「あの子」が聞こえる8月9日
2008年 08月 10日
8月9日、北京オリンピックのさなかですが、長崎ではオリンピックよりもやはり「原爆祈念の日」でした。
小学校5年生の1学期末に長崎市中心部にある「新興善小学校」から浦上地区にある山里小学校に転校しました。路線バスでも30分もかからない地区なのに、ぜんぜん違った文化圏だなあと子供心に思ったものです。浦上地区は敬虔なカトリック信者の町です。そして、原爆の被害を強く受けた町でもあります。
山里小学校も多くの生徒が犠牲になっています。私が転校したころも、校区の被爆者の方から原爆の経験談を聞いていました。担任の美しい女の先生の腕には被爆によるケロイドが残っていました。プールの授業のとき、水着姿の先生は「まだ怪我の中にガラスの破片が残っとるとよ」とケロイドを触らせてくれました。
この学校には、校歌以外にもうひとつ大切な歌がありました。
校歌のメロディーは今ではほとんど覚えていませんが、もう1つの歌は今でもちゃんと歌えます。
「あの子」というタイトルのその歌の歌詞は、「長崎の鐘」や「この子を残して」の著者、永井隆(医学)博士によるものです。
原爆によって一瞬に消えてしまったあの子
学校の壁に、人々の記憶に残っているあの子の名残り
もういないとわかっていても、夕暮れになると帰ってきそうで迎えにでてしまう残された人の気持ちがとてもやさしくて悲しい歌なのです。
あの子
壁に残ったらくがきの
幼い文字のあの子の名
呼んでひそかに 耳すます
ああ
あの子が生きていたならば
運動会のスピーカー
聞こえるへやに だしてみる
テープ切ったるユニフォーム
ああ
あの子が生きていたならば
ついに帰らぬおもかげと
知ってはいても夕焼けの
かどに出てみる葉鶏頭
ああ
あの子が生きていたならば
とても美しい歌です。
山里小学校の生徒の合唱で聞けるサイトを見つけました。
小学生の澄んだ歌は心に沁みます。
http://www2.nbc-nagasaki.co.jp/peace/uta/index.html
山里小学校のホームページも
http://www.nagasaki-city.ed.jp/yamazato-e/
小学校5年生の1学期末に長崎市中心部にある「新興善小学校」から浦上地区にある山里小学校に転校しました。路線バスでも30分もかからない地区なのに、ぜんぜん違った文化圏だなあと子供心に思ったものです。浦上地区は敬虔なカトリック信者の町です。そして、原爆の被害を強く受けた町でもあります。
山里小学校も多くの生徒が犠牲になっています。私が転校したころも、校区の被爆者の方から原爆の経験談を聞いていました。担任の美しい女の先生の腕には被爆によるケロイドが残っていました。プールの授業のとき、水着姿の先生は「まだ怪我の中にガラスの破片が残っとるとよ」とケロイドを触らせてくれました。
この学校には、校歌以外にもうひとつ大切な歌がありました。
校歌のメロディーは今ではほとんど覚えていませんが、もう1つの歌は今でもちゃんと歌えます。
「あの子」というタイトルのその歌の歌詞は、「長崎の鐘」や「この子を残して」の著者、永井隆(医学)博士によるものです。
原爆によって一瞬に消えてしまったあの子
学校の壁に、人々の記憶に残っているあの子の名残り
もういないとわかっていても、夕暮れになると帰ってきそうで迎えにでてしまう残された人の気持ちがとてもやさしくて悲しい歌なのです。
あの子
壁に残ったらくがきの
幼い文字のあの子の名
呼んでひそかに 耳すます
ああ
あの子が生きていたならば
運動会のスピーカー
聞こえるへやに だしてみる
テープ切ったるユニフォーム
ああ
あの子が生きていたならば
ついに帰らぬおもかげと
知ってはいても夕焼けの
かどに出てみる葉鶏頭
ああ
あの子が生きていたならば
とても美しい歌です。
山里小学校の生徒の合唱で聞けるサイトを見つけました。
小学生の澄んだ歌は心に沁みます。
http://www2.nbc-nagasaki.co.jp/peace/uta/index.html
山里小学校のホームページも
http://www.nagasaki-city.ed.jp/yamazato-e/
by windowhead
| 2008-08-10 00:34
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