
媽祖(まそ)は、宋代に実在した巫女で天気の予測ができたので、漁民を不意の台風などの危険から守ることができた。28歳で世を去ったが、漁民や船乗りたちは後にその徳を称え媽祖廟を建て、海の守護神としておまつりした。宋時代は霊恵尼、元・明時代は天妃、清朝時代は天后との称号を時の皇帝から贈られ崇拝されてきている。媽祖信仰は、福建省など中国南方のもののようだ。中国では文化大革命時代、媽祖信仰も禁止され多くの媽祖堂も破壊されたらしいが、その後立派なものが再建されているところもあるようだ。
古く長崎に貿易のために入ってきていた唐船は、航海安全のため媽祖像を載せてきた。長崎の港に入ると唐人たちは唐人屋敷での生活になるので、出航までの間、媽祖像を祟福寺や興福寺など媽祖堂を持つ唐寺にあずけ祭っていた。日本で古くから媽祖堂を持つ唐寺は長崎にしかないらしい。(最近横浜にも媽祖堂ができたと聞いたが…。)
越中先生のお話では、長崎でも、キリスト教禁止の江戸時代は、「媽祖祭」を「ぼさまつり」と読んでお祝いしていたそうだ。「ぼさ」とは菩薩。菩薩様のお祭りですから、他国の神様ではありませんとの言い逃れ。それが通っていたのも長崎ならではのことなのだろう。
郷土史家・越中哲也先生がお持ちくださった古文書にも「媽祖祭り」と書いて「ぼさまつり」と振り仮名してあった。

媽祖堂前には、媽祖様をお迎えするため様々なお供えが飾られる。新鮮な魚介類や肉など、中でも豚と山羊の頭は長崎の人間以外には驚きかもしれない。本来は豚や山羊をまるのままお供えしていたそうだが、時代の流れで今では頭だけお供えするようになったらしい。それでも本物の山羊の頭をお供えできるのは、今年が最後かもしれないそうだ。厚生省だの食品衛生だのの法律が絡むらしい。伝統行事も時代の趨勢で変わらざるをえないのか…。

その後、お供えの豪華な料理が用意される。
みんなでお膳を囲んで、媽祖様のご馳走のおすそ分けにあずかるわけだ。
中華料理店では食べられない華僑の人たちの家庭でのもてなし料理がどっと出てきた。
もちろん卓袱料理の原型の丸いお膳を囲んで大盛り皿から取り分けていただく。
どの料理もそれぞれの中華料理の元になったと思われる味。女性陣は「これ、バンバンジーの原型かな」とか、「皿うどんのもとはこのビーフン炒めかしら」など、にわか料理研究人に早変わり。恐る恐るいただいた山羊のぶつ切り肉が入ったスープは、臭みもなく澄み切っていて思いのほか上品。澄み切ったスープを取るのはやはり料理人の腕のみせどころだろう。
家庭のもてなし料理といっても、長崎の華僑の人たちの多くは中華料理店を経営していらっしゃるので、料理の味はプロのもの。堪能させていただいた。さらに、お膳はきれいに食べ挙げて行くことが料理人への感謝でもあるので、残ったものは持ち帰ってもいいことになっている。
まる1日、中国と長崎の深いつながりを学び、普通はいただくことの出来ない華僑の人たちの家庭もてなし料理をいただくことが出来た。
祟福寺さんと、檀家のみなさん、それに越中先生に感謝!
そうそう、行事の模様や料理の写真は、友人のmogumiさんのサイトにアップされるだろう。そのとき、リンクさせてもらって、言葉では書きつくせないおいしさを目で再度味わおう。