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サムライブルーの料理人

サムライブルーの料理人_b0009103_4145797.jpg「サムライブルーの料理人 …サッカー日本代表専属シェフの戦い 」 
 西芳照著 
 白水社



西さんが代表海外遠征帯同シェフを打診されたのは2004年3月、W杯ドイツ大会アジア1次予選シンガポール戦。
それから6年以上、日本代表のスタッフとして選手達の「食」を支えてきた一流シェフの奮戦記。
人柄を表すようなていねいでやさしい語り口で書かれているので、物語を読むようにすんなりと入っていける。

専属シェフとして第一に求められたことは選手が口にするものの「衛生管理」。それを根底に、栄養を考え、食欲を落とさない食事を提供する。その方針に則って、国内での準備、現地での食材調達、現地宿舎の調理スタッフへの指導、協力しての調理と休む暇もないが、日本代表スタッフの誇りと美味しく食べてもらいたいと言う料理人としての気持ちが溢れていて、その大変さを重く感じさせないさわやかさが漂う。

ジーコ監督時代のW杯予選、コンフェデ杯、ドイツW杯、オシム監督時代のアジア杯、岡田監督になってからの予選と南アW杯と、食事シーンやオフタイムでの選手達のエピソードもたくさん盛り込まれていて、これまで記者やライターたちが書いてきた代表とは違った側面からチームや選手達を知ることもできる。
南アW杯の様子は、献立とともに日記形式で詳しく書かれている。
高地対策として取り入れた圧力釜にまつわるエピソードは、西さんの情報収集能力の高さと料理を通しての温かい交流が感じられ心に残る。

それでも、この本の真髄は、前半のドイツW杯が終るまでの部分だと思った。
試行錯誤しながらも、ライブクッキングなど新しい方法を考え出し実行しながら専属シェフとして成長していく西さんと、それを支えるスタッフ仲間やそれに応えて「おいしい」と平らげる選手達との絆が強く感じられるからだ。スタッフと選手が協力しあいながらともに成長していっている。

たとえば以下のようなエピソードが書かれている。
中村俊輔選手は海外遠征に出ると、滞在初日の食事のときに真っ先にやってきて「西さん、このホテルの厨房スタッフとは仲良く仕事ができている?」と聞いてくれます。
「いや、まあ、いろいろありますよ」と冗談交じりに言うと、現地スタッフのところに行ってジョークを交えながら話をして気持ちをほぐしてくれたりします。
現地のスタッフの中に一人で飛び込んでいく私が、働きやすいようにしてやろうという配慮からなのです。中村選手はいつもそうやってさりげなく周囲の人達への気遣いをしてくれる人です。

若い頃から海外遠征を経験し、海外移籍によって海外で一人生活している(当時)中村選手は、信頼できる人が調理してくれる食事の安心感がどれほど大事かを身をもって経験しているからこそ、専属シェフへの感謝の気持ちがその行動をとらせたのだろう。
ジーコ監督時代、中村俊輔選手のこのような姿を書いたライターも記者もいなかったと思う。
西さんへの感謝の気持ちは、中村選手だけでなく全選手が感じたことで、ドイツ大会予選が終ったあと、選手たち全員がお金を出し合って慰労の金一封を贈ったりしている。

ドイツW杯時は、「西さんもチームの一員だから」という言葉とともに、日本代表のエンブレムと24番を付けたシェフコートとキャップが用意された。
ドイツW杯は、残念な結果に終ったが、2006年ドイツで戦った仲間たちはすばらしいチームだったと今でも思っていると西さんは書いている。
アジアや中東で厳しい予選を、反日運動真っ只中の中国でのアジア杯を、ドイツでのコンフェデ杯を、そしてあのドイツW杯を、立場は違っても、西さんは選手と同じ気持ちで戦ってきたのだろう。
この経験があるからこそ、南アW杯での代表の躍進を支えられたのだと思う。

2011年1月、ザッケローニ監督率いる日本代表のアジア杯にも帯同した西さん。
若い選手達で盛り上がる食事会場、カタールでむかえた49歳の誕生日をチーム全員に祝ってもらい、さらに料理人として成長する決意を新たにしたという言葉でこの本は終っている。



あの3月11日、西さんが愛した故郷・南相馬市と職場であるJヴィレッジも被災地になってしまった。
「季刊サッカー批評51号」に掲載されている「Jヴィレッジの存在意義」という木村元彦氏のレポートの中に、被災時の西さんの様子が書かれていた。
「…300人以上の人々が体育館に避難していた。宿泊者、地元の人、国際交流で訪れていた上海の日本大使館の子供たちもいた。そこで、日本代表のシェフ西芳照の陣頭指揮の下、スタッフによる炊き出しが夕方行われた報告を受けた。
翌12日朝も300人分の炊き出し、夜をどうしようかとしていると避難指示がだされた。…中略…Jヴィレッジは週末にかけて食材をたくさん仕入れていた。電気がとまっては食材が腐ってしまうと西シェフが言うので持ち出してきた。プロパンのボンベや寸胴なども最低限見繕って持って出ていたので、またも自発的な炊き出しで800人に温かいものが提供できた。14日の朝までJヴィレッジのスタッフは炊き出しを続けた。…後略」


西さんの印税の全額は、東日本大震災の被災者に対する義援金として福島県南相馬市に寄付されると巻末に記載されている。
by windowhead | 2011-06-22 04:32 | 至福の観・聞・読

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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