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送り三味線に送られて「長崎歴史文化協会」閉会式

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参加させていただき理事を拝命している「長崎歴史文化協会」の閉会式だった。
長崎学の第一人者越中哲也先生が60歳の年に十八銀行のバックアップの下で長崎の人たちに広く歴史文化に親しんでもらい研究の手助けの場となるようにと発足した「長崎歴史文化協会」。現在97歳になられている越中先生のご引退に合わせて協会も幕を閉じることになった。閉会式には100人以上の人が集まり、先生の活躍の映像を見たり思い出をお話する場面もあり、終始和やか。最後には長崎の料亭文化でもある送り三味線でにぎやかに参加者を送り出すという趣向まで用意されていて先生らしい幕の引き方だった。

ここで本当に多くの方と知り合い、多くの知識やアドバイスを頂いてきた。

私が興味を持つテーマはいつも長崎の郷土史からはちょっとはずれたものばかりだったので、おそらく先生にとっては、変わった生徒だっただろう。
「今度◯◯について調べてみようと思ってます」というと「なんでまた」と心の中ではあきれられてもきちんと話を聞いてくださり、参考文献や史料の存在を教えてくださる。
私の興味の対象は一貫して幕末の徳川幕府に組した人々や組織だったので、「坂本龍馬」ファンの多い長崎ではとてもマイナーな立ち位置。おまけに最初の対象が会津藩御用達・足立仁十郎。今でこそ会津藩に取り立てられ藩士にまでなった長崎の豪商のことは「さるく」などでも案内されているようだが、私が調べ始めた頃は参考文献が郷土史研究者で当時県立図書館の副館長の本馬先生が「長崎談叢」に発表されていたものしかなく、苦労したが、越中先生とお話ししているとまったく関係ないような話の中にポロポロと関わりがありそうな事柄が出てきて、それを調べていくとどこかで足立仁十郎につながっていくという不思議な経験もした。そのあとも「三菱長崎造船所初代所長が箱館戦争で新選組隊士として戦っていたことや、会津藩士の経歴をもつ長崎県知事や市長の話など、おおよそ長崎ではだれも手をつけなかったことばかり追っかけては文章にしてきた。その都度「歴史に興味がない人が読んでも面白いと思えるようなわかりやすい文章にしなさい」というアドバイスをいただいてきた。
「長崎歴史文化協会研究室」が発行する「ながさきの空」では、さらに郷土史らしからぬ文章を書かせてもらった。トランス・コスモススタジアムや爆心地公園に植えられている「メタセコイア」がどのような経緯で長崎に来たのかとか「Jリーグのある街の効果」などという申し訳ないほど自分の趣味に寄せた文章まで掲載してもらった。
越中先生の懐の深さは真実を掘り起こす歴史研究だけでなく「観光資源としての歴史」があってもいいというところ。龍馬が風頭山から長崎港を眺めて「長崎はわしの希望だ」といったかどうかの裏づけはない。でも可能性はあり、それがロマンにつながり人々の心を癒すのなら目くじら立てて否定することもないと見ていらっしゃる。この寛容さが「歴史文化協会研究室」の居心地の良さを作っていたのだと思えてくる。
「ながさきの空」の最終号で私のことをこのように表してくださっている「若い頃から実に自由に幅広い研究を発表されています。そして時々長崎歴史文化協会にも来られ、私に和やかな話題を残していかれます」。私が持っていく突拍子もないテーマも先生にとっては和やかな話題と受け止めてくださる間口の広さと寛容さ。歴史文化協会はなくなっても、ときどき先生をお尋ねしてお話をしたりお手伝いをしたくなるだろうなあ。
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↑歴史文化協会研究室での越中先生




by windowhead | 2019-03-23 03:11 | 長崎より | Comments(0)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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