人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「空白の天気図」を読む

「空白の天気図」を読む_b0009103_642241.jpg
「空白の天気図」 
柳田邦男 文春文庫


69年前の8月6日、人類史上初の原子爆弾で20万人以上の人々が亡くなる壊滅的な被害を受けた広島だが、その約1ヶ月後の9月17日、追い打ちをかけるようにこの地を未曾有の天災が襲った。
枕崎台風。
916,1ヘクトパスカルという当時の観測史上2番目に低い海面気圧の大型台風は焦土と化した広島の街で吹き荒れ、原爆から生き残った人々は身を隠す場所もなく暴風雨にさらされる。そのような中で洪水や山津波が起こり、無防備な人々を飲み込んでいった。
枕崎台風による全国の死者・行方不明3756人,広島県だけでその半数以上の2012人の死者・行方不明がでる大惨事となった。

戦時下で気象情報は国の機密事項になる。開戦日から国民は天気予報のない生活をおくることになったが、気象観測は日本各地や南方の島々で続けられ、そのデータは暗号化されて逐一中央気象台に送られ、天気図が作成され、軍はそれを作戦に活用した。
8月6日、広島気象台の職員たちはいつものような観測の最中に被爆した。幸い建物は倒壊せず気象データは守られたが、それを中央に送るインフラが消滅した。同時に中央からの情報も届かなくなり、新型爆弾がなんであったのか知らないまま、観測を続け、被害調査をし、そのデータを送る手段を求めて歩き回る日々が続いた。
国が敗れても気象観測は続けられた。8月22日、NHKラジオで天気予報は復活したが、広島はまだ焦土のさなかだった。通信インフラの破損で中央からのデータが届かない中、広島気象台が観天望気で予測した台風情報だが、人々に知らせる術がない。役場への通達と気象台屋上にかかげた吹き流しで警報を知らせるしかなかった。

自分たちも放射線障害に苦しみながら日常の観測と原爆や台風に寄る被害調査を続け、その情報を守り続けた広島気象台の人々の奮闘を描いた本作は、昭和50年に初版出版されたものだが、2011年の東日本大震災と原発事故をきっかけに「核と災害 1945.8.6/9/17」という副題を添えて再文庫化されている。



*************************
長崎市茂里町にフットボール専用スタジアムの実現を!
~建設に向けて10万人署名活動実施中~

WEB署名はこちらから!

*************************
by windowhead | 2014-08-29 06:43 | 至福の観・聞・読

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


by windowhead