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吉村昭作品を読み返しながら…

去る7月31日、作家・吉村昭氏がなくなった。

膨大な資料から導き出した事実に裏づけされた物語は、まるで平凡な日常を積み重ねているように淡々としているのだが、作品全体に大きなうねりをもって読者を飲み込んでいくダイナミックさがある。
司馬遼太郎の歴史小説が、ヒーローがヒーローとしてある歴史小説なら、吉村昭の歴史小説は普通の人が結果的に名を残すことに成る過程の歴史小説だと思う。

私にとって特別な吉村作品を挙げると
1.「戦艦武蔵」
2.「暁の旅人」
3.「幕府軍艦「回天」始末」

「戦艦武蔵」は圧倒的な作品だった。事実を積み重ねて書いていく手法のお手本とも言うべき作品。戦艦武蔵を造った会社で働いたことがあり、作品の中に登場してくる数人の方にお会いしたこともあり、武蔵建造の長崎在住とうこともあり、臨場感溢れる作品だ。今も読み返している。

「暁の旅人」は、幕末の医師・松本良順を書いたもの。臨床医学に賭ける良順の魂のすばらしさ、人柄の大きさが伝えられていると同時に、良順を指導したポンペのすばらしさを再認識させる作品になっている。
長崎では、西洋医学といえばシーボルトとその弟子たちが取り上げられ事実の姿以上に美化されているが、近代西洋医学の実践を伝え、多くの医師を育て、日本の近代医学の礎を築いたのがポンペであることを、この本から知ることができる。


「幕府軍艦「回天」始末」は、短編だが、幕末の洋式木造艦「回天」の行く末を追いながら、戊辰戦争のなかでの艦船の役割を知ることができた興味深い本だった。


吉村昭氏は 長崎に何度も取材に来られていて長崎のことを密かに気にかけてくださったようだ。

以前訪問した「三菱重工長崎造船所資料館」の展示に、あの豪華客船「ダイヤモンドプリンセス」号火災関連の展示コーナーがあった。
その中に、一枚の長崎新聞の切り抜きが展示してあり、「作家・吉村昭氏が長崎新聞に寄せられた激励の記事」というようなキャプションが付いていた。記事といっても、読者投稿のコーナーの小さな投稿記事だ。
大作家が一般読者と同じスタンスで読者投稿欄に投稿して、三菱長崎造船所の人々と長崎の人々にエールを送っているのに、ちょっとじーんとさせられた。
その後、吉村氏の随筆集「縁起のいい客」を読んだら、投稿のいきさつと、その後のことが書かれた「図書券」という随筆に出会った。ほんわりと温かいが未来に向けての希望が感じられる随筆だった。
一人の市井の人としてありつづけたいとう吉村昭氏と作品に流れる良質のヒューマニズムがぴったりと一致するような爽やかなエピソードだった。

また、「暁の旅人」のあとがきで、現在長崎歴史文化資料館に在籍されている本馬貞夫氏へのお礼の言葉が書かれていたので、資料館で本馬氏にお会いした時、そのことをお話した。

吉村昭氏は、長崎が絡む作品を書く時は必ず数多くの史料を調べ、現地に向うというスタンスで、その史料収集や解析のお手伝いを本馬氏にお願いされていたようだ。本馬氏は、長崎にある古文書を解読したり、整理したりして、今日流行の「長崎学」の底辺を支えられてきた優れた研究者のお一人だ。このような人が、バックアップしているからこそ、吉村作品はいぶし銀のような輝きがあるのだろう。吉村昭氏は、本馬氏のような優れた研究者の人脈を全国に持っていらしたのだろう。
本馬氏によれば、以前吉村氏に、ポンペの業績が日本ではあまり知られていないので、ポンペについて作品を書いてくださいよとおねだりしたことがあったそうだ。「暁の旅人」を読んでいるとそのお願いを聞き届けてもらったような気がします。と言っておられた。
「暁の旅人」は、もしかすると本馬さんへのプレゼントだったのかもしれないなあ。

吉村作品に共通するのは静かなヒューマニズム。
遺稿は、「死顔」という兄の死をみつめた私小説らしい。
自分の遺体の行く末を死んだ少女の目からみた「少女架刑」という衝撃的な初期の小説に呼応するようだなあと、感じたのは私だけなのだろうか。
by windowhead | 2006-08-09 13:39 | 至福の観・聞・読

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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