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著書でも見えないオシムが出現したカタール戦

アジアカップカタール戦は、残念なゲームだった。

でも、修正点ははっきりしているし、あと2試合までに練習を積んで連携を深め、モチベーションを上げていけば、可能性は残っている。


今回、もっとも致命的だったのは、ゲーム後のオシム監督の行動だったのではないだろうか。

ゲーム直後のインタビュアーへの八つ当たりはいただけない。
よくオシム監督は、マスコミのインタビュー内容を批判するが、今回のインタビューは、しごくまっとうな内容だった。サッカーだけでなく、野球でもバスケットでもラグビーでも、試合直後のインタビューはこのような内容になるだろう。
「勝ち点3がとれそうで、落としたゲームだったと思いますが、どうでしょう?」というようなインタビューだった。
これに対して、急に激しくまくし立てるオシム監督のエキセントリックな姿が、TVを通して全国に流れた。
見ていた多くの人は、なんでインタビュアーに向かって怒るのだろう?と不思議だったはずだ。
サッカーにあまり興味のない私の友人は、このシーンを見ていて、ドン引きしたそうだ。
「なんなのあれ?驚いたなあ。あなたはオシムの本を論理的とほめてたけど、あれじゃ、こらえ性のないただの年寄りの八つ当たりじゃない。インタビュアーや通訳がお気の毒ね」との電話。一般の人の見方は、ほぼ彼女のようなものだったのではないだろうか。
今回のオシム監督の行為は、とても後味の悪いものだった。
代表戦なのに視聴率は12%だったらしい。オシム監督の行為は、その貴重な12%をサッカーから遠ざけたかもしれない。

オシム監督は、選手の不甲斐なさに怒り心頭に達したのかもしれないが、その怒りは人前では収めて、ロッカールームで選手に向けるべきだったろうに、返す返すも残念な行為だ。


さらに気になることがもう1つ。
選手への説教のとき、通訳の人が泣いて通訳ができなかったなどという記事があった。

なぜ、泣いたのだろう、なぜ通訳できなかったのだろう?
通訳の人は、四六時中オシム監督についている人だから、彼が発する言葉がわからないはずはない。それなのに、なぜ、通訳ができなかったのか?

あくまでも憶測だが、こんなこともありえるのでは…。
興奮してまくし立てるオシム監督の言葉に、普通なら口に出すのも憚られる侮蔑的な言葉や、人種差別的な言葉が含まれていたのではないかということだ。
通訳の人は、インタビュアーに対しては、とっさの判断でその言葉は訳さなかったと思う。
実際に訳された言葉には、そんな内容はなかった。それでもしどろもどろの感はあった。言葉がわからないのではなく、伝えて良いのか悪いのか、TVの前で伝えたときの視聴者の反応を考え、試行錯誤されたのではないだろうか。
さらに選手の前でもそのような言葉が出たのであれば、やはり訳するのに躊躇しただろう。
通訳の人がオシム監督を大切に思えば思うほど、その言葉を、選手には投げられなかったのではないだろうか。オシム監督への信頼が崩れることを危惧した彼は、そこで押し黙るしかなかったのではないだろうか。
あのオシム監督のエキセントリックな姿を思い出すにつけ、憶測は憶測におわらないような気がしてしまう。


夜のニュースで、代表の練習風景が流れた。
練習前に、異例のミーティングがあり、オシム監督が15分ほど話をしたそうだ。
練習の風景は、いたって普通に見えた。
きっと、選手たちはすでに気持ちの切り替えをしたんだろう。

あと2試合、勝ち点3づつで、予選突破だ。
アベちゃん、立ち直ったかな?
by windowhead | 2007-07-11 01:58 | 紙のフットボール

日本の西海岸・長崎からのつぶやきはビンの中の手紙のように漂いながら誰かのもとへ


by windowhead