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永井(玄藩頭尚志)さまが残してくれたもの=「土方歳三最期の一日」DVDを待ちながら

先日、三菱重工業(株)長崎造船所の史料館を見学した。

事前に予約をいれていたので、水の浦の門から造船所構内にタクシーで入ることができた。私は、ヘルメットと作業服で働く男の職場にどこか尊敬の念を持っている。そんな現場の空気に久しぶりにふれて、史料館に着く前にすでに、気持ちが高揚した。
史料館は、赤レンガの堂々とした建物だが、これは木型工場だったところ。レンガも工場のときのまま。広い。そんな中に整然と展示物やパネルが並ぶ。さすが世界に名だたる工場、チリ一つないし、展示物もきれいに掃除されている。それでいて温かい雰囲気があるのは、「ものづくりの先達たち」の「想い」が形になって展示されているからだろうか。

三菱長崎造船所は、長崎海軍伝習所取締永井玄藩頭の発案で安政4年建設着手され、文久元年(1861)落成した「長崎鎔鉄所」が前身になっている。
この日私が見たかったものの1つが史料館のまん前のルーブルならサモトラケのニケがあるような位置にどんとすえられていた。
「泳気鐘」という鉄の箱は、イギリス製の潜水用具で「長崎鎔鉄所」建設時の岸壁工事に使われたもの。
それと国の重要文化財で日本最古の工作機械である「竪削盤」。これも長崎鎔鉄所建設のため幕府がオランダに発注し購入した18台の工作機関係の中の1つだ。

発案した永井尚志は、長崎鎔鉄所が完成する前に江戸に引き上げているので、この機械たちが活躍する場を見てはいないのだろうが、この2つの展示物は、まちがいなく永井尚志の想いのかけらであり、残してくれたもの。幕府が真剣に近代技術を日本に移植しようとしていた証でもあり、永井尚志の近代性と決断力の賜物。これらに直接触った時は胸が熱くなった。

貴重な展示写真も数々。
展示写真の中にドイツ人技師カール・レーマンの姿を見ることができたのは幸運。カール・レーマンは私が追いかけている足立仁十郎とかかわりを持つドイツ人だ。


興味深い展示物ばかりだが、もう1つ胸を突き上げてくるものがあるコーナーが「戦艦武蔵」コーナー。
武蔵を中心に太平洋戦争終結時までにこの造船所が建造した艦船の写真がたくさん展示されている。その当時までここで建造された艦船は80隻。写真のキャプションを読んでいくとその多くが、戦時中に撃沈している。浅間丸など、この造船所が作った美しい客船も戦時中は運搬船や病院船などに改造され、航行中に撃沈されている。
送り出した船が撃沈されたというニューズを聞いた時の造船マンたちの心境を考えると胸が熱くなる。おまけにその中には何百人と言う人々が乗っているのだ。悲痛な想いに打ちひしがれながらも、次は沈まない船を造ろう!と心に決めながら日夜作業していたのだろう。ものづくりの人たちは、普通の人が思っているよりずっと感受性が強く、繊細でロマンチストなのだ。(この造船所で広報マンをしていたことがある私の実感)


永井様とロマンチ男といえば、もうすぐ「新選組=土方歳三最期の一日」のDVDが来るはずだ。山本土方の見返り美人なパッケージ付。
「ごめんなさいでいいではないか…」と土方を慰める佐藤B作好演の永井尚志にも久々に会えるわけだ。
永井様だって、相当なロマンチだよなあ。

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※写真は史料館内部。右の大きな鉄の箱が「泳気鐘」、中央のハンドルが付いた機械が日本最古工作機械。どちらも150年の月日を経て残った永井様のロマンチの証。
by windowhead | 2006-04-15 13:13 | 長崎と幕末維新

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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