人気ブログランキング |

74年前のリアルを今に重ねて

b0009103_12495585.jpg
昨日8月9日、twitter で展開されたイチノセヒデユキさん(@hideyuki_jp)の「長崎原爆リアルタイムツイート」を追っていて、今自分が住んでいるところが74年8月9日直後、どのようになっていたのか知りたくなった。
長崎駅から北のほうに数百メートルの宝町、その斜面ぞいの御船蔵町。8月9日の原爆投下爆心地から約2キロメートルぐらいの南に下ったところだ。
被爆後の様子が知りたくて、昨日なにか資料がないか探してみた。
以前、長崎ケーブルメディアが放映していた「原爆散歩」という番組の中に、上の写真のような映像があった。
被爆3ヶ月後くらいの御船蔵町宝町の様子だ。(写真の上の円や四角は私が付けた)
ブルーの四角の場所が今私が住んでいるところだ。
その右のピンクの丸を拡大すると下の写真になる
b0009103_13025765.png
山から流れてくる小さな川に架けられた小さな橋。
この橋は今も残っている。
b0009103_12504440.jpg
この橋は、私のもっとも身近にある被爆遺構だと勝手に思っている。

最初の写真の黄色の丸は 西坂国民学校があったところ。今の西坂小学校の場所。
最初の写真の左側のピンクの丸あたりに今は「ガスト宝町店」がある。だからその横の白い道路は「ガスト」の左横の上り坂だ。画面外になるが、坂の左側の上のほうに、今、長崎新幹線のトンネルの出入口が建設されている。
西坂小学校の沿革によると、原子爆弾の爆風で西坂国民学校は倒壊してしまった。その後長崎駅のほうからの火災で国民学校も周辺も類焼したそうだ。
宝町から2、3百メートル北西の銭座町の写真を見つけた
瓦礫以外なにもない。
74年前の8月9日が もし74年後の8月9日だったら‥…私や家族だって無事じゃなかった。
イチノセさんの「リアルタイムツイート」は「あの日」を臨場感をもって感じることができたすばらしいコンテンツだった。
「あの日」から74年たった私の身近な被爆遺構の名もない橋の上に立って最初の写真が撮られた方角を眺めてみた。
b0009103_12505529.jpg
駅に近い便利な斜面は住宅がひしめいていて見通せない。人々の営みが感じられる町になっている。
じゃあ最初の写真が撮られた場所あたりからみてみよう。昨年、稲佐橋から撮影した写真がフォルダーの中にあった。(最初の写真よりずっと浦上川寄りの場所からの撮影だが)
b0009103_12521648.jpg
この写真の左端近くにあずき色のビルがあるが、それが最初の写真の青い四角で囲った私が住んでいるところ。
74年前、何もなくなっていたところは今こんな町になっている。
破壊は一瞬だが、この風景の町になるまでに人の一生分の時間がかかる。
繰り返したくない。


















by windowhead | 2019-08-10 15:03 | 長崎より | Comments(0)

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


by windowhead