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久しぶりの「足立仁十郎」おっかけ

久しぶりの「足立仁十郎」おっかけ_b0009103_1523744.jpg会津藩御用達の豪商・足立仁十郎のおっかけは、ぼちぼちと続けている。

しかし、彼がもっとも活躍したであろう長崎で、彼の消息を辿ることができるものに出会うことがない。
古道具屋なんかに、薬箪笥とか什器がないものかなと思っているのだが、探すのはたいへんだろうなあ。

長崎の金比羅山の金刀比羅神社の石の玉垣に足立仁十郎の文字があるとだれかの伝記にかかれていたような記憶があったので金比羅山まで行って来た。

金刀比羅神社の社殿の右の玉垣で、足立仁十郎の文字をみつけた。久しぶりの「足立仁十郎」おっかけ_b0009103_1531795.jpg
寛永3年正月に、長崎の有力者たちだろうと思うが石の玉垣を奉納している。その玉垣の1本の石に「足立仁十郎」の文字がきざまれていた。
この時期のには、それなりの豪商になっていたのだろうか。この数年後には会津藩に1万両を用立てることになるのだから、人参貿易も順調にいっていたのだろう。

金刀比羅神社は、航海安全の神様。長崎奉行も、華僑たちもよくお参りしていたらしい。
会津から和人参を運ぶのも、清国に輸出するのも、当然輸送は船。仁十郎が、海上交通の安全を祈願する神社への奉納に加わるのはごく自然なこと。

玉垣の奉納者は以下の人々
奉献 世話人 :友永長兵衛、菱屋喜兵衛
奉献舎 :對馬屋勝五郎、永見徳太郎、足立仁十郎、袋屋與八郎、河内屋作五郎、堺屋彌吉、菱屋安兵衛、中尾民■、菱屋彌兵衛、田中藤吉、溝口■、冬野総■、菱屋清蔵、長岡文次郎,日野屋要助、村上藤兵衛、原賀次右衛門


バス停で出会って山頂までご一緒した、70歳代のアマチュアカメラマンのおじさんは、なんと、名簿の中にある堺屋さんの末裔らしい。奇遇な出会いだった。

神社を調べた後、堺屋さんが写真を撮影している展望台に行ってみた。
長崎港が見える。
展望台ちかくには、2メートル以上ある石造りの常夜灯があったが、これにともった明かりを目印に船が長崎に入港していたのだ。
それにしてもすばらしい眺め。
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by windowhead | 2006-11-13 01:53

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


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