人気ブログランキング | 話題のタグを見る

昔なら情念劇だが、今はエンタテイメントで成功の「阿修羅城の瞳」

松竹&劇団☆新感線による大ヒット舞台劇を映画化!!らしい映画「阿修羅城の瞳」を観た。
原作が同じでも舞台と映画は別のもの。舞台と比べてうんぬんというのは、サッカーとラグビーを同じ俎上で語るようなもので、意味がないでしょう。
ケレン味のある映像が好きな私向きの映画でしたが、物足りなさやちょっとね、という部分もちらほら。それでも、ベテラン監督が無難に収めてくれたぶん、誰にでも受け入れやすい良質なエンタテイメントになっている。

市川染五郎の伝法な台詞回しはさすがに歌舞伎役者。姿かたちは今ひとつ映像的な華がないというか、憂いがないんだけど、若くて元気な病葉出門。いいじゃないですか。すきだなあ。
この出門に、宮沢りえのつばきはぴったり。映画の大画面でも絵になる女優さん。演技や姿はまだまだ可憐な娘が似合う人だが、アップになると、年相応の肌やしわがアンバランスな色気になっている。あでやかなのに騒がしくない美しさは稀有の人。

樋口可南子、小日向文世が、難なくするりとその世界感を表現してくれるのはさすが。それにくらべて、内藤剛志は鬘をかぶった内藤剛志にしか見えない。テレビなど小さな演技の場に露出しすぎで、演技のオーラが消えている。最後に、出門の敵役・邪空の渡部篤郎、ちょっと捻じ曲がった性格の人をやらせると予想以上の狂気を発揮する人だが、今回はかなりセーブしながら、楽しんで演じていると見えた。バランス的にはそれでよし!かな。

文化の爛熟した江戸の現世と破壊神阿修羅がつかさどるさかしまの写し世。戦う宿命にありながら惹かれあう男と女。最強の力を欲しがる男と愛を貫く男の戦い。いくつもの相対が入り乱れ惹かれあい、その求心力が強くなれば強くなるほど破滅に近づく……一昔前の映画では、情念の世界として描かれたテーマがスペクタクルエンタテイメントとして描かれたのがちょっとうれしい。

戦う男女が剣を交えながら、「瀬をはやみ 岩にせかるる たき河の われてもすゑに あはむとぞ思ふ」という崇徳院の和歌を言い合うシーンは、舞台ならではの演出で、その芝居がかったカッコよさを映画でも見せてくれるところなど泣かせます。

この崇徳院の和歌が、この「阿修羅城の瞳」のテーマなんですね。
崇徳院といえば、天皇の位を追われ、讃岐に流され憤死し怨霊になった祟り神。瀬をはやみ…は、激しい流れをせき止めるようにある岩に、否応なくその流れが2つに分けられようとも、きっといつかは、その流れも1つになることができると信じている。私たちのさだめもきっとそうなるはず。というような恋の歌と言われていますが、祟り神になった人の和歌です、ひとつになりたいという情念の激しさは惹かれあうものが1つになったときにものすごいエネルギーを発することを予言しているのかもしれません。そのエネルギーが破滅なのか浄化なのか…その役割は、阿修羅神そのものです。

ちょっと、以外であり、残念だったことが1つ。
映画のエンドクレジットが流れるバックの音楽が、スティングが歌う「マイ・ファニー・バレンタイン」。スティングが大好き(正しくいえばPOLICE命)の私がいうのもなんですが、このラストの音楽はミスマッチです。レオンのラストの「シェイプ・オブ・マイ・ハート」など、ラストにスティングを使う映画は、それぞれになかなか印象的なのですが、この「阿修羅城の瞳」に関しては絶対に不向きです。
わたしなら、最後までケレン味たっぷりのハードロックでいきます。
そうですね、いっそ日本が世界に誇るヘビメタキング「ラウドネス」の「クレージーナイト」などはいかがでしょう?

こんな映画は、最後でしんみりさせちゃ、いけませんぜ。
現世も写し世も一夜の夢と、かぶいて、かぶいて、終わるのが華。
鶴屋南北先生なら、わかってくださいますね。
by windowhead | 2005-04-22 12:26 | 至福の観・聞・読

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


by windowhead