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「地虫鳴く」木内 昇著:「点」すら残せない男たちの心模様

「地虫鳴く」木内 昇著:「点」すら残せない男たちの心模様_b0009103_3204493.jpg「地虫鳴く」 木内 昇著 河出書房新社

帯から引用する解説文
「お前が俺の役目、引き継いでみねえか」--ある日、土方は尾方に監察の差配を命じた。
探る山崎、進む伊東、醒める斉藤、そして惑う阿部ーー。
兆し始めた「近代」に入っていこうとする、男たちそれぞれの、地を這う旅の行方。
走っても走っても、どこへも行けないのか。


「幕末の青嵐」で、みずみずしい青春小説のような新選組をみせてくれた著者が、また新しい「新選組」を書いてくれた。
従来の「新選組」では、脇役や仇役であった隊士たちをとりあげて、彼らが「近代」に向う歴史に翻弄されながらも彼らなりのやり方で「自分」を生きようとする姿を内面的な視点から描いた秀作。抗っても「歴史」に「点」すらも残せない人間たちの無力感が、現代にシンクロしてくる。


乱世を楽しむかのように生き生きしている山崎丞。この人も時代が求めた異才の一人だったのだろう。全編をとおして、彼の存在が強いアクセントになっていて、印象に残る。

兄弟を連れて入隊した谷三十郎の長男としての責任感と矜持。
理想に直進する伊東甲子太郎と、そんな兄のために汚れ仕事を引き受けている三木三郎のねじれた兄弟愛。
この2組の兄弟たちの兄弟愛が悲しいのは、どこか片思いに似ているからか。愛を注がれた側が無自覚であったり、その愛の現れ方をうとんじていたりするからだろうか。
伊東甲子太郎の生い立ちが悲しい。

確信をもって突き進む土方や伊東と違って、居場所も行き先も見つけられない阿部の戸惑いは、特殊な時代、特殊な集団に放り込まれた一般人の姿に最も近いのかもしれない。その阿部が、逃げないと決心して落ち着いた高台寺党だったが、その行く末が痛々しい。

もう一人、興味深い存在が斉藤一。
いついかなるときも自分に課せられた仕事をクールにこなす剣客は、内面的に謎の多い人である。
近藤、土方の信頼も厚く、難しい仕事を任される彼は、いかにも完成された大人の男を思わせるが、年齢は若い沖田総司と同じ。いくら天才的な剣客であっても、それほどクールに人間的なかかわりを切り離すことができるのだろうか、と,前々から気になる存在であった。彼は本当に人間的なつながりというものへの興味が希薄だったのだろうか。
信頼され、期待され、頼られる人は、どうしても、人を頼ったり弱音を吐いたりしにくい。
「できる人」ほど「甘え下手」が多い。土方歳三もそうだ。
土方と斉藤は同じ種類の人間なのだ。大河ドラマでも、土方は自分のこととなると「おれのことはいい」と言って自分を切り捨てる。斉藤も同じ台詞を言っていた。
沖田と同じ年齢の若い斉藤は、男として剣客として、年上の同士以上の信頼を勝ち得ている喜びもあっただろうが、沖田の人懐っこい「甘え上手」がうらやましかったのではないだろうか。
誰かと人間的なウエットなつながりを求めていたのかもしれない。会津以降の斉藤の生き方を見ると、どうしてもそう思えてならないのだ。
「地虫鳴く」の中の斉藤も、あくまでもクールで厭世的でありながら、ほころびの中から温かいものがのぞいてしまう若さを持って描かれている。


「地虫鳴く」は、男であり、武士であるがゆえに想いを伝える言葉をもたない男たちの、心のすれ違いの物語でもある。
しかし、ラストにすえられた景色に、全てが救われる。木内作品ならではの清涼感がいい。
by windowhead | 2005-07-25 03:25 | 至福の観・聞・読

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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