当たり前だろう。
おそらく選手たちはその思いを強くしていると思う。選手たちのちょっとした動きにもその決意を感じさせるものがあった。
新しいVファーレン長崎に新たな期待を持ちながら、今シーズンも行ける限り応援に行きたいと思うし、サポートできることはサポートしたいと思った。
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by windowhead | 2016-01-13 14:08 | Vファーレン長崎 | Comments(0)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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